利権に絡められるアスリート 瀬戸問題

産経新聞2020.10.26に、「瀬戸大也、ささやかれていた派手な私生活「彼一人の問題じゃない」指導者に反省も」という記事が出ている。社会的に非難され、今年の活動停止に追い込まれているわけだが、この記事は、オリンピック出場資格の停止にしなかったことと、最近の指導者と選手の関係の変化について書かれている。多少誤解があるのではないかという点もあるのと、来年のオリンピックは中止がほぼ決まったようだが、2032年に立候補するのではないかという観測も流れているので、その点について書くことにする。
 記事で気になる点というのは、競泳では、一人だけ瀬戸がオリンピック出場が決定しているわけだが、その剥奪も含めての処分案が検討されたのに対して、「違法行為をしたわけではない」という弁護士のアドバイスで、その処分はしないことになったと書かれている。顧問弁護士の見解は「法に触れているわけではなく、代表権を剥奪するには理由が希薄すぎる。もし代表権を剥奪して、瀬戸選手に訴えられたら勝てないだろう」と後ろ向きだったということだ。こういう顧問弁護士というのは、私の知る限りは、問題を起こさないように、提訴されないようにと、ほとんど消極的な見解を出すのが特徴だ。しかも、この場合間違った法的解釈も述べている。

 瀬戸の行為は法に触れないということだが、「法」を判例法まで含めれば、もし、瀬戸の妻が瀬戸の浮気相手と瀬戸自身を相手に、損害賠償訴訟を起こしたら、瀬戸は負けるというのが、これまでの判例で定着した解釈となっている。だから、違法を刑事訴訟のレベルで考えれば、確かに「法に触れない」が、民事まで含めれば、法に触れる行為なのである。もちろん、自身が謝罪してしまった妻だから、夫を訴えることはないだろうが、法解釈としては、弁護士は、この点について間違っている。それから、出場権の剥奪をされて、瀬戸が訴えるか、あるいは訴えたら、瀬戸が勝つか、という点については、絶対的な判断はできないが、そもそも提訴するとは、私は思えない。提訴などしたら、自分のやったことを悪いと思っていないのか、という非難が出ることを恐れるのではないだろうか。私自身は、オリンピック否定派なので、実際にはどうでもいいと思っているのだが。
 今回、この記事で気になったのは、2019年から急に生活が派手になり、海外選手から、「大也は大丈夫なのか?」という心配が聞かれることが多くなっていたという点だ。しばしば朝練にも来ない状態だったというから、オリンピックが行われたとして、期待に応える成果を出せるのか、疑問がもたれていたのではないだろうか。生活が急に派手になるということは、当然、急に収入が多くなったことを意味するのだろう。オリンピック出場選手になると、そのような派手な生活が可能になるほど、一気に収入が増えるということになるのか。もちろん、オリンピック委員会等の組織から、それほどの給与のようなものがでているはずはなく、スポンサーがついて、広告収入などもあるので、派手な生活が可能になったのだろうが、彼らは、アマチュアであり、プロのように一年単位のスケジュールで試合をして、入場者を恒常的に集めつつ、収入を確保しているわけではない。何がいいたいかというと、こうしたアスリートですら、オリンピックで大きな収入を確保できる、つまり、オリンピックの利権の一部に繰り込まれているということなのだ。
 来年の東京オリンピックは、ほとんど中止が決定的であるが、どうやら、政府やオリンピック推進組織(JOCや電通)は、2032年のオリンピックに立候補しようという計画を練っているという情報がある。近年、オリンピック開催に立候補する都市が、極端に少なくなっていることは、よく知られている。それは、あまりに費用がかかりすぎるからである。IOCは競技場の規模について、かなり細かい条件をつけているというが、その条件をみたそうとすると、かなり大きな収容力をもった施設が必要で、今回の東京オリンピックでも、前回の施設をそのまま使うことができるのは、少なかったようだ。条件となる規格が変わっているからである。それは、うがった見方をすると、新しく施設を作らせるように、オリンピックにおける利権組織とつるんでいる可能性が高いと思われるのだ。前の施設を利用するのではなく、新設させる。そして、規模を大きくすれば、建築費用も増大する。そこに、利権の発生する余地が大きくなるわけである。東京オリンピックは、前回の施設を使用するので、費用もかからず、コンパクトにできるというのが、招致の際の宣伝だったが、まったく最初の計画とは違って、膨大に費用が膨らんでいることは明確になっている。
 2032年にやるとなれば、10年後であり、現在の施設をそのまま使うわけにはいかない。選手村は、住宅として売り出されているのだから、もはやその時点ではマンション群になっている。
 ヨーロッパでは、住民投票で開催都市になることを決めているところが多いようだが、それで否決されて、立候補しない都市が少なくないのだ。だから、立候補都市が少なくなっている。だから、日本でも、住民投票をすべきである。私は、まだ鮮明に覚えているが、マスコミが大々的に雰囲気作りをする前は、オリンピック招致には、世論は半分以上が反対だったのである。震災の復興もまだまだの時点で、そうした声を無視して招致したことが、結果として、こうした事態を招いていると思わざるをえない。 
 私は神などまったく信じていないが、現在の東京オリンピックをめぐるドタバタ、そして、コロナ禍をみていると、たくさんの嘘をついて招致したことに対する、神の怒りが炸裂したのではないか、と思いたくなる。
 2032年のオリンピック招致にも反対だが、せめて、招致するかどうか、住民の声を確認すべきである。
 もちろん、私は強く反対する。あと12年の間に、東日本大震災級の災害が起きる可能性は、小さいとはいえないのだ。そういう災害への対策や気候変動問題への取り組みに、集中すべきなのである。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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