現在行われているセンター試験に代わって、来年度から「大学入学共通試験」が導入されることになっている。最初に、大学入試センターの試験は、「共通一次試験」という名称だったから、「共通」が復活したわけだ。何が「共通」なのかは、正確にはわからない。というのは、少なくとも私立大学の多くが参加するが、義務ではないし、私立大学の場合には、センター試験は、おそらく別枠になっていると思われる。当初、センター試験の改革案として、大学に入学する者全員が受けなければならない「資格試験」という構想もあった。それが採用されていれば、明確に「共通試験」だったと思うが、採用されなかったので、率直にいって、「共通」の意味はよくわからない。
それはさておき、大きな改革点は、国語と数学に記述式問題が導入されることと、英語に民間検定試験が採用されるという点だろう。問題の作成理念として、考えさせる問題を含むというようなことが解説されているが、およそ問題を作成するときに、まったく考えなくてよい問題など意図しないのだから、これは、大きな変更点とはいえない。
私自身は、センター試験のありかたにも、様々な疑問はあるが、共通試験になると、その疑問は大きくなる感じがしている。もっとも、私は来年度大学に在職していないので、試行テストにも参加していない。だから、あまり切実感はないのだが、入試制度については、長年研究もしてきたので、考えるところはある。
中途半端な記述式
まず記述式問題を導入するという点であるが、実際に試行テストの問題をみたが、率直にいって、「いれました」というアリバイ的な感じ以上のものではない。中途半端としかいいようがない。記述式問題というのは、書く量が多くなればなるほど、採点のばらつきがでるものだ。これは、入試の小論文を長年採点してきたので、否定できない事実である。もちろん、ばらつきがあるから、複数で採点し、採点者の間の点数が大きい場合には、ひとつひとつ議論して調整するという作業をしてきたから、公正さはできるだけ担保しようという努力はしている。試行テストの国語の問題の「字数」は、最大120文字となっているようで、昨年の試行テストでは、120字問題は、1題のみである。そして、もっと短い問題が2題ほど出ていた。
もちろん、記述式問題をとりいれることは、いいことであるが、このような中途半端なやりかたで、記述式によって測られる学力が、きちんと試されるのだろうかという疑問は拭えない。むしろ、採点を心配してしまう。入試センターとしては、採点の手配は済んでいるのだろうが、なにしろ50万人以上受験するわけだから、問題数はわずかでも、採点量は膨大になる。私は、このわずかな記述式問題をとりいれ、(中途半端な計測にしかならない)膨大な採点負担を生じさせることには、反対せざるをえない。
記述式で測るならば、もっと徹底した記述式問題にすべきである。では、その場合の採点の負担はどうするのか。
私は、ふたつのやりかたがあると思う。
ドイツのやり方
ひとつは、日本の試験制度として、今からとりいれることは、少なくとも緊急にはできないが、ドイツやオランダで行われているアビトゥア試験や卒業試験である。つまり、大学に接続する高校の卒業試験を合格すると、大学に自由に選択して入学できる仕組みであるが、高校の卒業試験だから、基本的に高校の教師が採点するわけである。もちろん、採点の公正さを保持するために、自校だけの採点ではなく、他校の教師も関わることになっている。ドイツのアビトゥア試験の問題そのものをじっくり見たことがあるが、1科目数時間かけて、論述する徹底した記述式問題である。卒業生の数だけしかないし、また、科目も選択なので、一科目あたりの採点数は、それほど多くない。多くても200枚程度なのではないか。
これは、大学入学は、高校の課程を充分に習得したことで許可されるという原則が明確になっているから、こうしたシステムで行われている。
しかし、日本の大学入試は、高校での学力が達成されているかをみるのか、大学に入って必要な学力をみるのか、まったく明確ではないのである。大学が入試を行うから、後者であるようにも見えるが、問題は高校の学習指導要領の範囲から出題される。だから前者の側面も強い。これが、あいまいであることが、入試制度が混乱する要因のひとつである。センター試験改革の初期には、先述したように、高校卒業資格という要素を押し出す案もあったが、結局、どっちつかずのものになっている。
日本で記述式入試をしっかりやるには
日本の入試制度を前提とずくと、私は以下のような制度がよいと考えている。
改革される共通試験は、高校で学ぶべき内容の達成度を試験するものにする。もちろん、私立大学がどう扱うかは自由である。そして、国立大学や公立大学は、共通試験に加えて、大学独自の試験を実施することを義務づけるべきである。
共通試験は、すべてマークシート方式で、これまでのセンター試験のような形式で問題ないと思う。
国立大学は、共通試験で一定の点数をとった者、あるいは、一定に割合にしぼった受験生に対して、記述式を主体とした問題で二次試験を行い、両者の点数をどう扱うかは、大学が決めればよい。二次試験は、大学が求める学力を測る内容に絞って出題する。大学側が求める学力は、当然、記述式でこそ測られるはずである。人数的には、かなり絞られるから、採点は可能であろうし、大学が求める学力を測るのだから、当然、その大学の教員が採点を行うべきである。二次試験を実施していた大学は、自前で採点していたはずであるから、それは変わらない。ただし、センター試験だけの結果で当否を決めることは、大学としてのありかたとして、私は問題だと思っている。私立大学は、センター試験は一部で、独自試験をしている。私は、ヨーロッパのような高校卒業試験方式のほうがよいと思っているが、日本の慣行を考えれば、以上のようなやりかたが妥当なのではないだろうか。
英語の民間検定試験採用
次に英語の民間検定試験採用問題だが、これは、高校関係者から延期の要請が出ている。
率直にいって、かなり無理がある方法だと思わざるをえない。もし、民間検定のどれを使うか、大学が自由に選択できるのであれば、私立大学の多くは、抵抗がないのではなかろうか。所詮共通テストは、定員の一部をとるだけだから、大学の考えによって、位置づければよい。しかし、国立大学は、たくさんの独自入学試験を実施するわけではないから、英語の問題のありかたは、やはり、重要な意味をもつ。これまでは、通常の英語の入試問題の他に、あるときから、リスニング試験が導入されたわけで、その両方が実施されていたのだが、そのうち民間検定試験一本になるというのだから、疑問が生じるのは当然だろう。文科省と検定試験実施主体との癒着があるのではないか、という疑問も出されている。複数の民間試験の点数を調整することについても、本当に合理的で納得のいく処理ができるのか。延期要望が出ているということは、納得していない高校が少なくないということだろう。しかし、今年度に実施されるセンター試験が最後であることは、規定の路線で、次の試験の実施様式は公表されているのだから、それを変えると、予告の方式を前提として受験勉強をしてきた人たちに、大きな被害をもたらすことにもなる。いずれにせよ、大きな混乱は避けられないに違いない。
個々の大学が、英語の試験をどのように実施し、どのように扱うかを、丁寧に、入試要項で説明すること、そして、実施された結果を説明すること、このふたつが必要だと思う。