グレータ・トゥンベリの国連演説への非難は的外れ

 昨年から気候変動への対応策があまりに不十分だとして、学校ストライキを始め、それが国際的に運動を引き起こしたグレータ・トゥンベリさんが、とうとう国連の会議に招待されて演説をした。彼女を招待した会議主催者に敬意を表したいし、それを評価する人たちが多いが、なかには、様々な批判をする人たちもいる。
 まずは、Foxニュースのコメンテーターだったマイケル・ノウルズ氏である。氏は、彼女のことを「精神的におかしい」と誹謗して批判が集中し、担当を解任されてしまった。さすがに、大きなメディアでここまで露骨に批判する人はほとんどいないが、ネット上の個人レベルの発信では、多数似たような非難がある。
 精神的におかしいという非難に対して、グレータ自身は、自分はアスペルガーであると公表し、アスペルガーであることで、逆に物事をあいまいにではなく、真正面からみて、それを素直に表現できるのだと返している。見事な切り返しだといえる。何故極端な表現なのか
 表現が極端で、あまりに一面的な見方ではないかという批判もある。確かに、演説を読むと、表現はかなりきつい。礼儀正しい大人からすれば、なんと下品で、失礼な言い方をするのかという受け取りをする人が少なくないのも、うなずける。「あなたたち、よくもそんなこと言えるわね」と、何度も繰り返している。しかし、そこで拍手が起きているのも興味深い現象だ。
 彼女は、ヨーロッパ各地で行われた金曜日のデモに参加して、演説しているが、国連の会議でしたような詰問調で話しているわけではない。彼女の主張の骨子は、これだけ気候変動が起きて、地球環境そして人間生活に悪影響がでて、パリ協定が締結されているにもかかわらず、大人、特に政府の高官たちは、実はまじめに取り組んでいないではないか。50年後にどうするというような計画であるが、既にその計画は、かなり破綻している。50年後生きていない人たちだから、まじめに取り組まないのだろう。しかし、その被害を受けるのは、我々若者なのだ。大人たちの怠慢によるつけを、我々若者に押しつけないでくれ、というものだ。したがって、演説を聞いている人たちこそが、彼女が糾弾している当の相手である。そういう相手に「どうか、私たち若い世代の将来のために、みなさんがいま努力してください。」などと礼儀正しく言っても、たいしたインパクトを与えないだろう。やはり厳しい表現で語ったからこそ、激しく突き刺さる可能性をもたらすといえる。彼女の表現は、あの場で、主張を有効に伝える上では極めて有効だったといえる。
子どもをだすのはあがき?
 次に、子どもに意見を言わせるべきではないという見解も多々ある。その一例が中部大学の武田邦彦教授であろう。氏は、youtubeで、国連が子どもに演説させたことを、非難している。国連は各国の代表が演説する場なのだから、16歳の小娘に時間を与えるなどもっての他で、他の政治家たちにまわすべきであるなどといっている。しかし、演説の時間といっても、わずか15分であり、しかも、おそらく日本の安倍首相などより、ずっと聴衆も、またその拍手も多かったと感じた。武田教授の持論であるらしいが、地球温暖化などという問題は存在しないと彼はいう。いよいよ、そのでたらめさが明らかになってきたから、最後の手段として子どもをもってきたのだ。ヒトラーにしろ、スターリンにしろ、そうではないか、と。
 しかし、氏は基本的な歴史的事実を誤解しているらしい。ヒトラーがヒトラーユーゲントを作ったのは、最後の足掻きなどではなく、ヒトラーとしての教育政策であり、人材育成方法だったわけであり、少なくとも、ナチ的観点からいえば、かなり成功した部類なのである。ソ連のピオネールも同様である。ピオネールはスターリン体制が崩壊しても、続いていたくらいである。それに、グレータを地球温暖化運動をしている大人たちが、担ぎだしたわけでもあるまい。
 グレータは、昨年からスウェーデン国会の前で、たった一人で学校ストライキで座り込みを始め、それが次第に西洋の若者たちを動かし、ヨーロッパ各地に「未来のための金曜日」という学校を休んで参加するデモが広がったのである。そして、各地にグレータが呼ばれ、共闘してきた。だから、あくまでも、多少の大人の援助があったとはいえ、中心はあくまで若者たちであった。しかも、日韓問題で、日本に来た韓国人に暴力をふるえばよい、などとテレビの生番組で発言するような人物にふさわしい内容だが、グレータが飛行機を使ってニューヨークに来たとを皮肉っている。実際には、グレータはヨットで大西洋を横断してやってきたと報道されている。また、彼女がスウェーデンからドイツやフランスに行くときにも、飛行機を使わず、公共交通機関を乗り継いで現地に赴いていることを、知らないのだろうか。もちろん、公共交通機関を使うほうが環境にいいのかどうかは、意見がわかれているようだが。
環境破壊の主犯は貧しい人か?
 また、豊かなスウェーデン人であるグレータが、貧しいブラジル人に対して、アマゾンを開拓するななどというのはおかしいなどとも語っていた。語るに落ちるとはこのことだろう。グレータは、個別の政策について語っているわけではなく、あくまでも、今の責任ある人たちが、自分たちのつけを将来生きている、今の若者にまわすな、ちゃんと、自分たちでまいた問題は自分たちで解決せよ、といっているに過ぎない。つまり、子どもが指針を示しているのではなく、大人がやるべきことをやってないではないか、ちゃんとやれと言っているに過ぎないのである。
 しかもアマゾンの開発は、まずしい人たちが自分たちのために行っている部分もあるが、しかし、大部分は、それこそ大企業であるアメリカの畜産企業が贅沢品である牛肉生産のために行っているのである。
 武田氏は、地球温暖化などはでたらめだと、よく発言しているが、近年の異常気象、気温があがったことによって起きる気候現象が、なぜ起きているのかを説明しているのを、あまり聞いたことがない。世界の科学者の多数派は、地球が温暖化傾向にあり、平均温度が上がっていること、そのために、気候変動が生じており、海水温度の上昇による膨張と氷の融解によって海面があがり、平地が水没の危険に今後直面することを認めている。私は、生活実感から、それに妥当性を感じている。しかも、温暖化の弊害を感じさせる現象は、年々増加している。あがきをしているのは、武田教授なのではないか。
子どもにも意見表明権がある
 最後に子どもに発言させるな、大人がきちんというのが正しい、という見解がある。これは、武田氏だけではなく、けっこう多い意見のようだ。しかし、考えてみよう。「子どもの権利条約」には、「子どもの意見表明権」ということが保障されるべきであるとしている。グレータが意見表明権を行使したに過ぎない。また、それを保障した国連にはまことに敬意を評すべきである。子どもに意見を言わせるな、という感覚は、一般国民は政府のいうことを聞け、という感覚と極めて近いものがある。権利として認められているだけではなく、大人にはわからないが、子どもにはわかるということもあるのだ。
 グレータに対する批判は、私にはどれも、あまりに無理解でレベルが低いと感じた。
 ただ、残念なことがある。日本では、実際の若者の運動が、極めて弱いことである。
 そして、小泉環境相は、何も提言するものがなく、まだなったばかりなので、といいわけしていたが、環境省、そして、政府がきちんと行動を実践していれば、大臣が代わっても、普段をやっていることを提言すればいいだけのことである。要するに、ほとんど国際社会に提言できるほどのことをしていないということなのだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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