メディアの公平さを考え イギリス王室とオランダ王室

 昨日(1月10日)のワイドショーでとても奇妙な光景があった。イギリスのヘンリー王子がイギリス王室から離脱するという話題でのことだ。番組では、その話題に移ったあと、イギリスでの街頭インタビューの模様が放映され、そこには、勝手な振る舞いだとという批判的見解と、理解できるという同情論のふたつが紹介された。そして、その後、長年イギリス王室の取材をしてきたという女性がコメンテーターとして紹介され、レギュラーとゲストを含めた活発なおしゃべりが展開された。およそ議論というほどのものではなかった。そこで、驚いたのは、コメンテーターに、司会者が何度か、イギリス国民の反応はどうですかと質問したが、毎回、国民は完全に怒っています、とだけ述べていた。誰もが感じると思うが、最初のインタビューはふたつの対応があると明確に示していたのに、一応専門的に理解しているという前提で登場したのだろうが、コメンテーターは、国民はひとつの立場になっていると、およそ躊躇するような感じもなく断定していたのである。
 もちろん、私はどちらが正しいかは分からないが、しかし、同一の番組のなかで、このような扱いが生じているというのは、誰もが疑問に感じるだろう。コメンテーターに対して、インタビューでは同情論もありますが?というような質問を投げかける人もいない。最近のワイドショーは、けっこう異なる見解の人が登場して、率直に議論しあう場面も少なくない。それがけっこう面白い。そうした議論の有無は、番組の水準ということなのだろうか。 “メディアの公平さを考え イギリス王室とオランダ王室” の続きを読む

名城大学で教員が刺される事件

 1月10日の夕方、名古屋市の名城大学で、准教授が学生に刃物で刺されたという。報道によれば、レポートをめぐってトラブルになっていたとか。今の時期だから、レポートのトラブルといっても、成績評価のことではないに違いない。提出期限とか、あるいはレポートの形式などで、受け取り自体を拒否されたというようなことなのだろうか。以前、中央大学でも構内で教員が刺された事件があったが、やはり、理工系だった。文系でレポートをめぐってトラブルになり、教員が暴行を受けたりということは、あまり聞いたことがない。文系の場合には、成績が就職に直結することは、ほとんどないと思われるが、理工系の場合には、そうした面が文系よりは強いに違いない。だから、成績は重要な意味をもつのだろう。
 あまり参考にはならないが、成績に関するトラブルは、起きないに越したことはないので、一応は気をつけている。 “名城大学で教員が刺される事件” の続きを読む

相模原障害者施設の殺傷事件公判について考えること

 相模原の障害者施設に、元職員だった男が侵入して大量殺傷事件を起こしたことは、記憶に鮮明に残っているが、容疑者に対する裁判が始まった。しかし、容疑者が反省の弁を述べたあと、奇声を発し、押さえつけてもやめないので、傍聴人を外にだし、休廷した。そして、午後、容疑者のいないままの裁判が継続された。その後どうなるのか、原則被告がいないと公判を開けないはずだが、暴れるなどの事情があるときには、許されるのだろう。麻原の場合にも、その場にはいないまま裁判が進行したから、もしかしたら、この裁判でも被告不在で進行するのかも知れない。現在は以前と異なって、裁判員裁判だから、公判は迅速にかつ短期間で行われる。
 この奇声が、意図的なものなのか、あるいは、精神的異常による無意図的なものなのかは、まったく判断ができないが、弁護側は責任能力で争う方針なので、もしかしたら意図的なのかも知れない。精神異常であるか否かで、ある意味生死が左右されるのだから、ありえないことではない。 “相模原障害者施設の殺傷事件公判について考えること” の続きを読む

イランとアメリカの関係史の誤解

 アメリカとイランの関係が、極めて危険な状態になっている。そして、多くの人が指摘しているように、これは昨今始まったことではなく、長い対立の歴史がある。そして、ネットで専門家と思われる人の解説記事が多数載っているが、多くは、誤解を生むような内容になっているのが気になる。それは、アメリカとイランの対立が、ホメイニによるイラン革命、そしてその後直ぐに起きたイラン人の一部によるアメリカ大使館の選挙と人質事件から始まっているような記述である。もちろん、そうした事実があって、アメリカとイランの対立が激化したという指摘は間違いではないが、それ以前の重要な対立を無視している点で、誤解を与えるものだ。
 20世紀になって石油が重要な資源であることが発見され、現在の中東地域がそれまでとは格段に異なる意味あいが生じた。そして、この地域は長くオスマントルコ帝国と西欧列強の対決が続き、第一次大戦後のオスマントルコの崩壊によって、一気に西欧列強の支配が優位になる。そして、石油採掘の作業が、西欧の企業によって進められることになった。そして、そこから生じる利益は、西欧企業がほぼ独占したわけである。 “イランとアメリカの関係史の誤解” の続きを読む

ゴーン氏脱出と日本政府の対応

 単に年末年始だったからというのではないように思われる。なんとも、日本政府の反応が鈍いのだ。これは、海外メディアでも指摘されている。とにかく、日本での法的拘束を受けていて、海外渡航を禁じられている被疑者が、無断で出国し、かつ、これから日本と闘うなどと宣言しているにもかかわらず、政府としての見解をまったく出していない。少なくとも、検察は、公式表明ができるはずであるし、また、出入国を管理している当局は、これが犯罪であると、「世界に向けて」発信すべきものだろうと思う。これから、確実にゴーン氏は情報戦をしかけてくるし、また、日本の司法に対する批判は国内外に強い(私も一部批判的だ)のだから、対応を間違えれば、日本の司法の評価はどんどん低下していかざるをえない。
 しかし、何故か政府は何も語っていない。
 だからか、日本政府にとって、ゴーン氏の逃亡は都合がいいことだったのではないか、ひょっとして、助けていたかも知れない、などというコメントもある。 “ゴーン氏脱出と日本政府の対応” の続きを読む

ナルシスト国家になりつつある日本

 12月29日付けで、渡邊裕子氏(ニューヨーク在住)執筆の「メガネ禁止、伊藤詩織さん、小泉環境相…2019年海外メディアは日本をどう報じたか」という非常に優れた文章が掲載されている。ぜひ多くの人に読んでほしいと思う。
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/メガネ禁止、伊藤詩織さん、小泉環境相…2019年海外メディアは日本をどう報じたか/ar-BBYqC3j?ocid=spartandhp

 ただ、全面的に賛成なわけではなく、より多面的な見方が必要であると感じる部分もあるので、そういう点も含めて紹介しよう。
 執筆の基本姿勢として、日本に帰国するたびに、「日本はすごい」と外国人からみられていることを紹介するテレビ番組が増えたことに驚いている。日本人は、どう見られているかを気にするのに、日本のメディアしか見ない人が圧倒的である。外国の報道をみればわかるのだが、かなり辛口に言われることが多くなっているのだ。こうした観点から、辛口に論評されていることを、外国のメディアによって、いくつか紹介している文章である。
 最初に、あるジョークが紹介されている。

ある教授が、「象についてのレポートを書きなさい」という宿題を出した。ドイツ人は「象の存在についての哲学的考察」、アメリカ人は「象を使ってできるビジネス」、中国人は「象の料理の仕方」、フランス人は「象の性生活について」というレポートを書いてきた。日本人は?というと、「日本人は象をどう見ているか。象は日本人をどう見ているか」だ……というオチだった。 “ナルシスト国家になりつつある日本” の続きを読む

カルロス・ゴーンの脱出劇

 日本人だけではなく、世界中で驚きだったようだ。
 ふたつ考えた。
 ひとつは、やはり、保釈したにもかかわらず、あまりに制限が大きいことについては疑問を感じる。保釈中は、少なくとも逃亡しないことが最重要で、居場所の把握が常に可能なようにしておけば、通常の生活が可能なようにすべきである。「推定無罪」なのだから、保釈中でも、司法が著しい生活上の制限、例えば家族とも自由にあえない、などというのは、やはり批判されてしかるべきではないかと思う。海外にいってしまったゴーン氏が、今後日本批判の言論を自由に行うことができるわけだから、日本の検察当局は、国際的な論戦を強いられることになるわけだ。かなり劣勢になるのではないかと危惧する。 
 もうひとつは、どうやって脱出したか。 “カルロス・ゴーンの脱出劇” の続きを読む

スウェーデンで精神疾患用救急車導入の議論

 元農水省次官が息子を殺害した事件では、激しかった家庭内暴力があったのに、何故警察を呼ばなかったのか、という議論がかなり出されていた。私も何故かと思ったりした。
 ずいぶん前のNHKスペシャルの番組だが、「少年法廷」に関するドキュメント番組があった。少年法廷(ティーン・コート)は、10代の若者が若者の初犯の容疑者の裁判を行うというもので、財政基盤の脆弱さからそれほど普及していないが、高く評価されているシステムだ。NHKの番組は、ラスベガスの少年法廷を取材したものだったが、そこで裁かれている少女は、妹の子守をするように言いつけられたことに抵抗して、部屋に入ろうとした母親をドアで防いで怪我させたことで、警察を呼ばれてしまった。そして、裁判になり、少年法廷を選択したわけだ。そのとき、番組のナレーションは、ラスベガスでパトカーが呼ばれる理由の3分の1は家庭内暴力だというのだ。もちろん、子どもが呼ぶことは少ないので、多くは子どもが親に暴力を振るったときに、親がパトカーを呼び、子どもを逮捕させるわけである。日本とアメリカの家庭観の相違に驚いた。もし、元農水次官が、アメリカに住んでいるアメリカ人なら、躊躇することなく警察を呼び、自分が殺人犯になることはなかったのかも知れない。しかし、警察を呼び、息子を傷害罪の被告にして、投獄することが本当によいことなのかは、全く別問題だろう。
 では、どうしたらよいのか。最善かどうかはわからないが、こうした事例を念頭においた議論が、スウェーデンでおきている。一部では実施されている地域もあるということだ。 “スウェーデンで精神疾患用救急車導入の議論” の続きを読む

日産の定額制充電制度廃止 出血サービスは続かないだけではなく

 日産の電気自動車を購入すると、一月2000円(税抜き)で、全国どこでも、無制限に充電ができるというサービスを、日産がついにやめることになった。私は、今後車を買い換えることはないと思っているが、廃止前の定額制の記事を読んだとき、もし、買い換えがあるとしたら、日産のリーフもありだと思ったものだ。もっとも、同時に、そんなサービスいつまで続くだろうと疑問をもったことも事実だ。明らかに相当な出血サービスで、続ければ続けるほど、また利用者が多ければ多いほど、赤字を生むことになるわけで、いつか頓挫するに違いないと、通常思うのではないだろうか。そして、続けられなくなったとき、その条件に魅力を感じて購入したユーザーは、大きな失望を感じるはずだ。廃止は、意外なほど早くやってきたと感じる。 “日産の定額制充電制度廃止 出血サービスは続かないだけではなく” の続きを読む

「天皇」に何を求めるのか

 現在の皇室典範では、やがて皇位継承者がいなくなるという可能性から、女系・女性天皇論をめぐって、相変わらず、というか、ますます様々な見解が飛びかうようになっている。しかし、この議論に絡んで、人々は天皇という存在に何を求めているのか、という点に関して、極めて大きな隔たりがあると感じている。あまりに単純化していると言われるかも知れないが、男系男子に限定する、現在の皇室典範を支持するひとたちは、天皇には何も求めていない、つまり、「存在」だけあればよい、という考えに近いと思われる。それに対して、女系・女性天皇を容認するひとたちには、二通りある。第一は、男女平等の民主主義社会であるから、男系男子に限るのはおかしい、だからは、男女に限らず直系の長子から順に決めればよい、という見解であり、第二は、現在の愛子内親王の存在を前提に、女性天皇を期待する立場である。この場合、愛子内親王が様々な面で秀でた能力をもっていて、天皇になる家庭で育っているために、自然とそうした風格も育っているという人物評価を重視しているように見える。
 実は、歴史的にみれば、天皇が選ばれる基準、あるいは資質などについては、大きな変遷を繰り返してきた。
 これもかなり大雑把な整理であるが、奈良時代くらいまでは、天皇は決して、そのときの天皇との血のつながりの近さ、例えば、長男であるなどで決まっていたわけではなく、それなりに、人物や能力の評価があったようだ。 “「天皇」に何を求めるのか” の続きを読む