教育に何故多様性が必要なのか

 昨日の宿題として、何故教育に多様性が必要なのかを残したが、それを考えてみよう。
 多様性は教育の様々なレベルで必要である。多様性の反対は画一化であるが、そうした圧力は確実に強まっている。その典型が「スタンダード」である。そして、画一化の圧力は、政策的にあるだけではなく、むしろ現場の管理者や教師自身のなかにも存在している。あるいは親などにもあるといえる。私の娘のある時の担任が、仮説実験授業を実践している教師だったが、子どもたちは非常に喜んでいたにもかかわらず、親たちが「教科書にそった授業をやってくれ」と抗議してやめさせたということがあった。これなどは、「教科書通りの」というやり方に画一化させる力が、親も求めることがあるという例だ。しかし、その結果、つまらない授業を子どもたちは受けさせられることになった。

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教育の公共性・多様性・選択

 佐藤年明氏による提起のなかに、公共性に関することがあった。昨日の回答では、あまり詳しく書かなかったので、この点に絞って、再度考察したい。
 「公共性」とか「公」という概念は、かなり人によって異なる意味に使われており、どれが正しいと決めるわけにもいかない。
 実は、教育学において「公」のつく言葉は、多様な意味に使われている。
 「公教育」と「公立学校」では、「公」の意味は明らかに異なる。「公立学校」は「私立学校」に対する意味で、自治体あるいは国家が設立した学校という意味であるが、「公教育」には、公立学校も私立学校も含むから、より広い意味、「全体に関わる」というような意味になる。しかし、その「全体」にしても、文字通り「教育全体」なのか、あるいは、「家庭教育」などを除外するのか、人によってイメージが異なるに違いない。
 そこで、教育における「公共性」概念について整理をするとともに、そこにある本当の論点は何なのかを考察していきたい。 

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佐藤年明氏の批判に応える 学校選択と公共性

 昨日、コメント欄に、佐藤年明氏から、私の大日方氏の『教育』論文批判に関するコメントに疑問、批判をされた旨の知らせがあったので、早速読ませてもらい、回答しなければならないと思い、長くなるので、コメント欄ではなく、ここに書かせていただきます。批判への回答のため、「である調」ではなく、「ですます調」にします。
 佐藤氏がとりあげているのは、私がこのブログに書いた「『教育』2021年11月号を読む 教育の私事性論は、どこに弱点があったのか」についてです。
 佐藤氏の批判は以下にあります。
 最初に、私の文章に対して丁寧なコメント、批判を寄せていただいたことに感謝を申し上げます。
 
 誤解もあるかも知れませんが、佐藤氏の指摘を、以下のように整理をしてみます。
1 国民の教育権論は、自爆したという表現があるから、使命を終えたのか、再建が可能、必要だと思っているか、明らかでない。
2 「どんなに熱意のない、学級通信などまったく作成する気もない教師にあたったからといって、委託してはいないから、本当に委託したい教師に自分の子どもを任せたいといっても、聞き入れられないのだし、国民の教育権論者は、そうした意識を受けとめなかったのである。」と書いているが、国民の教育権論は、「委託したのだから」などと説明していたのか。そんな国民の教育権論者はいないのではないか。
3 大日方氏の私事の組織化から公共性が実現するという論理をどう考えるか。

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ウクライナ考 義勇兵・ロシア正教

 現時点でまだ混沌としている。いくつかの議論が起きていることについて、考えてみたい。
 第一に、ゼレンスキー大統領が、国際義勇兵を組織し、各国に義勇兵の派遣を要請したことである。日本でも、報道によると、70名ほどの応募があり、大半は退役自衛隊員だという。今のところ、政府は派遣に消極的であり、ネットでの議論でも、そうした行為は国内法に違反するという反対論や、困っているウクライナを助けるべきだという賛成論がある。政府が最も心配しているのは、政府として、義勇兵を派遣することを承認すれば、ロシアに宣戦布告したと受け取られかねないということのようだ。

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プーチン体制は継続できるのか

 ロシアのウクライナ侵攻が、長引けば、プーチン体制の危機となることは、十分に予想される。まず最初の目安は、侵攻後1週間だろう。2月24日に侵攻が開始されたから、3月3日に、キエフを支配下におき、ウクライナが降伏的な交渉に応じるようになっていれば、侵攻は成功したといえるかも知れない。しかし、プーチンにとっては残念なことに、かなりの予想が外れ、厳しい状態になる可能性が強い。
 
 端的にいって、かなり早い時期に、ロシア国内での反プーチン勢力が強くなり、プーチン体制は崩壊するのではないだろうか、と期待をもって予想しておきたい。
 ロシアのプーチン体制は磐石で、しかも、強権的で敵を打ちのめしてきたから、そんな簡単に、体制など崩れないと考える人も多いかも知れない。しかし、30年前に、かくも磐石だと思われていたソビエトが、体制ごと転覆したのであり、それは市民の運動が大きな力を発揮したのである。民衆の運動で、あの共産党体制が崩壊するということは、一部の専門家はさておき、一般的にはまったく予想されていなかった。

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入試問題ミス 全員加点は正しいのか? 名古屋大学でも

 名古屋大学の入学試験で、世界史の問題にミスがでたという。いろいろと疑問に思うところがある。
 毎日新聞(2020.2.27)によると、「名古屋大によると、ミスがあったのは中国史に関する文章に(3)~(15)の番号が付けられた空欄があり、該当する語句を埋めたり、関連の歴史事実を解答したりする問題。空欄に割り振った番号を誤り、結果として、四つの問題で解答が導き出せなくなった。」ということのようだが、二次試験なのに、穴埋め問題なのかとまず驚いた。149人の受験生なのだから、全問記述式でだすべきなのではないかと、まず私は思った。共通試験の記述問題導入が大きな騒ぎになったが、共通試験のような50万人も受ける試験では、当然コンピューター採点以外ありえないので、選択式だが、その代わり、二次試験で記述試験にするべきなのである。

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9条廃止論が過熱してきたが

 プーチンのウクライナ侵攻後、にわかに9条廃止論が再燃している。議論は、これまでと変わりはない。しかし、逆に、ウクライナ侵攻を受けて、9条は維持すべきだという認識が、私は強くなっている。
 プーチンのような指導者が、日本に攻めてきたら、9条で対抗できるのか、と廃止論はいうのだが。例えば、産経の記事だ。
 
 「自民党の細野豪志元環境相も「論ずべきは、憲法9条があれば日本はウクライナのように他国から攻められることはないのかということ。残念ながら答えはノーだ」と発信。」
https://www.sankei.com/article/20220225-VBJ5AZA6UFPLVALR6WQEO7F2UU/?outputType=amp
 
 「日本共産党が、あわてて9条擁護をしたために、それに反応した言葉」ということらしい。共産党の主張は、どのようなものか、詳しくは知らないが、少なくとも細野氏は、勘違いしている。

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ウクライナ情勢が音楽にも影響

 ウクライナへのロシアの侵攻は、強く非難されるべきものだが、それが音楽の分野にまで及んでいることについては、疑問と言わざるをえない。
 https://m-festival.biz/28702「ミラノ市長がスカラ座にゲルギエフの解任を要求、ロシアのウクライナ進行で」と題する記事によると、ゲルギエフが、ウクライナ侵攻を否定する声明をださない限り、スカラ座で予定されているチャイコフスキー「スペードの女王」の新演出上演の指揮を解任するように、要求したというわけだ。既に、ウィーン・フィルのニューヨーク・カーネギーホールでの公演は、ホールとオーケストラによって、既に降板が決められているという。
 これがゲルギエフだけのことなのか、ロシア人芸術家に対して広く行われる「拒否」なのかは、この記事だけではわからないが、率直にいって、こうしたやり方は疑問だ。思い出すのは、エルシステマで有名な、ドゥダメルとシモンボリバル・オーケストラが、毎年行っているベネズエラ大統領を招いての演奏会を、ボイコットするように、マドゥロー大統領を批判する政治勢力が要求し、激しいデモなどをしたことだ。当時の大統領はマドゥローで、チャベスの後継者だった。チャベス以降社会主義政策をとって、反米だったから、親米勢力が、反政府運動をしていたという背景がある。しかし、エルシステマは、1970年代後半から始まり、チャベス大統領の以前、つまり、親米で新自由主義的な政府が育て、それを更に発展させたのがチャベスだった。しかも、エルシステマは莫大な国家予算に支えられていたから、歴代大統領への感謝演奏会はずっと以前から行われており、マドゥローだからやったわけではない。にもかかわらず、親米勢力は、マドゥローは独裁者だからという理由で、ドゥダメルに対して、指揮を拒否せよと迫った。これは、いかにも不合理な要求であり、ドゥダメルは音楽を政治利用していると非難していた彼らのほうが、ずっと音楽を政治利用していたというべきなのだ。

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ウクライナ 今後の進展

 前回、ロシアが被ってきた被侵略の歴史を理解しておく必要があることを書いたが、別の歴史の理解も必要である。それは、戦後、大国が小国に侵攻して、勢力下におこうとして成功した事例は、ほとんどないということだ。代表的には、アメリカのベトナム、アフガニスタン、イラク、ソ連のアフガニスタンなどが代表的な失敗事例といえる。今回の当事者がロシアである点でも、ソ連のアフガニスタン侵攻を思い出しておく必要がある。
 アフガニスタンで、社会主義政権が成立したが、そのうち内部分裂が起こり、大統領タラキと副のアミンとの対立が激化、ソ連に忠実だったタラキが暗殺され、ソ連が軍事侵攻し、アミンを殺害、その後泥沼化し、アルカイダなどのテロリストが勃興、そして、タリバン政権となる。ソ連は敗北し、そのままソ連崩壊へと突き進むことになった。アフガニスタン侵攻については、ソ連中枢内部でも反対論も強く、激論が交わされたようだ。タラキは、強くソ連軍の出撃を要請していたから、殺害されていたとはいえ、アフガニスタン大統領の要請に応えて侵攻したという「形」をとっている。

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ウクライナ侵攻は防げなかったのか

 ついにロシアがウクライナに全面的な侵略を始めた。ロシアに非があることは当然だが、しかし、ウクライナ、あるいはEU、アメリカがロシアによる侵攻を防げなかったかといえば、可能性はあったというべきだ。ロシアを擁護するつもりはないが、ロシア国家としての感情を、とりあえず共感しないにせよ、理解しておく必要はある。そうした理解を基本に対策をとれば、違う結果になったといえるのではないか。
 何よりも理解しておく必要があるのは、ロシアは、他国を侵略した歴史よりは、大々的に侵略された歴史が圧倒的に多いということだ。1812年のナポレオン戦争から始まって、1914年の第一次大戦、そして、その後のロシア革命後の欧米各国(日本も含む)の干渉、そして、第二次大戦のヒトラーによる侵攻である。何度もほとんど国の心臓部まで侵攻され、多大な犠牲者が生じたことは、まぎれもない事実なのである。だから、自国が攻められることに、強い懸念をもっているということだ。もちろん、そのことと、周辺の小国に対して行った侵攻・圧迫などが正当化されるわけではないことも、合わせて認識しておく必要がある。

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