ヨーロッパの感染拡大から考える

ヨーロッパでは連日のように、過去最大の感染数が確認されている国がある。イギリス、フランス、スペインなどだ。過去最大に拘らなければ、とにかく、主要な国でどんどん感染拡大が起きている。何故か。それは、まだ検証はされていないが、容易に想像できる。外国人の観光客の受けいれを再開したからである。日本でも、3月に感染が拡大したのは、大学の卒業旅行で、欧米に出かけた人たちが、ウィルスを持ち帰ったことが、大きな要因であったと考えられている。欧米にしても、日本にしても、外国で発生したウィルスが入ってきて流行したのだから、外国人の受け入れを大量に再開すれば、感染が拡大するのは、当然だろう。英仏、スペインだって、そのことはわかっていて、背に腹は代えられないと考えたのだろう。だが、やはり、危惧していた通り、感染は再度の爆発が起きてしまったわけである。ビジネスなどの往来はとめるわけにはいかないだろうが、観光の人々がどっと押し寄せることは、ヨーロッパの事例で、極めて危険であることが示された。
 さて、オリンピックを行ったときには、どうなるのか。これは、誰でもわかる事態である。オリンピックでは、この夏のヨーロッパの観光客の比ではない人数が、どっと押し寄せるはずである。しかも、完全に密集した観衆が、大声で応援することになる。現在起こっているヨーロッパの観光国の感染拡大とは比較にならない形で、感染拡大が起きると考えねばならないだろう。
 そんなことを考えているときに、トランプの感染騒動が起きた。入院したと思ったら、病院から抜け出して、車で短距離だがパレードをする、そして、明らかに回復したわけではないのに退院して、ホワイトハウスに戻り、そこで治療を受けながら執務をするという。ホワイトハウス職員が既に10名も感染して、共和党議員も含めると20名だという。この数字は、「主立った」役職付きの人の人数であって、下級の職員などを含めると、おそらくもっと大きな人数になるだろう。通常であれば、次の大統領候補者討論会に、出るべきではないのに、(でるにしてもリモートだろう)本人は出る気でいるようだ。主治医は、トランプは元気などと言っている。自分がそこに出ること自体が、その場にいる人にリスクを与える行為である、などという自覚がまったく内容だ。その点については、アメリカでも批判が高まっているようだが。
 こうした一連の動向をみて、政治を動かしている人たちというのは、恐ろしく無責任な人たちがいるのだという実感を与えてくれる。
 日本の五輪組織委員会等、五輪を進めている人たちも同様だろう。youtubeの情報がどの程度確実なのかは、もちろん、疑う余地があるが、そこでは、組織委員会の職員が、補充されていないと報告されている。一年延期されたわけだから、組織委員会の職員は、契約が一年延長されなければならない。また、欠員が出れば補充される必要がある。しかし、一年の延長はなされておらず、半年なのだそうだ。半年後には、再契約が不要な事態になっている可能性を考慮してのことだろう。また、けっこう辞める人が出ているそうだが、その補充がほとんどなされていないというのである。これは、既に組織委員会が、延長オリンピックの開催が不可能であると判断していると考えざるをえないわけだ。IOCのほうでも、断固やるといったり、難しいといったり、方向性が定まらないような印象を与えている。IOCとしては、ぜひやりたいということはわかる。なんといっても、莫大な収入源であるアメリカのテレビによる放映権料が入らないことになるのだから、中止になれば、財政的に厳しい事態に陥ることは間違いない。しかし、現在の欧米の感染状況をみれば、常識的に開催が難しいことは、明らかではないだろうか。私には、JOCとIOCは、先に相手に中止をいわせようという応酬をしているようにみえるのだが。安倍晋三氏が辞職を最後に決意したのも、8月のヨーロッパの感染状況をみて、オリンピックは無理だと思ったことが大きな要因だったのではないかと、私は勝手に想像している。
 にもかかわらず、実施一辺倒の態度表明を繰り返し、かといって、感染防止の見通しや防御策が提示されているわけでもない。
 こういう事態になっているみると、やはり、オリンピック招致そのものが間違っていたのだ。嘘をついて招致したから、こうなったのだ、などと言うつもりはないが、オリンピックとか、万博とか、そういう大きな行事を開催することで、観光客を増やそうということ自体が、歪んだ観光政策なのではないかと思うのである。国際社会では、「持続可能性」が重視されているが、観光政策も同じではないか。爆発的でなくても、コンスタントに観光客が訪れるような「魅力ある観光地」を整備していくことが、持続可能な観光地だろう。オリンピックをやることになれば、それをあてにしたホテルなどが建設される。しかし、その後も集客が可能なのか。ホテルを建設した建築会社は十分な利益をあげるかも知れないが、ホテルの継続的な集客が保障されるわけではない。
 オリンピックのような利権の塊で、一時的なにぎやかさではなく、地道な日常性こそ大事ではないか。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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