ウクライナ侵攻問題でのコメンテーター 2

 前回は、ロシアのウクライナ侵攻の目的と、ロシア人の被害者感情などについて扱われていたが、次に制裁やロシア人による虐殺について扱われる。
 まず上松氏が、「 ロシアへの制裁にかかわる国は、国連の一部だ」と提起すると、佐藤氏が、「経済制裁をしていない国が多いのは事実だが、欧米はほとんどやっている。」と述べて、欧米がやっていれば、経済制裁していることになるということで済ましているような気がする。しかし、ロシアへの経済制裁は、ひとつは、ロシアの輸出等を制限して、ロシアに戦争するための費用を与えないようにする、さらに、ロシアへの高度な技術をもつ製品の輸出を制限して、兵器の再生産を防ぎ、またロシア経済の発展を阻害することという、ふたつの目的があるが、後者は欧米が経済制裁をすれば、目的がある程度達成できるが(といっても、中国が輸出すれば、かなり穴埋め可能)、前者は、途上国がロシアのエネルギー、食料を買いつければ、ロシアの収入は確保されてしまう。従って、欧米が制裁していれば、目的達成に問題ないかのような発言は正しくないし、途上国に対して、どのように経済制裁に参加させるかの議論がなければ、やはり、制裁は目的を達成できなくなる。
 さらに続けて、佐藤氏は、大使は論理のすりかえをしていると批判する。「国連憲章2条の武力の行使をしているのは、ロシアである。自分が国連批判をしているのに、西側と我々という区別をするのはまちがい。ジョージアや南オセチアと同じ。嘘をつくと、嘘を隠せなくなる。我々は現実をみている」と一刀両断する。

 佐藤氏の主張は、これだけみると、もちろん正しいのだが、つながりとしては大使への反論となっていない。ガルージン大使は、ウクライナでロシア系住民が攻撃され、ジェノサイドの危機に直面しており、それを国際社会に訴えてきたのに、西側は耳をかさなかったといっているのだから、先に武力を行使したのは、ウクライナだと主張している。もちろん、こういう議論が大局に影響するわけではないが、せっかくロシア大使との議論の機会を設定できたのだから、大使の主張を「事実をもって論破」するためには、大使が主張している、「ウクライナが先に、自治共和国を攻撃したのだ」という主張そのものを、検証する必要があったのではないか。もちろん、自治共和国というのは、ロシアが名乗っているだけで、国際的に承認されているわけではなく、そもそも、国家内のある地域が独立することは、国家主権にとっては、重大なことであり、相互の承認に基づいて、たとえば住民投票などを経て行うものである。そうした手続きを経ずに強硬な姿勢を打ち出せば、通常国家は強い干渉を行うものであり、ロシアがウクライナ政府の承認を得ずに軍隊をいれたことは周知のことであるから、むしろ、先に武力を行使したのは、ロシア側であるというのが、おそらく事実に則した解釈であろう。そういう事実経過に基づいた批判こそが、必要な点であった。
 
 次に、議論は、民間の施設への攻撃に進んでいく。上松氏が、民間施設への攻撃について、大使に問いただし、例えば、産婦人科が攻撃され、子どもが死んだという事実を指摘し、これは国際人道法違反ではないかと追求している。それに対して、大使は、「それは嘘だ、民間施設への爆撃はなかった」と主張し、そのあとふたつの映像が流された。実際に、インタビューの場でも流されたようだ。
 その産婦人科に入院していたという女性がでてきて、最初の映像では、「 いろんなとこから砲撃があったが、確実なことはいえない」と述べているのだが、そのあと、ロシア系メディアが取材したという映像では、「空爆はなかった。誰もきいていないといっている」と、述べているのである。
 しかし、確かに、大使は矛盾したことを次に述べている。
 ガルージン大使「攻撃の目標は、ウクライナ軍の軍事施設である。ウクライナ軍が、人道法を反故にして、民間施設を自分の軍事拠点にしている。産婦人科病院もそうだ。ショッピンクモールもミサイル倉庫になっている。我々にとっては、正当な攻撃目標だ。」
 前には、産婦人科病院を攻撃していないといっていたのだが、そのあとで、病院も含めて、ショッピングモルなども、軍事拠点になっているから、攻撃対象となるのだと主張を変えている。
 このあと、上松氏は、「民間人が避難している場所だ。そこにウクライナ兵がいたとしても、すくに軍事拠点として攻撃対象にはならないはずである」と述べるの対して、あくまでガルージン大使は、軍が使っている軍事施設を攻撃しているだけだと言い張る。
 脇道にそれるが、南京虐殺を巡る議論を思い出す。「虐殺はなかった派」は、中国兵は、民間人を装って、南京に隠れたから、兵と民間人の区別がなくなり、しかも、それを意図的に彼らはそうしていたので、日本軍は、民間人を虐殺したことにはならないのだ、という論理を使っていた。つまり、ガルージン大使と、「南京虐殺なかった派」の論理は同じなのである。
 畔蒜氏は、「ネオナチを打倒するんだということから始まっているので、手段を選ばずにやっている。とみえる。民間人が犠牲になって人道上問題だが、ロシアとしては、あのようにいうしかない」と感想を述べているにとどまっている。佐藤氏は、ロシアはこれまでマレーシア航空撃墜などを始め、嘘を積み重ねてきたので、信用できない、現在は携帯電話などで撮影されたものが、SNSにアップされて、昔のように大本営発表を通じないと指摘している。
 ふたつの映像が、最初「爆撃があった」と述べたのが、ロシア系メディアの取材になると「なかった」と変化したのは、当然、ロシア警察などが、そのような発言を強要したと考えのが自然であり、ロシアメディアの映像を見る場合、常に考えねばならない点として確認できるだろう。嘘をつくという佐藤氏の指摘は、もちろん打倒ではある。
 
 ここから、この点を受けて、議論はロシアは領土獲得的な行動をとっているのに、こうした無差別爆撃をして、破壊してしまったら、そのあとの再建が困難になるのではないか、そこはどうなのかという点にテーマが移っていく。そして、ここではゲストの二人がまったく異なる見解をだしているのが興味深い。
 畔蒜氏が、「ロシアは、そこまで深く考えていない。復興までは。戦争に勝つということだけ。」とロシア軍の計画性のなさを述べているのに対して、佐藤氏は、ロシアのやり方は、完璧に街を破壊して、親ロ派の住民を移住させて、あときれいな街として再建させる。チェチェンやシリアなどでもそういう経験があるので、十分に考えてやっている。マリウポリの製鉄所を残すなど、考えながらやっていると、むしろ計画的な行為であることを述べている。実際に、ロシア軍の破壊活動をみると、佐藤氏の見解が事実に近いのだと思われる。しかし、マリウポリ製鉄所では、地下貫通爆弾などを投下しているところをみると、徹底していないのかも知れない。
 ここでは語られていなかったが、別の映像で、マリウポリで再建された学校で学ぶ子どもたちの様子をみせていたが、いかにも不自然な映像だった。あれだけ破壊されつくしたマリウポリであるにもかかわらず、非常にきれいなビルが立ち並んでおり、そして、学校も清潔感あふれる作りで、子どもたちがロシアの教科書をもらって、楽しそうにしている映像だ。マリウポリにあのような建物が残っているのか、子どもたちが、そんな簡単に楽しそうになれるのか、どう考えても、マリウポリで起きていることとは思えなかった。別のロシア地域で撮影されたものだと考えるのが自然だろう。
 しかし、ロシアがめざしているのは、こうしたことなのだということは、よく理解できる映像だった。もちろん、その映像が説明の事実と異なることは、明白だと思うが。
 
 最後に、住民の虐殺についての応答がある。問われたガルージン大使は、「ウクライナ側がやったのは明らかだ。民族主義部隊がやっている大量虐殺を、外国世論から目を逸らすためだ。」と述べ、遺体などないブチャの映像を流したという。それに対して、番組では、ガルーシンの流した映像は、死体のあった道路とは異なるもので、別の死体のある映像を流して、双方を比べていた。上松氏が、ガルージン大使に、ふたつの映像を示しながら、「映像は、路上に置き去りになった遺体があることをしめしている。無差別射撃という証言がある。一緒に国際社会の調査を協力するのはどうか。」と問いかけると、大使は、「ニューヨークタイムズは、捏造である。西側にとって都合のいい形で、国際刑事裁判所は取り調べ判決をしている。信憑性に疑問がある。」と反論しており、それに対する上松氏の反論はあったかどうかわからないが、スタジオに戻って、畔蒜氏が次のように述べている。
 「ウクライナの情報戦と比べると、稚拙だ。軍事作戦そのものが、ちゃんと練られていない。不確かな情報にもとついているので、こうなっている。」
 具体的な事実を指摘するよりは、ロシアの情報はずさんなので、問題にならないという対応だ。佐藤氏は、多少つっこんで「準備不足はあるが、ロシア国内に伝わらなければ大丈夫なのだ。ロシア国民は、国営通信しかみていないので、信じている。民主主義国家は、そういうことが難しい。」と述べていたが、日本での情報統制が難しいことを、しきりに強調している。まるで、日本でも言論統制が必要だというような雰囲気も感じさせて気になった。日本政府は、政府にとって都合が悪いことでも、そしてたとえ危機的な状況においても、しっかり言論・報道の自由を守っていくと、明確に述べてほしかったが、統制を望んでいるのかも知れない。日本の報道の自由は、実は国際比較であまり上位ではないし、特に政治的な報道規制をかけているのは、自民党だから、佐藤氏の発言はやはり、気になるものだ。
 その後「ネオナチ」という言葉について議論があり、別の話題も扱っていたが、とにかく、気になったのは、せっかくロシア大使との議論の場が設定されたのに、日本側の詳細な詰めが行われておらず、結論的にはおかしいとしても、ガルージン大使の論理が勝っているようにみえてしまう場面がいくつかあった点である。ロシアと同じように、日本人向けなので、日本人の多くが信じればいいという姿勢で、番組がつくられているのだろうか。民主主義国家であることを強調するなら、しっかりとした具体的で説得力のある反論が必要ではないかと、少々気が滅入った。
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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