アメリカ大統領選挙の方式への疑問

アメリカの大統領選挙が近づいているが、いつも疑問に思うことがある。そもそも民主主義国家で、近代国家であるはずのアメリカが、何故こうなのだろうという疑問が、大統領選挙に関しては湧いてくるのだ。Forbes Japan の10月14日の記事に「米大統領選の選挙人団制度、6割超が廃止支持」という記事がある。ただし、廃止に賛成の割合は、民主党員は89%、共和党員が23%である。つまり、民主党員は圧倒的に廃止支持で、逆に共和党員が圧倒的に廃止反対なのだ。だが、平均的には、6割が廃止を支持しているという数字は、いかにも妙な感じがするだろう。しかし、民主党と共和党の数字がわかれるのは、最近の大統領選挙の結果を見れば、理由は単純である。21世紀になって、共和党の大統領は、ブッシュとトランプだが、このいずれも、選挙人の数で上回ったが、得票数ではゴアとクリントンに負けているのである。それに対して、民主党のオバマは、両方で上回っている。選挙人団の制度がなかったから、21世紀になって共和党大統領は選出されていないことがわかる。国全体の得票数が多いのに、選挙人の数で逆転現象が起きるのは、いかにもおかしなことだ。しかも、総取り方式という、得票率が51対49であっても、51の陣営が選挙人を全部とるという方式にも、首をかしげざるをえない。歴史的には、建国時におけるメディアの未発達、識字率の低さ、奴隷制の問題があり、また、イギリスの小選挙制度の影響などが、全体として現在のようなシステムをつくりあげたのだろうが、事情がまったく異なってきたにもかかわらず、つまり、上の状況がすべて変化しているにもかかわらず、制度を変えないというのは、いかにも不可解である。全国でただ一人の大統領を選ぶのだから、全国民の得票数で決めるのが合理的であることは、誰にも同意できるはずである。だからこそ、世論調査でも、この制度の廃止を支持する人が多いのだろう。 “アメリカ大統領選挙の方式への疑問” の続きを読む

ソ連映画「戦争と平和」を見て

 久しぶりにソ連製映画『戦争と平和』をみなおした。とにかく長い。4部まであって、全部で7時間以上かかる。国家の総力をあげて作成した映画という感じの作品で、とにかく、動員した物量、人員に圧倒される。しかし、映画としては、どう考えても駄作としか考えられない。アマゾンのレビューをみると、半分が絶賛だが、厳しい見解も多数ある。大分前に見たときには、けっこう感激したのだが、今回見直したときには、むしろ、何のために作った映画なのかが、疑問に思えてきた。1812年の戦争を、第二次大戦の祖国大防衛戦争になぞらえ、アメリカとの冷戦に負けない姿勢を誇示しようとしたのか、と思いたくなるような作り方を感じるのは、私だけではないだろう。そういう部分は辟易する感じだ。
 もちろん、国家的威信をかけて制作したほどだから、素晴らしい点が多数ある。 “ソ連映画「戦争と平和」を見て” の続きを読む

学術会議に対するデマと内閣のお粗末

 学術会議問題は、ますます混迷を深めている。総理大臣に任命権があるから、推薦を義務として受けいれる必要はないのだ、という説明は、一貫しているが、菅首相が、名簿を受け取ったときには、既に6名はなかった、とか、首相は、その名簿を見ていないとかいって、では、誰が削除したのかという犯人探しが始まり、杉田氏であることか判明したと思ったら、今度は、加藤官房長官が、名簿は菅首相か見るべき書類の束のなかにあったのだと、説明したり、とにかく、めちゃくちゃというべきだろう。そして、これは、菅首相を基本的には支持している人たちですら、何故6人を削除したのか、ちゃんと説明する必要があると語っている。これは当たり前のことだ。しかも、理由の開示は、拒否された本人たちが望んでいるわけである。もちろん、拒否理由を言わない原因ははっきりしている。「言えない」からである。言えないのは、思想的な差別をしたからである。これは、断定しても構わないほど、明瞭なことである。 “学術会議に対するデマと内閣のお粗末” の続きを読む

鬼平犯科帳 長谷川平蔵の油断

 長谷川平蔵は、何度か危機的状況に陥ったことがあるが、その最大の危機は、京都に父の遺骨処理のために、休暇を利用して訪れていたときだった。休暇中であったにもかかわらず、虫栗一味をほとんど一網打尽にするという、実に水際立った働きを示した直後のことだ。にもかかわらず、この後で起きた事態は、まるで長谷川平蔵らしからぬ、間抜けな行動の連続によって起きたのだった。小説だから、どうということもないが、どこがどう問題だったのか、やはり、考察したくなるのである。
 この逮捕劇で一躍有名人になってしまった平蔵は、江戸に帰ろうとするが、奈良見物を京都西町奉行の三浦伊勢守に勧められて、断りきれず承知する。しかし、虫栗一味の吟味の間暇なので、同行の木村忠吾と一緒に、愛宕山参詣にいく。しこたま飲んだあとの帰途、突然女に助けを求められ、脇差しを抜いて追いかけてきた30男が、女を差し出すように頼むが、それを追い払う。このとき、平蔵は、この30男が「只者ではない」と直感している。その後女を連れて、宿に帰る途中、この男があとをつけてくるのだが、平蔵は、それをうまく撒いてしまう。つまり、この日既に、只者でない男が、一端引き下がったのに、あとをつけてくる、という事態を、後々気にしていない。これが第一の油断。 “鬼平犯科帳 長谷川平蔵の油断” の続きを読む

矢内原忠雄と丸山真男17 矢内原の奇蹟論

 矢内原忠雄が、極めて優れた社会科学者であり、その学問方法はマルクス主義に近いものだったのに対して、敬虔な、というより、熱烈なキリスト教徒であり、その信仰が、軍国主義的な政策を厳しく批判し、東大教授の地位を追われたにもかかわらず、信念を曲げなかったことを可能にしたことは、広く承認されている。
 しかし、これは一見して、不可解であり、また、不思議なことである。完全な唯物論であるマルクス主義を、学問的な方法論として、かなりの部分採用し、かつ、熱心な宗教家であるということは、他に例を見ないからである。矢内原は、学問的方法と価値に関わることは別だとするが、その並立の在り方は、私には興味がある。矢内原には『キリスト教とマルクス主義』という著書や論文があるが、そこでは、キリスト教徒としての立場にたっている。ひとつの手がかりとして、矢内原が、「奇蹟」をどう考えていたかを考察してみよう。 “矢内原忠雄と丸山真男17 矢内原の奇蹟論” の続きを読む

ウィーン国立歌劇場150周年ボックス

 ウィーン国立歌劇場150周年記念CDボックス(22枚組)を、やっと全部聴き終わった。CDやDVDのボックスは多数もっているが、全部聴いたのはあまりない。それだけ魅力的なボックスだ。
 ウィーン国立歌劇場は、第二次大戦時の爆撃でほぼ消失してしまったので、再建に10年かかるという、かなり難事業で再開された。その戦後の主なオペラの全曲と、抜粋によって構成されている。 “ウィーン国立歌劇場150周年ボックス” の続きを読む

池袋暴走事故に思う

 2019年4月に起きた、87歳の高齢者による暴走事故(2人が死亡、8人が重軽傷)の初公判が行われ、被告人は車の異常による事故だという理由で、無罪を主張したと報道されている。そして、無罪の主張に憤りも示されている。おそらく弁護士による作戦であろうし、被告人は自分を弁護する権利があるのだから、そのことについて非難するのもどうかとは思うが、ただし、裁判官の心証が悪くなることは確かだろう。
 この事故をきっかけに、高齢ドライバーの運転を認めるべきではないという意見なども出され、高齢者の運転に関する議論が活発になった。私自身、高齢者であるし、車も運転するので、他人ごとではない。事故が起きた当時にも、書いたが(http://wakei-education.sakura.ne.jp/otazemiblog/?p=715#more-715)、そのときには、道路環境を中心に考えたので、今回は、高齢者の運転そのものについて考えてみる。

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『教育』2020.10号を読む 山本宏樹「インターネットを生きる子どもたち-その保護と教育」

 山本宏樹氏の「インターネットを生きる子たち-その保護と教育」を取り上げたい。
 一読して、正直なところ、憂鬱な気分になった。ここに書かれていることは、間違っていない。子どものネット利用に関して、様々な数値が書かれているが、そういう調査があるのだろう。ネット利用の光と影についても、例が出されている。これも、そういう事実があるのだろう。そして、終りのほうに、優れた実践が書かれている。
 では、何故憂鬱な気分になるのか。
 間違ってはいない「事実」が書かれ、優れた実践が紹介されているからといって、適切な方向性が示されるわけではないという、極めて典型的な文章だからである。私の知人は、こうした文章は、ICT活用に対するラッダイト運動だと評している。私は、そこまで言う気持ちはないが、しかし、いいたくなる気持ちはわかる。 “『教育』2020.10号を読む 山本宏樹「インターネットを生きる子どもたち-その保護と教育」” の続きを読む

ヨーロッパの感染拡大から考える

ヨーロッパでは連日のように、過去最大の感染数が確認されている国がある。イギリス、フランス、スペインなどだ。過去最大に拘らなければ、とにかく、主要な国でどんどん感染拡大が起きている。何故か。それは、まだ検証はされていないが、容易に想像できる。外国人の観光客の受けいれを再開したからである。日本でも、3月に感染が拡大したのは、大学の卒業旅行で、欧米に出かけた人たちが、ウィルスを持ち帰ったことが、大きな要因であったと考えられている。欧米にしても、日本にしても、外国で発生したウィルスが入ってきて流行したのだから、外国人の受け入れを大量に再開すれば、感染が拡大するのは、当然だろう。英仏、スペインだって、そのことはわかっていて、背に腹は代えられないと考えたのだろう。だが、やはり、危惧していた通り、感染は再度の爆発が起きてしまったわけである。ビジネスなどの往来はとめるわけにはいかないだろうが、観光の人々がどっと押し寄せることは、ヨーロッパの事例で、極めて危険であることが示された。 “ヨーロッパの感染拡大から考える” の続きを読む

学術会議会員任命問題(続き)

 学術会議の任命拒否についての議論が盛んだ。菅首相がインタビューに応じているが、肝心の部分には答えていない。いくら形式的に、任命権が首相にあるとか、法律に基づいてやったといっても、何故、この6人が拒否されたのかという理由は、全く別の問題であり、任命権が首相にあるならば、首相が説明しなければならないし、法律に基づいているというのならば、どのように法律的に処理されたのか、具体的に述べる必要があるはずである。今日の羽鳥モーニングショーでは、田崎史郎氏ですら、説明しなければいけないと主張していたくらいである。
 前回は「学問の自由」という観点から、今回の事件を考えたが、今回は組織的な面から考えてみたい。 “学術会議会員任命問題(続き)” の続きを読む