大坂なおみの不調 「迷ったら苦しい方を選べ」

大坂なおみが、また破れた。ウィンブルドンは最初の試合での敗退だ。全豪オープンでの優勝後、ほとんど活躍できていない。しかし、こうなるのではないかと、大坂が全豪オープンのあと、コーチを突然変えたときに予想した。もちろん、今後どうなるかはわからないが、また、コーチを変えた真相は知るよしもないが、とりあえず、想像した仮定での考察をしてみたい。それが事実とは違っていたとしても、考察の筋道そのものは意味があると思う。
 大坂がコーチを変えたときに、まず思い出したのは、天才ボクサーのマーク・タイソンのことだ。 “大坂なおみの不調 「迷ったら苦しい方を選べ」” の続きを読む

名古屋城の木造復元問題 復元でも新築は現代の基準で

 世界中から注目されているG20挨拶で、安部首相が、大坂城はすばらしい復元だったが、唯一エレベーターの設置はミスだったと述べて、顰蹙をかっている。社会的弱者のことなど、つゆほども考えていない首相らしい発言だと思ったが、もしかしたら、名古屋城で散々揉めていることを意識し、エレベーターなど作るなと、作らない派にエールを送っているのかも知れない。
 名古屋城問題は、あまり関心がなく、詳しいことは全く知らなかったのだが、調べてみた。2009年からの毎日新聞の記事を検索にかけて、目を通した。これほど膠着していたのかと驚いたが、安部首相の応援は、かえって河村市長にとってプラスにはならないに違いない。
 一応、経緯と論点を整理しておこう。
 名古屋城は、明治初期の城の破壊を免れたが、第二次大戦の爆撃で消失してしまったので、コンクリート建築で再現されたのが、今の名古屋城である。もちろん愛知県の観光の重要な名所のひとつだが、耐震の問題があるので、補強工事を計画していた。しかし、2009年の市長選で河村氏が当選し、彼の強い意欲で、木造の復元にする方向に舵をきった。名古屋城の図面など、江戸時代の復元に可能な資料がかなり揃っているのだそうで、コンクリート建築であれば、耐震補強したとしても、建物自体の寿命があるので、木造として復元したほうが、長持ちするし、また、観光的な意味でも歓迎されるという判断のようだ。そして、2020年のオリンピックにあわせて、完成するという構想だった。 “名古屋城の木造復元問題 復元でも新築は現代の基準で” の続きを読む

犯罪加害者の表現の自由2

 では、犯罪者自身が、表現活動を行うことをどう考えるのか。
 まず、事実として、インターネットが普及している現在では、それを完全に禁止することはできない。できないことをやろうとすることは無意味である。また、話題性をもつものであれば、営利的な公表手段を提供する企業が出てくることも避けられない。もちろん、それを野放しにしていいかは、別問題としてあるだろう。今でも話題になる女子高校生を40日間監禁して死に至らしめた事件は、単にニュース、ワイドショー、週刊誌で大々的に取り上げられただけではなく、映画にもなり、私は見ていないかが、報道によれば、興味本位的、醜悪な内容で、被害者の関係者を酷く不快にするものだったという。被害者側に精神的打撃をあたえるような内容の公表に対しては、不法行為を積極的に認定するという抑制手段もある。
 犯罪加害者側が表現活動を行うとすると、それはどういう目的があるのだろうか。 “犯罪加害者の表現の自由2” の続きを読む

京都工芸繊維大学教授諭旨懲戒解雇 多少疑問だが

 毎日新聞2019.6.27によると、京都工芸繊維大学の教授が、学内で無断の営利行為をしたということで、解雇されたという。
 自分の専門にかかわる企業3社に学内の機器を使わせるなどして、設備使用料や技術指導料など、合計170万を受け取り、更に09-16年に学長の許可なく5社で兼業したという。ただし、受け取った金は研究費などにあて、私的流用はなかった。教授は事実を認め、「手続きや規則を認識していなかった」などと弁明したが、学長は「極めて遺憾。学生や社会に深くおわびします」とのコメントをだしたとされる。同趣旨の記事は多数あったが、どれもほぼ同じである。

 あまりに簡単な記事なので詳細がわからず、材料不足でもあるが、可能性をいくつかあげつつ考えてみたい。 “京都工芸繊維大学教授諭旨懲戒解雇 多少疑問だが” の続きを読む

皇室問題を考える

 昨今の皇室をめぐるメディア上での議論をみていると、時代の変遷を感じざるをえない。戦前は当然のこととして、戦後もずっと、「菊タブー」といわれ、皇室を批判的に議論することは、最大の言論のタブーであった。皇室批判を表面だって行えば、右翼の暴力的介入を覚悟する必要があったほどである。
 ウィキペディアによれば、2005年くらいまでは、菊タブー的現象があったようだが、2010年以降には、あまり起こっていない。最初のきっかけは、雅子皇太子妃へのメディア上での批判を宮内庁が放置したことだったようだ。当時の皇太子による「人格否定発言」があり、かなり激しい皇太子一家へのバッシングがあった。当時の皇太子の海外訪問などに関しても、酷い評価がインターネット上に今でも残っていて、海外王室からはあきれられているというような文があふれているのだ。 “皇室問題を考える” の続きを読む

保釈の拡大は間違いではない

 実刑が確定したために、保釈中だった容疑者を収監のために赴いた検察官と警官を振り切って逃げたという事件で、保釈問題が議論されている。収容のために、横浜地検担当者5名と、神奈川県警厚木署員2名を一人の男が刃物を振りかざしたとはいえ、逃げてしまい、その後緊急配備までに4時間もかかり、2日たった現在(22日14時半)捕まっていないという失態である。最近は、ニュースにあまり驚かなくなってしまったが、これには驚いた。
 そして、こういう容疑者を保釈したのは、適切なのかという疑問が出されているわけである。この背景には、近年裁判所が保釈を認める事例が多くなっていることもあるとされる。
 逆にカルロス・ゴーン氏の事例では、なかなか保釈を認めないことが、国際的に批判されていた。まだ容疑者が捕まっていない段階であるが、小林容疑者を保釈したことについては、私は間違っているとは思えない。むしろ、これまであまりに厳格に拘置していたことのほうが問題だったと思うので、保釈拡大は適切な方向ではないだろうか。アメリカのように、殺人容疑でも保釈されるというのは、さすがに疑問だが。
 ただし、アメリカと日本で異なるのは、日本の刑事犯は、起訴された事件では、圧倒的に有罪となっている、確実に有罪にできる事件だけ起訴しているという背景を考えなければならない。つまり、起訴された容疑者は、犯人なのだという感覚がある。近代刑事政策における「推定無罪」という感覚は、日本人にはかなり弱いのである。もちろん、アメリカのように、有罪ではないかも知れない、あるいは有罪にできないかも知れない段階で、容疑者を起訴するのがいいとは思わない。「推定無罪」というのは、そうした疑わしい者は起訴するという訴訟文化と結びついているような気もする。
 しかし、だからといって、日本では起訴=有罪としても、有罪が確定するまでは、推定無罪の原則を適用すべきである。そして、証拠隠滅や逃亡の恐れがない場合には、保釈すべきである。拘置していれば、その間の生活も保障するわけだし、それはそれとして不合理である。
 ただし、やはり、保釈金などは、逃亡する気持ちを起こさせない額に設定すべきであるし、また、逃亡した場合には、かならず刑をかなりの程度引き上げるようにする必要がある。
 では、今回の事件についてどう思うか。
 もちろん、保釈していなければ起きなかった事件であるが、しかし、実刑が確定して、4カ月も放置していたことが最も大きな問題であって、報道によれば、実刑確定後、友人たちが送別会などをしてくれたというが、そういうなかで、逃亡を考えだした可能性が高いのではないだろうか。仮定の話は意味がないにしても、実刑確定後、最初の呼び出しに応じなかった時点で直ぐに収容にいけば、逃亡意思が固まっていなかった可能性は強いと想像できる。逃亡には友人の援助があるようなので、4カ月の間にそうした雰囲気が形成されていたと考えるのは自然だろう。
 もうひとつ不可解なのは、男が7人、しかもそのうちの2人は警察官であるのに、一人の男に逃げられたということだ。しかも、逃げられたあと、緊急配備までに4時間もかかるというのは、警察の完全な失態だろう。なぜ、神奈川県刑は、これほどまでに大きな失策をするのだろうか。保釈論議も大事だが、こちらのほうが重大だ。

慰安婦問題を扱った『主戦場』を見て

 普段映画を見にいくことはほとんどないのだが、左右の論客にインタビューしたというドキュメント映画『主戦場』はぜひ見たいと思ってでかけた。驚いたことに、平日の昼間なのに、客席が8割くらい埋まっていた。年に2回程度はいくのだが、ほとんど2割以下なので、かなり注目されているのだろう。(もっとも、インターネットで評価を読むと、連日満員で立ち見もでるという地域もあるらしい。)また、ネットで、ここに登場した右派のひとたちが、扱い方が公正でなく、自分たちの主張が、一部を取り出されることで歪められていると抗議の声をあげているという記事を読んで、そこに注目した。慰安婦問題については、最初に知ってから50年以上たっているし、私自身の立場は固まっているから、この映画をみて、考えが変わったことはないが、新しく知ったことはいくつかあった。(慰安婦問題などないという人を右派、あるという人を左派とここでは書く。)
 ただ一度、映画館でみただけだから、正確に憶えているわけではないが、慰安婦像設置をめぐる対立、河野談話、日韓の協定、アメリカのグレンデール市、サンフランシスコでの慰安婦設置、強制連行、性奴隷、国際法違反、教科書扱い等々、様々なトピックごとに、相対立する立場の論者のインタビューを重ねていく。右派たちから抗議があがったということでわかるように、彼らの主張に論理の強さは感じられない。 “慰安婦問題を扱った『主戦場』を見て” の続きを読む

官庁審議会答申が政府見解と違う? 有り得ない麻生答弁

金融審議会市場ワーキング・グループの報告書「高齢社会における資産形成・管理」が大きな議論を巻き起こしている。私も高齢者であるし、関心もあるので、専門家ではないが、読んでみた。しかし、正直いって、そんなにどんでもない報告なのか、よくわからない。
 金融審議会というのだから、当然金融庁の審議会であって、その立場から高齢社会をどう乗り切るかをまとめたものだ。厚生労働省の立場からすれば、当然異なる内容になるだろう。例えば、次のような記述がある。

 「わが国の高齢者は総じて元気である。これは、他国に比して、また過去と比較しても当てはまる。2016 年においては、65 歳から69 歳の男性の55%、女性の34%が働いており、これらの比率は世界でも格段に高い水準となっている。 “官庁審議会答申が政府見解と違う? 有り得ない麻生答弁” の続きを読む

グレータ・トゥンベル 気候変動デモで数々の栄誉

 何度か紹介したスウェーデンの少女グレータ・トゥンベルが、またスウェーデンの新聞で扱われているので、紹介をしたい。
 日本でも、いくつかの新聞で紹介されたが、気候変動に関するパリ条約を、きちんと履行しようとしない政治家たちに抗議して、昨年からグレータが始めた運動が、世界に広まって、いまでも、勢いという点では弱まっているが、むしろ大人にも影響して、確実に定着しつつあるといえるものである。
 記事は、För ett år sedan gjorde hon debut som debattör i SvD. Nu är Greta Thunberg världskändという題で、説明を加えながら、グレータの発言やインタビューを載せている。Svenska Dagbladet の2019年6月3日付け、筆者は、Henning Eklundである。
 昨年5月31日に、はじめてこの新聞に登場したという。

 「みなさんが、何をして、何をしないかが、私たちの孫や曾孫たちに影響を与えるのです。おそらく彼らは、何故しなかったのか、何故知っているのにしなかったのか、という問いかけをするでしょう。」 “グレータ・トゥンベル 気候変動デモで数々の栄誉” の続きを読む

川崎事件を考える 「一人で死ね」論争、藤田提起に関して

 川崎での事件は、教育学の人間としては、何よりも、登校中であり、しかも、最も安全な登校方法であるとされてきたスクールバスに関連して起きたこと、更に、学校関係者が警戒し、何人か保護者もいた中で起きた事件であるという点が、最大の考察課題となる。しかし、ここまで瞬間的ともいうべき短時間で犯行をされては、対応を考えることも難しい。これは対応のしようがないという人も少なくなかった。当日見守るためにそこにいた人もいるということであれば、(まさかあのようなことが起きるとは思っていなかったので、警戒をしたわけではないのだろう。)武器をもつわけにはいかないから、学校のように、刺股でももち、全方位を見守っているしかないのかも知れない。警官に見回ってもらうことができれば、ベストだろうが、「警官見回り中」との看板を立てておくというのも、若干の抑止にはなるかもしれない。
 この点については、別途考察したいので、今回話題になっている件について書きたい。
 川崎での事件をきっかけに、「一人で死ね」という書き込みがSNSに殺到し、それに対して、藤田孝典氏が、制止する書き込みをヤフーにしたことで大論争になっている。当初2チャンネル等での議論(圧倒的に、「一人で死ね」派が優勢)、ワイドショーでのやりとり、そして、新聞やブログでの多少落ち着いた記事と移ってきた。
 私は、「一人で死ね」「巻き込むな」という感情はもちろんもっているが、それを生の形で表明しようとは思わない。もっと事態を分析したいと考える。他方、藤田氏のような書き方にも、違和感がある。 “川崎事件を考える 「一人で死ね」論争、藤田提起に関して” の続きを読む