にわかにオリンピック疑獄の捜査ともいうべき事態が進展している。このブログを読んでいる人には、周知のことだが、私は、原理的オリンピック反対派である。オリンピックという国際競技大会は、少なくとも現在の形では存続すべきではないという立場だ。存続するとしたら、大きく形を変える必要がある。
それはさておき、オリンピック疑獄は、どこまでいくのか。そして、これどのように受けとめるべきなのか。
オリンピックは、近年のほとんどの大会がそうだと思うが、利権集団によって運営されている。そして、かなりの部分は、批判的論者によって指摘されているから、なんとなく理解はされている。オリンピックは、国民に勇気を与えるなどと自己礼賛しているが、実態は、各種利権集団によって、利権獲得競争が行われているわけだ。競技だけに限定すれば、「感動」もたくさんあるだろうが、オリンピックという全体の構造は、感動を生み出すことが、主要な目的とは思えない代物である。そこに初めて捜査のメスが入った。