アントリス・ネルソンスのカルメン 40年経つと同じ演出でもずいぶん違う

 youtube を開いたら、偶然ネルソンス指揮の「カルメン」があった。ネルソンスには興味があるので開いてみると、それは、2018年1月のウィーンでのライブ、しかもフランコ・ゼッフィレルリの演出となっている。見てみようと思い、2幕まで視聴した。ウィーンやミラノなどの常設歌劇場は、ひとつの演出で公演が行われると、その演出でしばらく上演が続く。とはいえ、長く続く演出は、どのくらいあるのかわからないが、このカルメンはプレミエが1978年、カルロス・クライバーによる有名な演奏だから、40年続いていることになる。同じゼッフィレルリのミラノにおける「ボエーム」は1963年がプレミエなので、半世紀以上続いていたし、世界中で採用されている演出である。彼の他の演出もけっこう広く、かつ長く継続しているので、理由があるのだろう。私が推測するに、彼の演出は、とにかく「豪華」でお金をかけていることがすぐにわかるのが特徴だ。ゼッフィレルリは、ギャラはあまり要求しないが、演出にかかる費用は惜しむな、という姿勢を保持していたらしい。それは舞台を見るとすぐにわかる。
 まず最大の特徴は、人がたくさん出てくることだ。ボエームの第二幕、カルチェラタンでは舞台を2段にわけて、それぞれぎっしりと人がのっている。クリスマスのカルチェラタンに繰り出した人々なのだが、200名はのっているといわれている。通常こうした人々は合唱団なのだが、そんなに合唱の人はいないし、また必要でもないのて、単にぶらぶらしていくだけだ。カルメンでも、第一幕は、煙草工場の側ということになっているのだが、工場の女工、軍隊、行進する子どもたち、女工にいいよろうとする男たちは、ドラマ上必要な人たちで、どんな演奏でもいるが、そこに、教会の学校で学ぶ生徒と神父とか、物売りの人、単に歩いている人たちなど、とにかく大勢が舞台を行き交っている。ところが、プレミエのクライバー版と、今回のネルソンス版では、人々の扱いが大分違っていた。人数も半分くらいしかいない。同じ演出なのだから、もちろん、似ているのだが、40年もたっているし、当人がなくなっているので、指導はできない。当然変化していくわけだろう。
 一番の違いは、クライバー版では、とにかく出ている人たちが動く。有名なハバネラをあげてみよう。ハバネラは、恋には気をつけろというような内容だが、カルメンは、群衆たちの間を歩き回り、何人もからかい、ちょっかいを出しながら歌う。そして、ちょっかいをだすたびに、周りの人たちが喝采をおくる。紳士のポケットから懐中時計をとりだして、見せびらかし、紳士が返してくれと追いかけるというような場面もある。とにかく、みていても面白いのだ。ところが、ネルソンス版では、カルメンがハバネラを歌っているときには、ほとんど動かず、合唱やオケの演奏になると、動き出す。群衆は、あまり動かないし、はやしたてもしない。
 一時、(今でもそうかも知れないが)演出家がオペラ上演のイニシアをとり、やたらに歌手に対して、動きながら歌わせるような演出があった。オペラといっても、劇だから、当然動きはあるのだが、あまり激しく動くと、やはり歌うことに支障がでるかも知れない。適度に動くと、歌いやすいという歌手の話を読んだことがあるが、おそらく、ゼッフィレルリの動きは、歌手にとって歌いやすいものなのだろう。動く場面は、他に、カルメンに男たちがいいよる場面、子どもたちが行進して出てくる、また出て行く場面、カルメンがホセを突き飛ばして逃げる場面など、クライバー版ではまわりの人たちや当人が活発に動き回るのだが、ネルソンス版では、動きが限られている。兵隊たちをまねて行進する少年たちが、ネルソンス版では、直立不動で聴衆のほうを向いて歌っていたのは、少々興ざめした。
 クライバーの演奏はプレミエ(その演出の初めての上演)だから、かなり練習が行われる。普通指揮者などは細かい練習には参加しない人が多いらしいが、このときのクライバーは、かなり早い段階から、稽古に立ち会って、ゼッフィレルリとの相談もじっくり行っていたらしい。だから、動きなどは徹底的な指導が行われたのだろう。煩わしいという人もいるようだが、私には、いかにもドラマを見ているようで、楽しい。しかし、演出家が離れ、時間がたっていくと、だいたい動きは少なくなり、経費の関係で舞台にのる人も減らしていくのだろう。舞台上で進行するドラマという点では、ネルソンス版は物足りなさを感じた。
 演出でもうひとつ面白いと思ったのだが、舞台が煙草工場の側だし、女工さんも含めて、クライバー版では煙草を吸っている人が多く、舞台は煙が充満する感じなのだ。しかし、さすがに禁煙社会を反映してか、誰も煙草を舞台で吸う人はおらず、一度ホセが煙草を口にくわえるが吸うことはなかった。時代は、ずっと前だし、煙草女工たちなのだから、煙草をたくさんの人たちが吸っているほうがリアリティはあるが、そういうわけにもいかないのだろう。それに、出演者たちからクレームがでるかも知れない。
 肝心の演奏はというと、ネルソンスがウィーンのオペラをどのくらい指揮しているのかは、まったく知らないが、こうしたレパートリーの曲をするときには、指揮者が練習をすることはないので、いきなりの本番になる。映像にとるくらいだから、まったく練習しないのかはわからないが、おそらくぶっつけ本番だろう。個々のソリスト歌手に対しては、初めて出演する場合には、演技指導する必要があるので、そういうスタッフが個別に指導するようだ。カルロス・クライバーがウィーンのオペラと一緒にやってきて、「ばらの騎士」を振ったときには、事前練習とかでウィーンで3回指揮をして、それがDVDで市販されているのだが、そのときにはいろいろと演奏事故があり、オックス男爵が入りを間違えたので、2度目にはカットしたというような記事があった。クライバーは出演の条件として、日本でしっかり練習することを提示し、日本公演中の空き時間を利用して、オケをかなりしごいたらしい。つまり、くらいバーですら、ウィーンでの上演は、リハーサルなしだったのだろう。
 そういう状況で、ネルソンスが自分の意図を徹底できていたのか、少々不安なところもあった。歌手では、名前を知っていたのは、ミカエラのネトレプコと、エスカミリオのダルカンジェロだけで、他の人は、知らなかった。ネトレプコがミカエラを歌うのかと、疑問だったが、案の定、4人の主役級では、一番よくなかった。ミカエラは、若く純情だが、芯の強い女性であって、やはり、売り出し中の、声の比較的細い人が懸命に歌うような感じでないといけない。ネトレプコは、現在はあまりに大歌手であって、既にワーグナーを歌っている歌手だ。だから、どうしても大仰な歌い方になって、軽快に運ぼうという感じの指揮に対して、引きずってしまっていた。声もミカエラには太すぎる。有名人を出せばいいというものではないだろう。ただ、クライバーでは、ホセとの二重唱が半分に切られていたが、全部歌っていたのはよかった。
 ダルカンジェロは、モーツァルト歌いというイメージだったので、エスカミリオを少々重いのではないかと思った。懸命に強い闘牛士を演じようとしているのだが、私には空回りしているように聞こえた。まわりで聴いている人たちも、もっと盛り上げる動作をすれば、のって歌えるのではないか。
 ホセのマッシモ・ジョルダーノはまったく知らなかったが、正直、一番がっかりした歌手だ。クライバー版のドミンゴがあまりに素晴らしいので、どうしても比較してしまうが、いかにも、「演技しています」という感じで、それが歌にもでている。「花の歌」におけるドミンゴとの差は、あまりにも大きい。これで、一度は怒った女性の心を掴めるのか。ドミンゴのときの拍手は、爆発的で、いつ終わるのかわからないほど長く続いていたが、こちらはおざなりの拍手が10秒程度続いただけだ。
 肝心のカルメンだが、ナディア・クラステバ。主役級のなかでは、まあ素晴らしいと思った。悪女風のカルメンではなく、どちらかというと、「自由な女」として生きるカルメンだ。
 ただ、ネトレプコがカルメンをやればいいのではと思ったが、どうなのだろう。
 HMVでは出ていないようなので、少なくとも日本では市販されていないのではないか。そのせいか、クラシックの、それもオペラとしては異例の34万回も視聴されている。ちなみにクライバーは3万回だ。同じ歌劇場の同じ演出の同曲聴き比べは、いろいろと面白い発見がある。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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