今後の予告 シャーロック・ホームズ考察

 今日は久しぶりの市民コンサートで、ベートーヴェンの第九交響曲を演奏した。第九はやはりとても疲れる。特に、非常に速いテンポで演奏されたので、緊張も大きかった。私たちのオーケストラは、毎年12月に市民コンサートとして、このために編成される市民合唱団と、合唱付きの大曲を演奏するのだが、コロナのために2年間は中止せざるをえなかった。今年はぜひやろうということだったが、コロナの心配もあり、合唱の人数を絞った上での演奏会ということになり、合唱が響くだろうかと心配したのだが、聴いた人の話では、しっかりと響いていたということだ。合唱・独唱とオーケストラが合わせたのが、前日と当日だけだったのだが、何度も演奏したことがある曲なので、それでもなんとかなったようだ。
 ということで、今日は、あまり書くことがないので、予告編を。

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ロシア内部の軍事施設を攻撃

 ここ数日間のウクライナ情勢に関しては、ウクライナから遠く離れたロシア領内の軍事施設が攻撃されたことに、話題が集中している。これは、非常に大きなターニングポイントになりうる。
 当初、旧ソ連製の偵察用ドローンを、ウクライナが改良して攻撃機として使ったという説だった。偵察用だから、かなり航空可能距離が長く、1000キロ飛行可能だから、十分攻撃できる。ロシアのこの地域の防空施設が脆弱なために、攻撃を許したというわけだ。
 しかし、それには反論もでている。モスクワ周辺だから、防空施設はかなりしっかりしており、ウクライナ領内から700キロもドローン飛んできて、爆撃まですることは絶対に不可能であるという、ロシア元軍人の解説が出ているそうだ。ロシア自身によるやらせの可能性もあるが、わざわざモスクワに近い空軍基地の、しかも重要な爆撃機を損傷させるようなことを、現時点で行うメリットはあまり感じられない。とすると、やはり、少なくとも反ロシア勢力によるものだとすると、筑波大名誉教授の中村氏によれば、ウクライナ協力者のロシア人が実行したか、あるいは、入りこんでいるウクライナ特殊部隊に、協力して、近くからドローンを飛ばしたという。また、カザフスタンから飛ばしたという考えもできるそうだ。
 いずれにせよ、ウクライナの意思が起こしたとすれば、アメリカとの関係において、予想しがたい事態になっていく可能性がある。

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住民のクレームで公園を廃止

 長野市のある公園が、一人の住民の「子どもの声がうるさい」というクレームによって廃止されることになった。このことが、大きな話題となっている。
 茂木健一郎氏は、住民の主張がエキセントリックでしかないので、一ミリも共感できないと述べ、更に、子どもはどこでも遊ぶのが本来の姿で、そうした当たり前のことを忘れている現代社会が根本的におかしい、と断言している。
「茂木健一郎氏、住民の苦情で公園廃止「一ミリも共感できない」と思いつづる」
 他方、先日テレビのワイドショーにでていた橋下徹氏は、小学校と保育園が近接している場所に公園を作ること自体の問題を指摘していた。トラブルになることは事前にわかったはずといいたいようだ。

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第九交響曲のテンポ

 今週の日曜日に、私の所属する市民オーケストラの演奏会が行われる。メインはベートーヴェンの第九交響曲だ。毎年12月に市民コンサートとして、大規模な合唱曲をやるのだが、コロナのために中止になっていて、今年は2019年以来のことになる。練習機会が少ないので、やりなれている第九になった。そして、今回テンポについて、考えざるをえない場面が多かったので、市販されている演奏のテンポ比較をしてみた。
 周知のように、ベートーヴェン存命中に、メルツェルという人がメトロノームを発明して、ベートーヴェンは、事後的に、自分の曲にメトロノームによる速度指定を行った。しかし、1970年代くらいまでのベートーヴェン演奏は、その指定よりも概してゆっくりに演奏されていた。しかし、古学派が少しずつ地歩を築きだしたことで、ベートーヴェンのテンポ通りに演奏すべきだという考えも出てきた。そして、事実、それまではほとんどなかった快速テンポの第九演奏も現れた。

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親中国の国が増えているというが

 『選択』という雑誌の12月号に、「「親中国家」静かなる増殖 自由主義陣営はどう巻き返すか」という記事がある。明らかに不当な侵略戦争をしているのにもかかわらず、ロシアを非難しない国家は多数ある。そして、先日開催されたG20では、自由主義陣営と親中国の陣営が、ほぼ同数になったという。もちろん、ロシアのウクライナ侵略への是非の分布ではないが、中国が次第に自らの陣営に参加させている国家が増えている一方、自由主義陣営のやり方に対する疑問が、露になる機会が目立つというわけだ。その典型が、カタールで行われているサッカーW杯という。同性愛に厳しい政策をとるカタールに対して、EU諸国、特にドイツが抗議の意思を明確にしたことに対して、政治をスポーツに持ち込むものだという反感が強くだされた。ここに象徴されるように、自由主義陣営は、民主主義的な価値を押しつける。西欧的価値観に沿わないまま、それを維持しようとすると、経済的、政治的圧力をかける。それに対して、中国は、それぞれの国の内情には、あまり首を突っ込まない。だから、つきあいやすいというわけだ。

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読書ノート『ウクライナ日記』(アンドレイ・クルコフ)集英社

 アンドレイ・クルコフは、レニングラード(現サンクト・プテルブルク)で生まれ、幼少のころにウクライナのキエフに移住して、ずっとキエフに住んでいるウクライナの作家である。そして、この『ウクライナ日記』は2013年から2014年にかけて起きたマイダン革命から、ロシアによるクリミア併合に至る時期の日記である。ジャーナリストや研究者による記録や研究書ではなく、あくまでも作家がみたり、考えたりしたことが綴られている。だから、裏で起きていることは、ほとんど語られていない。メディアで報道されていたような事実も、クルコフが伝聞で聞いたこととして書かれている。社会が非常に緊迫して、暴力沙汰があちこちで起きている時期でも、劇場にいって芝居をみたり、あるいは旅行に出たりしている。そして、そのときの家族生活が詳しく描写されていたりする。
 しかし、だからこそ、市民が遭遇した緊迫した政治の変化が、実感をもって迫ってくるのである。

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再論 学校教育から何を削るか8 集団的宿泊行事

 教師の過剰労働には、日常的なものと、年に一度の行事とがある。行事は単にその当日だけではなく、実行のための準備期間が必要だ。おそらく準備期間が大変なのが運動会であり、当日事故なく行うのが大変なのが集団的宿泊行事であろう。集団的宿泊行事の仕事を、教師に強制することは、極めて過酷であるだけではなく、不当な内容を含んでいるといわざるをえない。従って、集団的宿泊行事は廃止されるべきである。
 
 学習指導要領には、特別活動の学校行事の項目で、「遠足・集団宿泊的行事」が明記されている。

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ウクライナは優勢なのか?

    ウクライナ情勢は、かなりの進展があり、一般的な報道では、おおげさではないが、ウクライナ側に勢いがあることを伝えている。ウクライナを応援するyoutubeでは、もっとウクライナ優勢が誇張されており、ロシア軍はどんどん崩壊しつつあるような主張だ。しかし、それは本当なのだろうか。
 他方では、以下のような記事もある。
 「国土割譲もやむなし、ウクライナに必要な早期和平協定」 横山恭三 2022.12.2
がそのひとつだ。
 表題の通り、欧米では停戦を望む声が大きくなっているというものだ。その理由として、横山氏は、ヨーロッパのウクライナ支援疲れと、バイデンのアルマゲドン発言(核戦争の危険)がアメリカ国民に恐怖感を与え、厭戦気分が生じているというのだ。

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指導死を考える2

 前回は、子どものための対策を考えたが、今回は、教師のための対策と制度的対策を考えることにする。
 教師は指導死の加害者であり、「教師のための」というのはおかしいのではないか、という感情もあるだろうが、いじめ問題の解決のためには、加害者のケアも必要であるように、指導死における教師のケア、特に指導死に至るような指導をしないで済む対策が必要である。
 指導死をもたらすような指導を教師がしている場合、それは大きくふたつの要因が考えられる。
 第一は、そもそも間違った指導観、厳しくすることが効果をあげる、いっても聞かない生徒は、力をもってわからせる必要がある、ミスをしたら徹底的に反復練習をさせる、等々の感覚をもっていることである。
 第二には、そうした間違った指導観をもっていなくても、疲労などでいらいらしてしまい、感情的な指導になってしまう場合である。

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指導死を考える1

 教師による指導死が問題になっている。指導死とは、教師の不適切な指導によって、生徒が自殺してしまうことであるが、実際にどの程度の指導死が起きているかは、厳密にはわからない。ウィキペディアには、知られた指導死の事例が出ているが、文科省の統計には、項目として存在しないだけではなく、文科省のホームページで「指導死」で検索すると2件ヒットするのみである。
 ひとつは、「いじめ防止対策協議会(平成27年度)(第1回)議事要旨」での小森美登里氏の発話のなかに一回出てくるだけで、委員による反応はない。
 小森氏は、指導死は広い意味でいじめ事件であると認識しているのに対して、委員たち、そして文科省は、いじめのなかに含めていない。そのことは、次の文章で明確である。
 山田太郎という人のブログに以下のような記述がある。
 
「教員による「指導死」は調査に含まれない!?こども庁には、現場の調査機能が必要!」
「”バレーボールの授業中にAさん(小4)が誤ってボールを頭で受けてしまい、兼ねてから仲が悪かった女性担任から「ふざけるなら、やらんでもいい」と怒られました。以降、不登校になり、通学路を見るだけで吐き気に襲われるようになりました。

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