東京福祉大学の総長人事

 東京福祉大学の総長人事が話題になっている。10年前に、猥褻罪で有罪になった人物が、実刑を受け、10年経過したので、法的に復職可能ということで、総長に復帰したという人事だ。単なる猥褻罪ではなく、総長としての地位を利用している点が、更に問題となる。調べれば調べるほど、問題の大きな大学だ。
 この話題の人物、中島恒雄という人は、江戸時代の商人として有名な茶屋家の子孫で、いろいろな学園を創設し、東京福祉大学の創設者でもある。学習院大学を卒業し、小室圭で日本でも話題となっているフォーダム大学の大学院で教育学博士を取得したとウィキペディアに書かれている。この経歴をみると、今回の復職の理由がなんとなく感じられる。つまり、東京福祉大学は、この中島氏が創った大学であり、そういう意味で絶大な権力をもっているということだろう。人物識見が優れていて、他に代わる者がいない、などという説明がなされているようだが、創立者であること以外の理由は、眉唾だといえるだろう。
 総長の地位を利用して猥褻をする人間のどこが、人物識見が優れているといえるのか。
 この大学の問題は多岐にわたる。

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安倍前首相の証人喚問を

 安倍前首相の桜問題の説明が、いよいよ焦点になってきた。民主主義が徹底している国であれば、あのような嘘をつき続けること自体が無理だったろうが、一年間も嘘を通してしまう、そしてそれを許してしまう状況がまず問題だと思うが、それでも、嘘をついていたことは既に明確になったわけだから、説明が必要であることは、どんなに安倍氏に近い人でも認めざるをえなくなっている。
 しかし、これは多くの人が述べているように、安倍ラインと菅・二階ラインの権力闘争であり、その結果は、どちらが勝利したことを意味する。
 最初の権力闘争は、安倍氏が元気であることをアピールしたことだと、私は理解している。安倍氏が首相をやめたのは、一部メディアなどは病気の悪化のためだとしているのが、どう考えても、政治がうまくいかないことにやる気をなくした安倍氏が、政権を放り出したわけだ。第一次内閣のときも、本当の理由はそうだった。病気は後付けのように言われただけだ。今回は、安倍内閣のコロナ対策は、ほんとうに酷かった。そして、大きな非難に晒された。こういうときに、あくまで頑張るという良識と能力がない人物だから、案の定政権を放り出して、菅氏に後始末を押しつけた。もちろん、権力奪取に意欲的だった菅氏は、幸いとばかり権力を手にしたが、その後、安倍氏が元気になり、3選もありだ、などというアピールをしたのが、菅氏には受けいれらないものだったに違いない。それで、反撃に出たのが、桜問題の暴露だろう。そこで、安倍およびその側近たちが、3選を完全に諦めれば、進展は違ったのだろうが、むしろ、菅氏の支持率低下傾向か出て、反撃に出ているのが現状だと理解する。不起訴決定や非公開での説明などという路線でいけば、安倍氏の勝利であり、菅氏の痛手となるだろう。菅内閣にも安倍派はおり、上川法相と不起訴の関係はどうなのだろうなどと考えてしまう。

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CMの効果 どのようにして購入に至るか

 東洋経済「投資対効果を測れるテレビCM新時代の幕開け」によると、インターネット広告がテレビCMを超えた。それは、インターネットでの広告は、効果測定が詳細に可能であるのに対して、テレビのほうは無理だったからだが、現在では、テレビでもCM効果が測れる手法が開発され、それによると、動画で比較すると、テレビのほうがインターネットよりも5倍も効率的だということがわかってきたのだそうだ。それで、広告を送る側ではなく、受ける側として、CMについて、考えてみたいと思った。あまり物を買わなくなった世代としての話になってしまうが。
 
 もちろん人によって異なるだろうが、ある商品を買うときには、どういう経過で選択をするのだろうか。ほしいものが先にある場合と、別にそうではなく、何かをみて、これが欲しいと思いつくこともあるだろう。それがCMの場合もありうる。私の場合には、ほとんどが、まずこういうものが欲しいという必要性を感じる。だから、ネットでどのような製品があるのかを調べ、そして、アマゾンなどを見ることが多い。

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日本滞在のベトナム人の苦境

 アルバイト募集やアパートを借りるなどで、ベトナム人お断りが増えているそうだ。特に、豚の大量窃盗のあと、ベトナム人が豚を解体していて逮捕されたという報道によって、増幅したらしい。私自身、数年前から、日本に滞在するベトナム人による犯罪が目立つことが気になっていた。私のイメージでは、ベトナム人は概してまじめな人たちが多いというものだったからだ。なんといっても、私たちの世代は、青年期にベトナム戦争が進行しており、あのアメリカの不当な侵略戦争に屈せず、断固として闘い抜いたベトナム人の印象がある。アメリカがベトナム戦争に敗北し、撤退したあと、南ベトナムの住民が大量に、ボートピープルと化し、各地に亡命していった。そして、日本も大量のベトナム難民を受け入れたわけだ。日本がこうした大量の外国人の難民を受け入れたのは、初めてのことだった。ベトナム人は日本社会に溶けこんでいったと思っている。
 そして、ベトナム人による犯罪の増加だ。何故だろうと、ずっと疑問に思っていた。豚の窃盗事件があったとき、ベトナム人かも知れないと思ったのは、私だけではないだろう。そして、解体して食べたというベトナム人の逮捕だ。実際に盗んだ犯人ではなかったようだが、ベトナム人コミュニティのなかで、盗品が売られていたと報道されている。(産経新聞2020.12.20)

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クライバーの「カルメン」の音

 カルロス・クライバーのカルメンのDVDは、カルメンの代表的な名盤のひとつだ。しかし、以前からずっと問題になっていることがある。それは、「音」である。とにかくあまりに音が酷いという評価が定着している。私自身は、そんなに酷い音だとは思っていない。あの音は、オーケストラピットのなかで聞こえるような音に近いのだ。だから、オンマイクで拾った音をそのまま記録したような音だ。私は、市民オケをやっていて、練習会場や舞台で聞こえる音に近いので、特に違和感はないのだが、あのような生の音が商品としての「録音」として登場するのは、めずらしい。
 もうひとつの不思議な現象だと思っていたのは、あの映像は、日本では最初にNHKのBSで放映されたと記憶する。私もそうだったが、VHSのテープに録画して楽しんだものだ。この放送で、クライバーの人気は日本で一気に高まった。そして、このテープは何度も見直した。そして、そのときには、非常に自然な、つまり、ウィーンフィルの録音として聞き慣れた、つまり、デッカの録音で聞き慣れた音に聞こえていた。それが、DVDの登場で、まったく違う響きがしていたので驚いたわけだ。NHKの放送を知らない人は、DVDで初めて知ったわけだから、確かに、酷い音に聞こえたに違いない。このカルメンの市販されたものは、日本ではクライバーの死後に現れたので、そのころに出ている通常の録音や録画と比較すると、とてもいい録音とは言い難いのだ。実は、NHKとDVDの間に、CSのクラシカ・ジャパンでの放映もあり、それも録画したのだが、その音は、あまり印象がないのだ。NHKに近かったような記憶があるのだが、あまり意識しなかった。とにかく、DVDが出たときにびっくりしたわけだ。どうして同じ音源のはずなのに、これほどまでに違うのか、ずっと不思議に思っていたのだが、これが最近、原因がわかった。

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youtubeと表現の自由

 最近youtubeを見ていくと、閉鎖されたと述べているのが多い。閉鎖されたというのに、何故見られるのかがよく分からないのだが、武田邦彦氏もさかんに閉鎖されたと語っている。確かに最近の武田氏のyoutubeは、顔が写っていない。しかし、声は明らかに武田氏のものだから、違うアカウントをとったということなのか。あるいは過去のものが消されたということなのか。私はyoutubeを自分ではやっていないので、詳細はわからないのだが、武田氏がさかんに表現の自由の問題として取り上げているので、疑問を呈しておきたい。
 武田氏の攻撃はふたつの対象があり、ひとつは、閉鎖したということに対して、そして、それに抗議をしていないというリベラルに対してである。私が見たときの武田氏のyoutubeは、ほとんどがリベラルに対して向けられていた。つまり、普段表現の自由を主張しているくせに、こうしたyoutubeへの弾圧に対して何も言わないのか、おかしいではないかということだ。何故、そうした批判がリベラルに対してだけ向けられ、保守派やネトウヨたちには向けられないのか、理解に苦しむところだが、それはここでは論じる対象にはしない。
 憲法で規定されている表現の自由とは何か。youtubeでの表現は、憲法の表現の自由と同じなのか、そして、武田氏の主張は妥当かを検討する。
 憲法上の表現の自由とは、当たり前のことだが、第一義的には、私人が表現することについて、国家が干渉しないということだ。干渉しないといっても、他人の権利を侵害する不法行為にあたる表現については、被害者からの訴えがあれば、裁判所が干渉することになる。

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矢内原忠雄と丸山真男18 知識人とは何か エドワード・サイードの知識人論

 矢内原忠雄論をどういう視角で書くか、ずっと模索してきた。私は、キリスト教徒でもないし、また、経済学者でもない。だから、キリスト教徒としての矢内原忠雄から、詳細に学ぼうとは思わない。もちろん、矢内原が、どんな圧力にも屈せず、信念を貫き通すことができたのは、キリスト教の信仰によるのだから、そこを無視することはできない。何かを明らかにするために、戦中リベラルである矢内原忠雄と戦後リベラルの代表的人物である丸山真男を対比することで、見えてくるものがあると考え、「矢内原忠雄と丸山真男」という文章を書いてきた。そのなかで、二人の社会状況、政治状況との関わりに大きな差異があることに気づいた。矢内原は、東大教授に就任以来、単に植民政策の研究者、そしてキリスト教徒として以外、様々な分野に意見を発してきた。矢内原全集では、『時論』というカテゴリーでまとめられた文章が多数含まれている。専門の植民政策の研究も、時の植民地政策の批判的研究である。だから、現実の政府の政策に対する批判が柱となっている。

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35人学級が実現しそうだが

 教育界全体の願いといってもいいだろう、少人数学級に一歩前進したようだ。文科省の30人学級の予算要求に対して、難色を示していた財務省が、35人学級で折り合ったということだ。誤解している人も多いが、文科省は、その熱意はさておき、学級定員を減らすことについては、これまでも財務省と交渉しており、予算の関係で、大蔵省・財務省がずっとそれを拒否してきたわけだ。ずっとというのは、多少言い過ぎで、現在小学校1年生だけは、35人学級になっている。もちろん、このときも、文科省は、1年生だけでよいといっていたわけではなく、また、財務省も全学年の35人学級を認めたような報道がされたが、結局1年生だけになってしまった。しかも、決定したのが、かなり遅く、既に学級編成をしたあとだったので、学級編成を変える必要がたくさんでてきて、大変だった地域もある。 

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DH制度の導入の議論

 巨人がセリーグでもDH制度を導入しようと提案したのだが、セリーグのオーナー会議で否決されたそうだ。まず感じるのが、巨人のセリーグにおける地位がずいぶんと低下したものだという点だ。以前なら、巨人の提案に、他球団がこぞって反対するなどということは、考えられなかったと思う。先の日本シリーズで、巨人の主催ゲームでもDH制度を採用したことが、非常に変だと思っていたのだが、要するに、原監督は、DH制度導入を考えていたということだったようだ。
 これまで、リーグ全体に関わるような改革に対して、巨人は非常に消極的だという印象だった。DH制度にしろ、クライマックス・シリーズ、そしてセパ交流戦にしろ、パリーグが熱心であった。特に巨人は冷淡で、要するに、交流戦などは、巨人人気にあやかろうとしているだけだとか、DH制度などは、野球の基本に反するなどという、非常に保守的、あるいは、現状にあぐらをかくような対応だったのである。しかし、いつか、気がついてみたら、実力はおろか、人気の点でもパリーグのほうが上だったというのが、現在のプロ野球の実態になっていた。さすがに、これではいけないと考えての、DH制度の提案だったのだろう。確かに、いきなり提案されて、すぐに賛成するのは難しいだろう。特に、巨人が2年間8連敗でシリーズに敗れての提案だから、負け惜しみと取られても仕方ない。しかし、様々な集団スポーツが、分業体制になっていく傾向ははっきりしている。例えば、バレーボールのリベロなどがそうだ。以前は、6人制バレーボールは、文字通り6人でやるものであり、すべての選手が、守りと攻撃をするものだという前提だったが、リベロの導入は、分業の現れである。

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Eテレ売却騒動

 youtubeの高橋洋一チャンネルで、Eテレ売却論を見たとき、面白い発想だと思った。(実は、雑誌に寄稿した内容をyoutube でも流したようだ。)高橋洋一氏の考えに、すべて賛成できるわけではないが、この案は賛成できると思っていた。ところが、その後、この売却論に大きな反対意見があること、そして大論争になっているらしいことを知った。
 批判の多くは、Eテレこそ、NHKらしい番組を多く放映しており、それをなくしたら、NHKではなくなってしまう、という番組擁護論だった。しかし、高橋氏は、Eテレの内容が悪いから廃止せよとは、一言もいっておらず、電波帯を売却すれば、NHKの受信料を下げられるというだけだった。よい番組は、ネットで流せばよいという。したがって、Eテレの番組を守れ的な批判は、ほとんど取り上げる価値がないものだろう。高橋氏の問題提起をまったくねじ曲げているからである。
 しかし、違う立場からの高橋氏のEテレ電波売却論への反対もある。
 小寺信良氏の「NHK再編の狼煙、「Eテレ売却」は妥当か、素人考え」https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2012/10/news018.htmlだ。氏の主張は、Eテレの電波枠を売却しても、それほど大きな意味はない。Eテレの費用の多くは番組制作費だから、Eテレの電波を売っても、たいした意味がないというわけだ。受信料については、払っている者と払っていない者との公平感がまず問題だという。
 確かに、見ているのに払っていない人、見ないのに払わされている人という、二重の意味での不公平がある。
 そして、小寺氏によれば、むしろ、無駄は衛星放送ではないかという。すると、単に地デジのNHKだけではなく、BS、CS、そして民放を含めた議論にしていかないと、問題を把握てきないことになる。素人考えが無意味とは思わないので、考えてみたい。

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