オリンピック・パラリンピックは、滅多にない政治ゲームになっている。もちろん、このゲームは、人の生死にもかかわっているので、遊びではない。政治家たちの実力が試されているともいえる。専門家でなくても、また、あまり政治に関心がない人でも、今日本が直面している現実は、歴史的にも、めったにない政治ゲームになっていることがわかる。
4年に1度の、スポーツの祭典。アスリートたちにとっては、切実な生きる中心的価値に関わることだ。だから、可能ならば、ぜひ実現してほしいと願っているだろう。しかし、自身が政治ゲームに参加することはできない。しかし、また、オリンピックを利益のあがる事業と考えている企業にとっては、ある企業は既に利益を得ている(建築関係)から、どうでもいいと思っているかも知れないが、オリンピック本番の宣伝効果を期待している企業にとっては、何がなんでも実施してもらいたいと思うだろう。
他方で、コロナ禍で被害を受けているひとたちにとっては、オリンピックどころではない。この一年、オリンピック開催のために、コロナ対策が中途半端であったために、オリンピックには怨念すら抱いているひとたちも多数いるに違いない。そして、国民の多くは、オリンピックなどやめるべきだと考えている。海外も含めて、世論はオリンピック中止に傾いている。
こうした状況のなかで、政治家たちは、これまでの公約や立場から、オリンピックを中止するといいだせないし、言い出すことの結果がわからないという迷いのなかにいるのだろう。
社会学者の橋爪大三郎は「菅総理は「決断」できるか…じつはいますぐ「五輪中止→総選挙」で“大勝利”できるワケ」と題する文章で、オリンピック中止して、直ぐに解散すれば、勝利して、政権を維持できると分析している。https://news.yahoo.co.jp/articles/4cffc1057727204aac03cc4048ec2430c78e596c
もちろん、こうしたことは、多くの人が、そして、もちろん、菅首相も考えているだろうが、ここでは、もう少し、ゆっくり考えてみたい。
いかなる世論調査も、オリンピック中止が国民の意見であることを示しているが、自民党政治家たちは、全面的にはそれを素直に受けいれていない。今はそうかも知れないが、実際にオリンピックが始まれば、国民は競技に熱中し、実施してよかったと意見を変え、困難な中実施した政権に感謝するという期待をもっているという。しかし、逆の結果だってありうる。準備不足のなか、無理にやったために、いろいろな進行上の不始末が多発する。そして、関連施設でコロナのクラスターが発生する。しかも、コロナの感染が再び山を築くように、拡大していく。更に熱中症で倒れる人が続出し、オリンピック選手のなかからも、熱中症患者が出てくる。そうした事態になって、やはりオリンピックは中止すべきだったんだ、という意見が圧倒的になるという結果だ。
また、有力選手がボイコットして、競技が盛り上がらないという可能性もある。
現在、オリンピックを運営管理するひと達も、どちらの結果になるのか、大いに迷っているわけだろう。そして、成功の結果を期待しつつも、失敗の危険性を無視できない。もちろん、逆の心配もある。世論は中止を望んでいるから、中止したら、国民は喜ぶというが、本当にそうだろうか。意外なところから、何でやめるのか、という声があがり、それによって、政権支持率が下がるという可能性はないのだろうか、と。
しかし、世間の雰囲気は、やはり無理だという声が、ますます高まっているから、今や、誰が中止を最初に言い出すかに、注目が集まるようになっている。もちろん、可能性は二人だけだ。菅首相と、小池都知事である。この二人以外には、可能性はない。いっても実効性がない。そして、この二人には、選挙と政権というふたつがかかっていることも、共通している。菅首相は総選挙、小池知事は都議選。
菅首相には、オリンピックを成功させて、総選挙に勝つというシナリオと、オリンピックを中止にして、直ちに解散に打って出て勝つというシナリオがある。小池知事には、オリンピックを成功させたとしても、都知事として終わるというシナリオと、先にオリンピック中止をいいだして、知事を辞任し、総選挙にでて、総理をめざすというシナリオがある。どちらにしても、「賭」である。
彼らにとっては、賭であるが、私にとっては、賭ではない。切実にオリンピックを中止してほしいと願っている。オリンピックをやめて、真剣にコロナ対策をしてほしい。また、今後利権まみれの国際スポーツ大会などは、引き受けないでもらいたいものだ。