新型コロナウィルスの影響で、学校が全国的に休校になっている。(もちろん、すべてではない。)スポーツも無観客試合の形式で行われるものが多くなっている。そうしたなかで、野田秀樹氏が声明をだした。意見書を全文引用しておこう。
意見書 公演中止で本当に良いのか
コロナウィルス感染症対策による公演自粛の要請を受け、一演劇人として劇場公演の継続を望む意見表明をいたします。感染症の専門家と協議して考えられる対策を十全に施し、観客の理解を得ることを前提とした上で、予定される公演は実施されるべきと考えます。演劇は観客がいて初めて成り立つ芸術です。スポーツイベントのように無観客で成り立つわけではありません。ひとたび劇場を閉鎖した場合、再開が困難になるおそれがあり、それは「演劇の死」を意味しかねません。もちろん、感染症が撲滅されるべきであることには何の異議申し立てするつもりはありません。けれども劇場閉鎖の悪しき前例をつくってはなりません。現在、この困難な状況でも懸命に上演を目指している演劇人に対して、「身勝手な芸術家たち」という風評が出回ることを危惧します。公演収入で生計をたてる多くの舞台関係者にも思いをいたしてください。劇場公演の中止は、考えうる限りの手を尽くした上での、最後の最後の苦渋の決断であるべきです。「いかなる困難な時期であっても、劇場は継続されねばなりません。」使い古された言葉ではありますが、ゆえに、劇場の真髄(しんずい)をついた言葉かと思います。 野田秀樹(毎日新聞2020.3.1)
私も同感である。今日のニュースで相撲も無観客で行うことが決まったということだ。私は、クラシック音楽ファンなので、クラシックの演奏会を少しだけ調べてみたが、やはり、多くが中止されている。今丁度来日公演をしているパリ・オペラ座のバレエは、行われているが、日本のオーケストラの演奏会は、私が見たかぎり中止になっている。
しかし、やはり野田氏のように、疑問を感じざるをえないのだ。
サッカーや野球、相撲のようなスポーツは、観客がいなくなることは極めて厳しいが、テレビ中継があり、その放映権の収入はある。だから、まったく無収入になるわけではない。しかし、演劇やオーケストラの演奏会は、NHK交響楽団を除けば、放送される見込みはないので、無観客でやるわけにはいかない。スポーツならば、勝敗を競うのが最大の目的だから、年間スケジュールなどの関係で、無観客でも試合をすることに意味があるが、演劇や音楽の演奏会は、観客がいなければ、やる意味は全くない。
そして、私にとっては、観客の姿勢が大きな意味をもっていると思う。スポーツ観戦をする観客は、大きな声をだしたり、肩を組んで応援をする。これは、濃厚接触であるし、また、唾が飛ぶ可能性が極めて高い。しかし、演劇やクラシックの演奏会は、観客は絶対に声をだしてはならないし、じっと座っているものだ。だから、飛沫感染する可能性は、スポーツ観戦に比較すれば、ずっと低い。だから、中止ではなく、体調に不安がある人は、休んでほしい、その払い戻しはするというようなやり方をする、そして、来場者に対して、可能ならば、体温検査、体調の悪いひとへの断りなどをすれば、現在の状況では、その会場で感染する可能性は低いと思うのだ。ポップス系の演奏会は、観客のあり方はスポーツ観戦に近いから、感染可能性は、クラシックに比べれば、遥かに高いだろうが。
このように、スポーツや演劇、演奏会、あるいは展覧会など、様々な催し物があるが、それぞれに事情が異なるはずである。また、中止にした場合の損失や延期可能性なども異なる。
政府から要請があり、社会的な圧力があって、この状況で開催するのは、かなり勇気がいるのだろうが、プロのひとたちからすれば、生活がかかっているわけである。中止になった公演の損失を、政府がすべて補填するとは思えない。催し物の中止を政府は要請しているが、企業活動の中止を要請しているわけではない。企業活動が行われれば、どんなに時差出勤をしても、朝夕の通勤電車はかなり混むはずである。少なくとも、演劇や演奏会に、体調の悪さをおして出かけるよりも、仕事には無理して出かけるひとのほうが多いだろう。だから、通勤電車のほうがよほど感染の危険はあるのではないか。