九州は台風10号で大変な状況になっている。私は関東在住なので、被害にはあっていないが、こういう状況をみていると、やはり、いろいろとこうすればいいのに、という思いがしてくる。既に多くの人が主張しているようだが、電線の地中化が必要だと感じる。電柱が倒れ、停電になるだけではなく、倒れた電柱が他の物にぶつかって被害を拡大する。ただ地震のときどうなんだろうという心配がある。ネットで調べると、地上の電柱と地中の電線では、地震による損傷が、圧倒的に地中のほうが小さいということだ。あるサイトで示されている数字では、阪神淡路大震災のときの、架空線の被災が2.4%だったのに対して、地中線では0.03%だったという。地震に対しては、なんとなく地中にあると危険な感じがするが、実は逆なのだそうだ。台風の場合には、圧倒的に地中のほうが被災率は低いだろう。
投稿者: wakei
2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。
以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。
矢内原忠雄と丸山真男15 矢内原の信仰の一側面
矢内原がいかに苦境にたっても、信念を貫き通すことができたのは、彼の強烈な信仰とそれに基づく使命感のためだったことは、間違いないところだ。「日本精神の懐古的と前進的」という天皇の神性否定の論文を書いたり、「神の国」という講演で、「ひとまずこの国を葬ってください」と述べたのは、キリスト教徒としての信念の発露だった。他方、研究者としての矢内原は、極めてマルクス主義的であり、当時の最も批判意識の強い社会科学者としての立場をとって、実証的な研究を貫いていた。これほど強烈なキリスト教信仰と、マルクス主義的な研究スタイルをあわせもっていた人は、世界にも稀なのではなかろうか。そして、この点には、矢内原自身が触れているが、他人からみれば、なかなか理解しにくいところだ。この点は、今後考察していくことにするが、キリスト教徒ではない私からすると、やりは、矢内原の信仰からくる解釈には、なかなか了解しにくいところがある。そのひとつが、満州旅行中の匪賊に襲われたときのことだ。
ベームの「コシ・ファン・トゥッテ」を聴いて
以前は、モーツァルトのオペラの最高傑作は「魔笛」だと思っていたが、今は断然「コシ・ファン・トゥッテ」だと思っている。ただ、このオペラは、モーツァルト生前には5回しか演奏されず、その後もずっと不遇のままだったそうだ。戦後になっても、かなり時間が経過してから上演されるようになり、今では多くの人に親しまれている。おそらく、最初の全曲録音は、カラヤンのフィルハーモニア菅を振ったものだったと思う。しかし、その後カラヤンは「コシ・ファン・トゥッテ」を取り上げていない。モーツァルトの他の主要オペラであるフィガロ、ドン・ジョバンニ、魔笛は、いずれも複数の録音があるのに、「コシ・ファン・トゥッテ」のみはこの一回きりだ。おそらく、フルトヴェングラーが「マーラーはワルターに任せた」というような感じで、「「コシ・ファン・トゥッテ」はベームに任せた」という感じだったのだろう。カラヤンに限らず、昔の指揮者にはそういう面があったようだ。カラヤンは、ビバルディの「四季」を長く録音しなかったが、イムジチの録音があるからいいではないか、と語っていたそうだ。
日本型学校教育の検討2 同調圧力と日本型学校教育は表裏一体だ
今回の中教審答申への提示案は、さすがにコロナ禍を経たなかで出されたので、社会や学校に露わになった問題に対する「配慮」をしているかのように書かれている。しかし、配慮するように書くことと、それを実行可能な案としてまとめること、あるいは、まとめたとしても、それを実行できるかどうかは、全く別問題である。そうした実行可能性という批判的視点がないと、まるでよいことのように書かれた提言の実際の方向性を見失うことになる。
さて、まずは、日本型学校教育なるもののひとつの側面について検討しよう。
矢内原忠雄と丸山真男14 丸山の抵抗論
私が取り組んでいるのは、矢内原忠雄論である。いろいろと考えているうちに、矢内原忠雄については、多数の人が多面的に論じているから、多少の新鮮味を出すことが必要だろうと思い、戦後の代表的な知識人と言われた丸山真男と比較して論じてはどうだろうと考えたわけである。もちろん、矢内原忠雄も丸山真男も長いことさまざまな著作を読んできたが、この二人を対比してみると、政治的には比較的近いと見られる知識人でも、かなりの違いがあると感じてきた。結論的にいえば、丸山真男という人物は、「知識人」だったのかという疑問である。矢内原忠雄も丸山真男も研究者として超一流であることは疑いない。しかし、研究者であることの「姿勢」に関しては、ずいぶん違うと感じる。知識人としての姿勢は、100%異なる。
教育学を考える19 教育における実験
『岩波講座現代』8巻『学習する社会の明日』の巻頭論文が、「教育の実験をしてよいか」という題になっているので、興味深く読んでみた。しかし、実際には、ほとんどテーマ、つまり「教育の実験をしてよいか」については論じられていないのに驚いた。最初に「教育はもっとも実験室化してはならぬものでありながら、もっとも実験室化しやすいもの」という福田恆存の言葉をひいて、教育における「反知性主義」を批判する形になっている。巻頭論文で、各論文の趣旨を説明することに半分を費やしているが、あまりに題名との内容に乖離が大きい。ついでに、蛇足で書いておくと、この巻は、明らかに「教育」を論じることがテーマになっているが、狭義の教育学者が一人しかはいっていないのにも驚いた。
「日本型学校教育」を考える1
先日文科省から、中教審に提出された答申案の骨子が公表されている。そして、「令和の日本型学校教育」の構築をめざす立場からの提言となっている。この「日本型学校教育」という言葉が使用されたのは、2016年の「次世代の学校指導体制強化のためのタスクフォース」の最終まとめ「次世代の学校指導体制の在り方について」からのようだ。これは、「教員が、教科指導、生徒指導、部活指導」等を一体的に行うことを特徴としていることを指し、またその成果として、PISAなどでも「学力面がOECDでもトップクラスであり、更に、勤勉さ、礼儀正しさなど、道徳面、人格面でも評価されてきた」としている。ただし、このまとめでは、こうした特質が教師の労働時間を過重にしているために、いままでのような形の継続は困難になっているという認識があるために、「学校指導体制」の改善が必要であるとしていた。
学校でのICT活用に欠けている論点 キーボード
コロナは教育にも大きな影響を与えたし、また今後も影響は拡大していくだろうが、その焦点のひとつがICT活用にあることはあきらかだ。3カ月以上の授業の空白を、オンライン教育で埋めることができたところと、まったくできなかったところでは、大きな差が生じたといえる。もともと、GIGA構想なる、すべての子どもに一台という政策が公表されていたが、コロナでその動きが加速されそうだ。しかし、そこには、大きな疑問もある。実際に活用能力がないところに、機器だけもたせても、どれだけ効果があるのか。本当に教育現場での活用が十分に検討されたなかで、出てきた構想なのか、等々。人によっては、いろいろな疑問があるだろう。私が、構想の文章を読んだときに、最初に感じたのは、ああこれは、国内のコンピューター企業へのてこ入れ、助成が目的なのかということだった。
二大政党の幻想を捨てよう
安倍首相の辞任を受けて、いろいろな議論を出ているが、その一つに「二大政党」制の実現を望む声がある。何故、二大政党制が言われるのかというと、政権交代の可能性があるからだという。そして、二大政党制と密接不可分なのが、小選挙区制である。二大政党制は、結果として生じるものであって、制度的に決めることはできない。だから、決めることができるのは「小選挙区制」であって、実際に日本でも導入されて、一度、それらしき政権交代があった。しかし、その政権交代は混乱を生み、その後は、長期政権が続いてしまった。そして、その長期政権下に起こった事態は、政治の劣化そのものである。与党も野党も同様だ。その弊害は明らかである。尤も、政権交代といっても、それほど頻繁に起きるわけではなく、10年から15年程度に一度起きればよい、という考えでいえば、まだ、最終的な判断は早いのかも知れない。
核廃棄物処理問題 野党は政策を提示すべき
コロナの影でニュースの扱いは小さいが、原発関連の重要な展開があった。7月に、青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場の、福島原発事故以後の基準で審査に合格したということ。もうひとつは、北海道壽都町の町長が、核廃棄物処理場の候補地となる「調査」受け入れに、名乗りを上げたということである。前者は、審査に合格したが、実際の稼働は、2年後を予定しており、それも実際に可能になるかはわからない。実際に、再処理工場の建設が始まってから27年が経過しており、その間何度も不都合が起きて、延期が繰り返されてきた経過があるからだ。そして、再処理されたプルトニウムを、実際に原発でどのように使用するかの計画は、きちんとたっておらず、しかも、既に外国に再処理を依頼して、蓄積された燃料が50トンもあるのだそうだ。この再処理計画は、止めるという政策も、理論的には可能だが、一旦始めたことは引き返すことはできない、という対中戦争から太平洋戦争に至る経過とよく似ているという人もいるような様相を呈している。これだけの資源を投じて継続してきた国家的事業を止めるというのは、確かに、命をかけるくらいの首相の決断が必要なのだろう。原発だって、止めることは可能だ。実際に福島原発事故のあと、数年間は、原発なしに電力が供給されてきた。当初は節電が叫ばれたが、少なくとも原発再稼働前に、節電も叫ばれなくなった。電力供給の企業間の調整が機能しだしたからだそうだ。