何故学問の自由は重要なのか
日本学術会議の会員選考について、政府に批判的な学者を排除するという動きは、既に2018年にはあったと報道されている。だから、見解突発的に行ったものではなく、おそらく、菅政権が発足して、支持率が高いこともあって、思いきってやってしまおうと考えたのではないだろうか。
しかし、いかにも、そのやり方はお粗末で、安倍政権そして菅政権の水準の低さに呆れてしまう。法手続的にいえば、どう考えても筋が通らない。「推薦に基づいて任命する」というのは、推薦をそのまま認めることであるのは、内閣総理大臣を天皇が、国会の指名そのままに任命することと同じである。これを曲げて、首相に推薦の拒否権があるというならば、天皇が国会の指名を拒否できるという解釈も成立する。そんなことは、まさか認めないだろう。学術会議の会員も同様ではないか。 “何故学問の自由は重要なのか” の続きを読む
部活動指導員は部活問題を解決するか
文科省が、部活動について新たな方針を提示して、話題になっている。部活動の在り方が、現在の学校教育の大きな問題であることは、多くの人によって論じられている。しかし、議論の方向性や基本的立場は、相当な違いがある。しかも、根本的な相違を含んでいる。部活動を学校教育のなかに位置づける人と、学校教育から外すべきであるという人の違いは、まったく異なった考え方である。指導者については、外部指導をどうするかという点があった。
とりあえず、最近の動きを見ておこう。従来、部活は、学校教育の構成要素ではないが、構成要素であるかのように運用されてきた。最近まで、部活の顧問を引き受けるのは、教師の義務であるかのように扱われていたが、現在では、正規の学校教育の構成要素ではないことが確認されており、顧問の引き受けは、教師にとって義務ではないことが、文科省によっても明らかにされている。これについても賛否両論あるが、この確認によって、校長が、顧問を確保することが困難になっていることと、そもそも、顧問としての活動が、教師のブラック的過重労働の大きな要因となっていること、そして、教師の顧問は、必ずしも部活内容の指導能力を備えているわけではないこと等の理由から、外部指導員という制度が導入された。 “部活動指導員は部活問題を解決するか” の続きを読む