化学物質過敏症で通学困難な生徒

 今日のHarbor Businessに「学校に通いたい……教室に充満する過剰な「香り」で化学物質過敏症に苦しむ女子高校生」という記事が出ている。化学物質過敏症に罹患している女子高校生が、生徒たちが使っている様々な化学物質で処理した服などの香りで、目眩、頭痛、過呼吸などを引き起しているので、母親が、クラスの保護者に丁寧な事情説明の手紙をだして、原因となる柔軟剤や合成洗剤などを控えるようにお願いしたところ、そのクラスでは協力的で改善されたのだが、学校全体としては取り組まれていないし、また、通学途上の交通機関で体調が悪化するという事態になっている」という記事である。
 この化学物質過敏症は、診断が難しく、他の病気と間違えられやすく、また、病気と認めないような医師もいるのだそうだ。診断ができる病院が全国的に少数で、正しい診断と治療をしないために、どんどん病状が悪化する事例が多数あるという。ある調査によれば、可能性の高い人が全体の0.74%、可能性のある人が2.1%なのだそうだ。正確な診断が難しい病気なので、ウェブで調べる限り、書いている人たちによって数値が異なるのはやむをえないが、可能性が高い人0.74%というと、大雑把にいうと、300人いれば2人はいることになる。高校などは、通常1000人近くいるわけだから、7名程度の人が該当する計算になる。
 この病気の怖いところは、ある化学物質に反応して、過敏症になり、頭痛等の症状がでるようになると、他の化学物質にも次々と反応するようになるということだ。だから、人が多くいる場にいると、なんらかの化学物質に接することになり、症状が出てしまう。この記事の高校生は、防毒マスクをして学校にいくのだそうだ。それでも症状が出てしまうことが多いとか。
 さて、ここで、とりあえず学校教育において、どのような問題として考えたらいいだろうか。学校で起きていく事態だから、当然重要な問題であることは間違いない。
 まず、この女子高校生の親は、丁寧に、どんな物(洗剤、柔軟剤、香りつけビーズ等々具体的な商品名もあげている)が、発作の原因になるかを説明し、できるだけそれを使わないようにお願いして、理解してもらった。ところが、学校として使用している廊下のワックスがけ用のワックスで発作が起きてしまった。
 クラスの人たちは、理解して協力できる。しかし、全校生徒1000いるとしたら、その全生徒に協力を依頼し、協力してもらうことはかなり大変だし、またそれを強制できるかという問題があるだろう。また、学校が教育活動や生活指導上使用している物(ここでのワックス)などが該当する場合、該当する物はすべて使用しないか、あるいは変更することが可能か。
 似た問題に、給食と食物アレルギーの関係がある。現在では、食物アレルギーをもっている子どもの場合、その対象食材を使う給食のときには、別メニューをわざわざ作る。また、お代わりしてはいけない一般の給食を食べてしまって、症状が出て死亡した事故があり、お代わり対策もしなければならない。一人二人の場合には可能としても、数名そうした子どもがいるとなると、対応はかなり困難になるだろう。現在の給食システムそのものを、考えなおさなければならないときがくるかも知れない。私は、単一メニューの義務的給食システムには、疑問を感じるので、更なる事故が起きるまえに、別のあり方を考えておく必要があると思っている。
 さて、この化学物質過敏症は、給食の食物アレルギーよりずっと対応が困難に違いない。給食の場合には、その子だけのメニューを給食担当者(センターなり給食調理室職員)が作ればすむ。しかし、化学物質過敏症の場合には、きちんと対応しようとすれば、全生徒と全教職員、そして学校で使用するあらゆる物品を対象にしなければならない。しかも、症状が進むと、対応が必要な化学物質が増えていくわけだから、ますます困難度も増大するわけである。
 原則的には、ある特定の洗剤などを、家庭での選択で使用しないように義務づけることはできないだろう。しかし、教育的働きかけ、啓蒙活動はできるだろうし、またすべきではないか。
 では、こうした化学物質をどのように、教育活動のなかで教えていくのか。私は、特別支援教育の問題を扱うときに、ひとつの説と断りをつけるが、障害をもった人が戦前などに比較して相対的に増加している理由として、食品添加物や様々な化学物質の使用が、原因のひとつと考えられていると伝えている。そして、学生たちに、「みなさんは、スーパーやコンビニで食料品を買うときに、添加物の有無をチェックして買いますか、全然気にせずに買いますか」と質問をすることにしている。これまでの反応では、添加物を気にして食料品を買う学生は、皆無である。
 そもそも化学物質として製品化されるものは、自然界には存在しないものだ。だから、長い人類の歴史のなかで、人体が接するのは、極めて最近のことであり、人体に接触したり、あるいは体内に取り入れられたときに、人体が過剰に反応したり、免疫機能が過敏になったりすることは、容易に想像できる。だから、使用せずに済むなら、本当は使用しないほうがいいわけである。もちろん、食品の保存に有用な場合などもあるだろうが、人体に直接接触するような物に添加される化学物質は、多くが、見た目を鮮やかにしたり、香りをつけたりするもので、不可欠のものではない。
 こうした化学物質が、障害の原因になると考えられたり、アレルギーを起こしたり、過敏症で身体的苦痛をもたらすような原因となるわけだから、教育の一環として、できるかぎり使用しない、そうした物質を含まない自然の形態に近いものを使用するという啓蒙活動は、してもいいのではないだろうか。これは、そうした患者がいないとしても、将来誰にでも起きる可能性があるわけだから、健康教育の一環として、取り組むべきである。そして、そうした過敏症の人がいたら、より現実的な対策としても、取り組むべきだろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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