序章の部分のみの考察をする。特に、国民の教育権論の部分だ。堀尾氏は、国民の教育権論の最も代表的な論客であり、その象徴的存在であった。そして、本書でも、国民の教育権論を擁護している。私自身も、国民の教育権論の支持者であるが、現状認識において相当な違いがある。そして、私自身の最も重要な自身の課題としているのが、国民の教育権論の再構築であるので、堀尾氏の検討は、避けて通ることができない。
私は、国民の教育権論が、1980年代から90年代にかけて、完全にその力を喪失したと解釈しているのだが、その原因について、堀尾氏は一貫して、それを書いていない。新自由主義政策に圧迫されてきたという立場であろう。だから、新自由主義的な教育権論に対して、国民の教育権論を対峙していることになる。だから、ここでは喪失の原因ではなく(それは佐貫論の検討として行う。)堀尾氏の論理が、新自由主義的な自由論や公共性論に有効であるかを検討する。