長谷川平蔵は、何度か危機的状況に陥ったことがあるが、その最大の危機は、京都に父の遺骨処理のために、休暇を利用して訪れていたときだった。休暇中であったにもかかわらず、虫栗一味をほとんど一網打尽にするという、実に水際立った働きを示した直後のことだ。にもかかわらず、この後で起きた事態は、まるで長谷川平蔵らしからぬ、間抜けな行動の連続によって起きたのだった。小説だから、どうということもないが、どこがどう問題だったのか、やはり、考察したくなるのである。
この逮捕劇で一躍有名人になってしまった平蔵は、江戸に帰ろうとするが、奈良見物を京都西町奉行の三浦伊勢守に勧められて、断りきれず承知する。しかし、虫栗一味の吟味の間暇なので、同行の木村忠吾と一緒に、愛宕山参詣にいく。しこたま飲んだあとの帰途、突然女に助けを求められ、脇差しを抜いて追いかけてきた30男が、女を差し出すように頼むが、それを追い払う。このとき、平蔵は、この30男が「只者ではない」と直感している。その後女を連れて、宿に帰る途中、この男があとをつけてくるのだが、平蔵は、それをうまく撒いてしまう。つまり、この日既に、只者でない男が、一端引き下がったのに、あとをつけてくる、という事態を、後々気にしていない。これが第一の油断。
奈良見物の打ち合わせにきた、同行予定の京都奉行所与力の浦部と話し合う機会があるが、事態がかなり深刻であることを認識しているような発言をしているのだが、結局、それを女に問いただすことをしていない。
平蔵の発言。「およね(女は名前だけ明かした)は、おぬしが役向きの人と知ってから尚もおびえはじめたようだ。と、申すことは・・奉行所よりも役人よりも、あの女にとっては、もっともっと恐ろしい何ものかにおびやかされている、と見てよかろうな」
これだけのことをいって、その後何も対策をとっていないのだ。(第二)
翌日、およねに、どうしてほしいのかと聞くと、およねは、,「もう死んでも・・・どうせひとりぼっちの私なのでござりますゆえ・・・」「いいえ・・ただ、死ぬときが・・こ、殺されるときのことをおもうと、それが恐ろしゅうて・・・」といい、部屋を出て行こうとするのを、奈良見物にいくのだが、と平蔵がいうと、ぜひ連れていってくれ、とおよねはいう。(第三 およねが殺される恐怖を抱いているのに、それを問いただそうともしない。これが長谷川平蔵か?)
明らかに、平蔵は、およねがかなり危険な状態にあることは、ここで明確に認識したが、どういうわけか、自分たちをつけてきた者がおり、かつ、かなりおそろしい集団に狙われていることを認識したのに、およねをかばっている自分たちに、その矛先が向く可能性を、まったくみていない。江戸にいる長谷川平蔵なら、ありえないことだ。(第四)
そして、虫栗一味の吟味も終り、晴れて奈良見物にいくことになるが、その前日、木村忠吾が奉行所に、浦部に明日出発すると伝言しにいく。そして、そのまま、二人で、平蔵のいる宿に帰ってくるのだが、その途中で、例の30男(猫鳥の伝五郎)に見つかり、あとをつけられて、宿を知られてしまう。二人が気づかないだけではなく、平蔵もまったくそういう可能性を考えてもいなかったようだ。(第五)
そして、翌日3人ででかけるのだが、しっかりとあとをつけられてしまう。(第六)
実は、およねは、奉公していた髙津の玄丹(宿屋を営んでいるが、実は大盗賊)が、大阪奉行所の稲垣同心を殺害する現場を見てしまったので、逃げているのである。そして、玄丹は、およねを匿っているのが、長谷川平蔵であることを知り、浪人10名以上を平蔵殺害のために派遣していた。そうした一環で、あとをつけてきた白狐の谷松をうまくとらえた平蔵は、横道にそれて、寺に泊まることにするが、捕らえられた白狐の谷松は、舌を噛み切って死んでしまう。そして、白狐の谷松の顔を確認したおよねは、それまでの事情をすべて告げる。そこで、平蔵は、髙津の玄丹のことを知るわけだが、それでも、京都奉行所に知らせ(どんな内容かは書かれていない)を頼んだ以外は、何もせずに、(第七)浦部と二人で奈良に向かい、結局、玄丹の雇った浪人たちが囲まれてしまう。浦部は馬で脱出させるが、平蔵は一人で10人を相手にし、殺害される寸でのところで、とつぜん岸井左馬之助が現れ、彼の投げつけた小刀が、平蔵を切り倒す寸前だった浪人の背中に命中し、岸井の働きで、浪人が追い散らされ、九死に一生をえるというわけである。
浪人に囲まれた段階で、髙津の玄丹を甘くみたことを、反省するのだが、とき既に遅しである。
さて、この長谷川平蔵の判断をどう思うだろうか。七回もの、平蔵らしからぬ油断と無策の連続なのである。もちろん、こういう判断の甘さがあるからこそ、劇的な切り合いと、岸井による救助が起きる。筋立て上、必要な段取りであるが、あまりにも、日頃の平蔵とは、違う甘さが、しかも連続している。
平素の平蔵なら、およねから、確実に、やさしい対応で、それまでの事情を聞き出すだろう。そうする必要があることは自覚していたし、また、聞き出すテクニックももっている。この話は、鬼平シリーズの初期に出てくるが、実は、平蔵の晩年の話である。つまり、十分に熟達した段階なのだ。
白狐の谷松が自殺して、およねが事実を伝えたときにも、ほとんど援軍等の要請をしていない。明らかに危険が迫っていることは、わかったはずだ。しかも、およねの口ぶりから、玄丹が、およねの母が奉公していた大和の豪農に、強盗に入ろうとしていることを感づいていたにもかかわらずである。こういうときには、平蔵は、躊躇せず旗本たちから、人数を借り出して、捕り物に備えている。捕り物と自身の身の危険を感じているにもかかわらず、何もせずに、たった二人で、およねの祖母の安全を確保するために、でかけているのである。こうした身分社会で、れっきとした旗本が、およねやその祖母の命を救うために、自分を危険に晒すか、という疑問はさておき、まだ、全24巻中の第3巻に出てくる一連の京都行きの話なので、次第に成熟してくる作者の平蔵像が、固まっていなくて、平蔵の鋭い勘や聞き出す力などのイメージが、はっきりしていなかったのだろうか、などとも考えたくなる。どんなに優れた人物でも、油断するとこうなるのだ、と作者が読者に語りたかったのか。