毎日の生活で私の人間の尊厳はちゃんとある!と感じる人は多くないだろう。尊厳についてあまり考えていないということは幸せに生きているからだろう。この幸せとは、毎日がハッピーな気持ちでいることでなく、生きる希望を持ち続けているかということだ。辛かったことがあっても未来を信じて努力しようとする姿勢は生きる希望があるととらえる。一方、自分は人間らしい暮らしをしているのだろうか、と考える人もいる。例えば、経済的に裕福であっても孤独を感じて毎日死にたいと思っているような状態であれば、生きている意味があるのか、と考えやすくなるだろう。このように、人間の尊厳について考えることは、尊厳が侵されている状態であることが多い。自分たちが幸せであるから不幸な人たちのことが盲点になりやすい、ということは、共存ができていなくみんなが平等な社会ではなく、改善をしていかなくてはならばない。日本では、死因の中でも自殺が大きな割合で占めている。自殺はただ死にたい、と思っただけで実行するほど軽率な行為ではない。自殺は精一杯生きたくてももうその望みはなく、その辛さから逃れる最終手段であり、自殺を選択する状態は決して人間の尊厳があるとは言えない状態だろう。自殺の中でも、いじめによるものは大きく取り上げられる。様々な理由があると思うが、いじめはとても身近な存在であるから注目されるのだと私は思う。加害者でも被害者でもほぼすべての人が経験したことがあり、尊厳が侵される原因の中でも最も身近なものだと言っても過言ではないだろう。
いじめが深刻な問題になるのは学校である。子どもたちは他人の気持ちを理解できなかったり、大人数の仲間を作り少数の人を非難したりいじめが起きやすい条件があるし、多くの人がいじめを体験する初めての場所でもあり、学校のいじめは尊厳を侵しやすくなる。
それでは、いじめを未然に防ぐには教師はどうしたらよいか。今よりも子どもの生活と密着になれるようにすればよいのか。今の教師の仕事の状況からして、これ以上仕事を増やすことは不可能であるし、仮にスクールカウンセラーを増員したとしても子どもの生活を深く関わろうとすると、子どもを自由にしてほしいと保護者からクレームを言われる場合があるし、いじめをなくそうと押しつけることで、表面的にはいじめがないように過ごすのだが、ネットいじめを行うなど、いじめが陰湿化してしまうケースがある。いじめが起きないことが一番良いことであるし、本来ならばそうしなくてはいけないが、私は、いじめを受けているときやその後のサポートが尊厳に関わってくると思う。いじめを受け始めたころは解決したい、という生きる希望があり尊厳が侵されている状態にはなりにくいが、深刻になり生きている意味を見いだせなくなってしまったら、他人のサポートがしにくくなるだろう。いじめの早期発見によるいじめ対処のサポートが重要だと思う。私は以前いじめを受け、自分の欠点を見直すことができたりその後いじめられている人の気持ちを少し理解できるようになったりと、いじめられた経験がマイナスなことばかりではないと思う。しかしこのように考えられるのは早期発見や当時の先生が助けてくれたり家族が悩みを聞いてくれたりしたので、そこまで深刻な問題に至らなかったのだと思う。いじめを“なくす”より“軽減する”ことが尊厳を守ると考えたときに重要になってくるだろう。いじめがあっても教師がそれを気づけるように、子どもと教師の信頼関係を強くしたり、いじめられている子を助けたいと思う子が1人でもいてその子が行動に移すことができるようになったりすればいじめが止められると推測する。
いじめのサポートの仕方をするためにまず、学校現場ではどのような方法でいじめを解決しているのかを知りたい。教師によっていじめの対処する方法が違い、どの方法が効果的であるのかをいじめの対処が得意な教師に聞き出したい。これをきくのはボランティア先の学校にインタビューして調査する予定だ。次に、いじめられて学校に行けないような子のサポートはどのように行って再び学校に通えるようになるのかを、電話の相談所に伺ってサポートの仕方を学びたい。この二か所でのいじめのサポートの仕方の相違点を見つけ、学校現場でも実践できるようなサポートの仕方を見つけたいと思う。