矢内原忠雄が、極めて優れた社会科学者であり、その学問方法はマルクス主義に近いものだったのに対して、敬虔な、というより、熱烈なキリスト教徒であり、その信仰が、軍国主義的な政策を厳しく批判し、東大教授の地位を追われたにもかかわらず、信念を曲げなかったことを可能にしたことは、広く承認されている。
しかし、これは一見して、不可解であり、また、不思議なことである。完全な唯物論であるマルクス主義を、学問的な方法論として、かなりの部分採用し、かつ、熱心な宗教家であるということは、他に例を見ないからである。矢内原は、学問的方法と価値に関わることは別だとするが、その並立の在り方は、私には興味がある。矢内原には『キリスト教とマルクス主義』という著書や論文があるが、そこでは、キリスト教徒としての立場にたっている。ひとつの手がかりとして、矢内原が、「奇蹟」をどう考えていたかを考察してみよう。
キリスト教徒でない者にとっては、キリスト教は奇蹟を非常に重視し、いたるところでイエスの奇蹟が聖書に示されている印象がある。しかし、矢内原は、キリスト教は、それほど奇蹟を重視しているわけではないという。旧約聖書では、モーセの出エジプト記で、エジプトを出るとき、列王紀略のエリアとエリシャの伝記に少しある程度だとする。新約聖書では、イエスの出生と復活が大きな奇蹟として語られるが、イエスの伝導中に病人をなおしたり、嵐がおさまったり、パンが5000人分現れたりする奇蹟が、けっこう出てくる。しかし、矢内原は、パウロはそうした奇蹟について、ほとんど重視しておらず、つまり、キリスト教は、超自然的な奇蹟教ではないと考えているのである。
だが、他方で、聖書の中の奇蹟に関する記述がなければ、もっとキリスト教に積極的になれるという声があることも認めている。(「奇蹟について(再び)」全集15巻p363)
矢内原自身「奇蹟」については、何度も触れているので、やはり、信仰における奇蹟の問題は、重視されていたことがわかる。科学の発達した社会において、非科学的と一般にはみられる奇蹟の問題は、避けることができない課題でもあったろう。信仰にとって、奇蹟は大きな意味をもつし、信仰をもたない人間にとっては、奇蹟という、ありえないことを標榜していることが、信仰への不信感につながっているからである。また、現代人が、聖書に書かれている奇蹟を、そのまま信じることも、不自然である。
矢内原によれば、奇蹟への態度にはふたつあるという。(以下『嘉信』3号、1938年4月 みすず書房1巻)
1 イエスは神の子だから如何なる奇蹟でもなしうる。奇蹟の説明を試むることなどは冒瀆である。
2 科学的説明を試み、説明のつかないことは、事実無根の伝説であるとする。(p147)
2の場合、「穢れし霊に憑かれた人」を癒したのは、一種の精神病を精神作用で癒した。癩病も神経系統の疾患に限って、精神作用によって治癒された。湖上の突風は、丁度風が静まるころだった,血漏の女はちょうど出血のとまる生理的年齢に達したから止まった、死んだはずのヤイロの娘は、仮死状態から眼の覚める時期だった、5000人のパンは、各自がもってきたパンを出し合ったのである、等々という解釈になると矢内原はいう。
矢内原は1の立場には立っていない。かといって、2でもない。
科学的に説明ができることは、それでよい。神も科学的に不合理なことはしない。例えば、パンを石からつくるようなことはしていない。 逆に「科学の進歩を信ずる理知主義者が、現在の科学的知識によって理解し得ざるの故を以て奇蹟的事実を否定するのは、自家撞着である。科学は事実を説明するものであって、事実を創造するものではない。現在の知識を以て説明出来ない事実は将来の知識を以て説明を努むべきであって、事実そのものを否定することは許されないのである。」とする。(嘉信p22)
別の「奇蹟」という文章では、ロンドンの産婦人科の権威ある研究者が、無性受胎がありえないわけではないという研究を発表したことに対して、「かりに科学的に証明されなくても、イエスの奇蹟的な出生と奇蹟的復活を信ずる信仰には動揺がない」と書いている。(全集15巻p361)
イエスが、処女であるマリアから生まれたというのは、研究者によっては、「処女」という単語を、新約聖書に、旧約聖書の予言から取り入れる際に、単なる「少女」という単語を誤訳したのだという説をとる者もいるが、キリスト教の立場からすれば、イエスが神の子であるためには、ヨセフとマリアの子どもでは都合が悪かったのだろう。この出生と復活は、キリスト教における、常識的にはありえない現象だから、奇蹟そのものだが、だからこそ、信仰厚い研究者が、現実的にも無性受胎かありうることを証明したい情熱にかられるのだろう。しかし、矢内原は、それは信仰の問題であり、科学的事実の問題ではないとする。
逆に、奇蹟の事実を科学的に説明したとて、有り難みが減るわけではない。奇蹟の本質は、現象にあるのではなく、意味にあるのである。理知主義は説明するだけであって、奇蹟の含む真理を学ぶことはできない。理知は人生の一部に過ぎない。信仰がなければ、奇蹟の真理はわからず、信じさへすれば、如何なる奇蹟でも在り得るのである。
ではどういうときに奇蹟が起きるのか。奇蹟の条件があると矢内原は考える。以下の3条件である。
・イエスの愛
・人の信仰
・神の国の真理を教えるための一般的必要
イエスの愛と人の信仰が合わさったときに、奇蹟がおきる。しかし、無条件に起きるのではなく、神の国の必要な場合に生じる。どの奇蹟の事例か、矢内原は具体的に指摘はしていないが、聖書に語られている奇蹟は、すべて必要性があったということだろう。こうした奇蹟に近いことは、人間同士でも、信じ合う、愛し合うときに、大きな能力が沸いてくる。要するに、奇蹟は、神の国の必要という背景の下に、愛と信仰との結合より湧き出た神の力である。議論ではない、力である。
最後の部分で、矢内原は、必要性がなくなると、奇蹟も起きないという逆の事例として、ペンテコステについて書いている。ペンテコステとは、異言(まったく別の言語)を語ることを重視する宗派で、当時日本でも布教活動が盛んに行われていたという。そうした教えに対する疑義を呈しているということと解釈できる。やはり、奇蹟の在り方、考え方については、キリスト教信者といえども、多様な考えがあったのだろう。
「異言を語ることも一の賜物であって、ペンテコステの日以来初代教会に於て多くのその賜物が現れた。しかしかかる特殊の能力の奇蹟的発現は特殊の時代的必要によりたるものであるから、早く「止んだ」のである。」(嘉信p151)
結局、奇蹟は、矢内原にとって「病んでいる人に希望を与える」ことであって、「信仰を以て見れば、現代には現代的形態に於て奇蹟の恩恵は充満しているのである。自分がキリストを信じて救はれたといふ其の事自体が既に一の奇蹟的事実でないか。」として、心の安心、罪の許しをもたらすものだったと考えられる。
矢内原は、生前、誰からみても悔い改めなければならないような行為はなく、誰からも非難されるところのない人間と考えられていたが、死の床についたとき、非常に激しい罪の告白をしたという。罪が許されるということこそが、矢内原の信仰の基礎であり、それが奇蹟だったのかも知れない。