ベルリオーズの「ファウストの劫罰」

 ベルリオーズの「ファウストの劫罰」は、ずいぶんと奇妙な音楽だ。もちろん、ゲーテの「ファウスト」の内容に剃った音楽だが、構成は違うところが多いし、また、原作にはない場面が挿入されていたりもする。また、ベルリオーズ自身が、どのような形態での上演を考えていたのかも、あまり明確ではないようだ。
 更に、ゲーテのファウスト自体が、現在、原作のままで上演されることはあるのだろうか。私は、2003年に、ドイツで実際にファウストの野外公演を見たことがある。しかし、それは、原作をかなり短縮したもので、野外だから、あまり仕掛けはなく、リアルな形式での上演だったように思う。話題になったのは、メフィストフェレスが女性だった点だった。メフィストフェレスは悪魔だから、男性に限定することもないのかも知れないが、通常は男性がやる。ドイツ人に、女性だったと話したら、怪訝な顔をしていた。
 原作「ファウスト」の映像を探してみたが、ほとんどは映画で、舞台上演のライブ映像は、見つけることができなかった。あったらぜひみたいものだ。原作では、最初に上演の口上が述べられ、天上の場面になり、主に対して、メフィストフェレスがファウストの魂を奪う約束をして、主がやってみろという、実に妙な場面から話が始まるわけだ。そして、最初にメフィストフェレスがファウストの前に現われるのは「犬」としてだから、現実の上演では、なかなか難しいはずである。実際に、第一部だけでも、すべて演技すると6,7時間はかかるようだ。だから、通常の上演は、ほとんどが短縮版だろう。
 当然、ゲーテの代表作だから、有名な作曲家たちは、ファウストに音楽をつけた。しかし、意外に頻繁に演奏される曲は少ない。有名なオペラとしては、グノーの「ファウスト」しかなく、シューマンの「ファウストからの情景」、マーラーの「千人交響曲」が有名なものだろうが、ポプュラーであるかは疑わしい。メフィストに焦点をあてたボイートの「メフィストフェーレ」というオペラがあるが、私は聴いたことがない。グノーのオペラは、ゲーテが意図した人生哲学を究めるような側面は落として、恋愛劇的な要素が前面に出たものだから、ゲーテ的ファウストでもっとも頻繁に演奏されるのが、ベルリオーズノ「ファウストの劫罰」だろう。
 「ファウストの劫罰」は、かつては、演奏会形式で演奏されていたが、ウィキペディアによると、2003年のベルリオーズ生誕200年あたりから、オペラとして上演されるようになったという。おそらく、舞台でかなり機械的な操作が可能になったことと、映像を複雑に使用できるようになったことが大きいのではないかと考えられる。実演やDVD、youtubeで、都合4種類の上演を視聴したが、いずれも、かなり大がかりな機械じかけになっていることと、CGなどの映像を駆使している。
 初めてみた映像は、ベルリンドイツオペラの上演で、唯一DVDとして市販されるいるものだ。すべてが未来都市のような雰囲気で、最初のほうで、ファウストも群衆も、アルミの生ビールの大きな缶のようなものをもっている。それが何だか、何を意味するのかよくわからない。透明な大きなボックスにはいったり、また、4層構造が現われて、登場人物がそれぞれの層に移動したりする。
 生の上演を見たのは、松本のサイトウキネンフェスティバルで、小沢征爾が指揮したときだ。これは、ゲネプロと本番の2回みることができた。非常に素晴らしい上演で、NHKが録画していたはずだが、残念ながら、全曲放送はされず、また、市販もされていない。ぜひ市販してほしいものだ。この舞台は、最初から、4層ががっちり組み立てられていて、カナダのアクロバットチームが、かなり大胆な動きで、4層を上下していた。
 youtubeのは、主役がカウフマンであることと、メフィストフェレスがヨセ・ファン・ダムとしかわからず、指揮者や劇場が明示されていないので、なんとも不可解な映像だが、大きな鉛筆がシンボルとして登場する。最初のほうでは、ファウストが大きな鉛筆を抱えて歌う。群衆も鉛筆をもっている。学問の奥義を究めようとしているファウストを表現しているのだろうか。小沢の指揮でもヨセ・ファン・ダムだったが、その頃はまだ現役バリバリだったが、カウフマンとの共演では、かなり年取っていて、声もあまり出ず、少々聞き苦しかった。
 最後は、やはりカウフマンがファウストを歌っていて、メフィストフェレスは、ターフェルで、指揮をジョルダン、パリ・オペラ座の演目だった。これは、火星に人類が移住する計画があるという説明が表示され、ホーキングとおぼしき人物が、ずっと車椅子に座っている。さすがパリ・オペラ座だけあって、バレエが多く取り入れられ、かなり官能的な雰囲気を醸しだしている。
 しかし、どれも、演出に非常に苦労しているということが、感じられ、その割りには、ドラマ的な感動が起きない。これは、何を意味しているのか、という疑問は起きるが、あまりに非現実的な場面が続くので、引き込まれる感じはない。小沢の上演のアクロバティックな動き、他のは4層にいくのに、たぶん舞台裏のエレベーターを使っているのだろうが、小沢の舞台では、実際に人が縄を使って、昇ったり下りたりするのだ。そして、マルガリータが処刑される場面だったと思うが、実際に4層から落ちていったと思う。(ここは間違っているかも知れない。)
 パリ・オペラ座では、ホーキング役の人が、本当にずっと眉ひとつ動かさず、ずっと人形だろうか、人だろうか、などという関心が起きてしまう。途中で入れ代わったのかも知れないが、最後の場面では、人が演じていて、人々に持ち上げられ続ける。そして、最終場面では、ファウストが車椅子に乗って退場する。
 もちろん、こういうことは、原作とは無関係だ。しかし、普通にリアルに演じても、おそらく、面白くもなんともないことは確かだ。音楽は素晴らしいし、有名な曲もけっこうある。テキストが思索的な内容だから、音楽の邪魔をしない演出は難しいのかも知れない。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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