野球が久しぶりな熱さを感じさせている。WBCは、にわか野球ファンをたくさん生んだし、日ハムの新球場エスコンフィールドも完成し、開幕から使われた。しかし、その後多少緩和されたらしいが、開幕の初日は、帰宅の交通機関が大混雑して、交通アクセスの悪さが浮き彫りにされた。当然、球場や市が対策を練って、やがて交通機関は改善されるだろうが、試合終了時間が遅かったことも、混乱の一因になっていると思われる。WBCでも、とにか、試合時間がながかった。サッカーは、原則90分で終わり、延長になっても、それほど長くはない。休憩を挟んでも2時間で、だいたいは終わる。しかし、プロ野球は3時間は、短いほうで、長いときには、更に30分、1時間延長される。もちろん、プロ野球機構としても、対策をねっているが、とにかく、試合のテンポ感が、どんどん遅くなっている。大リーグでは、ピッチクロック制を導入して、テンポを速くするように改定している。ピッチクロック制とは、投手が投げる間隔を、無走者の場合15秒、有走者のときは20秒に制限するものだ。これで、けっこう速くなるらしい。
カテゴリー: スポーツ
WBC 事実は小説より奇なり
NHKテレビの初期だと思うが、「私の秘密」という番組があった。いまでも、ときどき話題にでるような人気番組だった。ある人の珍しい経験を、回答者たちが質問をしながら、その経験をあてるという、一種のクイズ番組だったが、冒頭に、高橋啓三アナウンサーが、「事実は小説より奇なり、と申しまして」と必ず言うことになっていた。そういう言葉が、本当にあるのかわからないが、確かに、どんな作り事よりも珍しい、印象的な事実はあるものだ。
今回のWBCは、まさしく、この言葉に相応しいドラマだった。ネットのコメントでも、「漫画のストーリーに、あのような場面を設定したら、あまりにリアリティがないからだめだと言われそう」というのが、多数あった。たしかに、いくらそういう場面が実現してほしいと思っても、実現しそうにない対決が実現してしまった。
パリ五輪へのロシア参加問題 拒否すべき
ウクライナのゼレンスキー大統領が、来年のパリオリンピックで、IOCがロシア選手の「中立」を条件の参加を認める方針を出したことに対して、ロシア選手を参加させるべきではない、と国際社会に訴えた。そして、それに対して、ロシア側が反対声明を出している。
「「受け入れられない」 ロシアが五輪除外の呼び掛けに反発」(URLは文末)
この問題をどう考えるか。
オリンピックには、ふたつの原則めいたことがある。ひとつは、「政治を持ち込まない」ことであり、他は「オリンピックは平和の祭典」ということだ。しかし、周知のように、このふたつの原則は、相反することがしばしばある。政治的メッセージを、なんらかの形で発した選手が非難されることがあるが、他方、そうしたメッセージは人権抑圧への抗議であることが多く、共感や支持が寄せられることもある。また、モスクワオリンピックは、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、西側は多くがボイコットした。
平和の祭典に関しては、実はオリンピックは3回中止になっている。
箱根駅伝雑感
今年も箱根駅伝が盛り上がったようだ。私は熱心な観戦者ではないが、食事時間とかなり重なるので、そのときには家族と一緒に見ている。食事が終わっても、多少は延長しているが。
箱根駅伝は、いろいろな意味で考えさせる側面をもっている。私は私立大学に勤めていたので、私立大学にとっての箱根駅伝を考えることがよくあった。なんといっても、箱根駅伝に出場することは、私立大学の営業にとって、非常に大きな利益をもたらす。受験シーズンが始まる時期に、2日間、合計10時間テレビで大学名が連呼されるのだ。そして、今や箱根駅伝で記録をつくったりする選手は、大学ではスターなのだろう。ある大学では、初めて箱根駅伝に出場したあと、受験生が2割ほど増加したという。だから、名前を売り込みたい大学は、かなりの特典を与えて、有力選手を集めることになる。スポーツ推薦の形だが、おそらく、スポーツ推薦で最も効果が高いのが箱根駅伝なのではないか。大学スポーツで、短期間にこれだけ集中的にテレビ中継されるものはないと思われる。
過激なサッカー・ファンへの違和感
サッカーのW杯が行われていて、日本中に旋風が起こっているかのようだ。なにしろ羽鳥モーニングショーは連日、ほぼすべての枠をW杯話題を扱っている。さすがに、その時間帯は別の番組を見るようになってしまった。こうして離れていく視聴者もいることは、ぜひ知ってほしいものだ。
サッカーが面白いスポーツであり、また、最も国際的な人気が高いことも十分に承知しているが、ただ、サッカーファンの行動については、どうしても疑問を感じることが多い。極端な事例では、昔アルゼンチンの選手だったと思うが、国際試合で負けて、帰国したときに、怒ったファンから殺されてしまったことがある。ここまで極端ではなくとも、負けるとその国のファンが異様に激しい抗議行動をすることが少なくない。今回も、世界ランキング2位のベルギーが敗れて、ベルギー国内で暴動に近いような抗議活動が行われたと報道されている。かつて、クラブ対抗の決勝戦が、日本で行われていたことがある。トヨタカップと称していたと思う。それは、負けたほうを応援しているサポーターたちが、試合後騒ぎを必ず起こすので、それを避けるために、決勝にでる可能性がほとんどないこともあるだろうが、観客がおとなしい日本で行われることになったと言われていた。フーリガンという言葉があるくらいだから、サッカーファンの暴力的なことは、広く認知されているといえる。
大谷翔平の偉業 専門化と総合化
ついに大谷選手が、これまで誰も到達しなかった記録に到達した。打者として規定打席回数を、そして投手として規定投球回数を上まわった。双方とも、近年減少しているのだそうで、単独でも到達すれば、信頼されるレギュラーである証なのだが、それを二刀流で到達したのだから、文字通り歴史に残る偉業である。
大谷が二刀流に挑戦するときに、かなり多くの野球評論家たちが、反対して、絶対成功しないと断言していた。江本氏などが代表だ。大リーグに挑戦したときにも、アメリカの評論家たちは、否定的な者が多数だったように思う。それは、個々の選手のその領域での成績を元に考えるからだ。打者なら、ホームラン、打点、打率等々。投手なら防御率、勝利数等々。それをもとに、ホームラン王や最多勝利を決める。そして、そういうタイトルをとれることはまずないから、大谷が成功することはないという理屈があった。もちろん、二刀流そのものが近代野球では無理なのだという見解も多数あった。
札幌五輪は招致すべきではない
にわかにオリンピック疑獄の捜査ともいうべき事態が進展している。このブログを読んでいる人には、周知のことだが、私は、原理的オリンピック反対派である。オリンピックという国際競技大会は、少なくとも現在の形では存続すべきではないという立場だ。存続するとしたら、大きく形を変える必要がある。
それはさておき、オリンピック疑獄は、どこまでいくのか。そして、これどのように受けとめるべきなのか。
オリンピックは、近年のほとんどの大会がそうだと思うが、利権集団によって運営されている。そして、かなりの部分は、批判的論者によって指摘されているから、なんとなく理解はされている。オリンピックは、国民に勇気を与えるなどと自己礼賛しているが、実態は、各種利権集団によって、利権獲得競争が行われているわけだ。競技だけに限定すれば、「感動」もたくさんあるだろうが、オリンピックという全体の構造は、感動を生み出すことが、主要な目的とは思えない代物である。そこに初めて捜査のメスが入った。
吉村 部活改革案は何も改善しない
吉村大阪府知事が、部活の改革として、複数の学校でひとつの部活という案を検討するという。各種メディアで報道されているが、NHKの記事でみていこう。「大阪知事 複数の府立高校で1つの部活動運営 制度検討を指示」
文科省は、教員の働き方改革の改善として、部活については、順次地域のクラブに移管していくことを提起している。それに対して、吉村知事は、それは、多くの財源が必要なので、絵に描いた餅ではないかとして、ひとつの学校で部活を完結させるのではなく、近隣の2校で1つの部活を運営されるような「複数校1部活制」があってもいいという意識だそうだ。記事によると、会議に出席した4人の教育委員がおおむね賛成だった。
河瀨直美監督「東京オリンピック」映画を見た けっこうお薦め
私は、普段からほとんど映画を見ないし、オリンピック反対派なので、河瀨直美監督の東京オリンピックの映画を見るつもりはまったくなかったが、ふたつのきっかけで、見ることにした。
ひとつは、「ぼのぼの」氏のツイッター、https://twitter.com/masato009/status/1533376068325089280?t=RI4JubVwUNp2lNREtlgOvw&s=19
もうひとつは、一月万冊での紹介だった。ぼのぼの氏は、公式映画であるにもかかわらず、オリンピック批判の姿勢をもった映画で、体制べったりの映画ではない、という評価だった。それに対して、一月万冊の本間龍氏は、オリンピックの構成がない、単なる逸話の羅列で、まったく面白くないという評価だった。近所でやっているし、見る価値はありそうだと思ったわけだ。それにしても、人気がないようで、本間氏が見たときには、観客は本間氏をいれて2名だったそうだ。私が見たときには、5名だった。映画館が気の毒になるような人数だ。
ウィンブルドン大会でのロシア・ベラルーシ選手の排除は
ウィンブルドンが、今年の大会にロシアとベラルーシの選手が参加することを拒否する決定をした。これに対して、男女のプロテニス協会がそれぞれ批判をして、対抗措置を公表している。一般のひとたちも、またテニス選手の間でも、意見は大きく割れている。非常に難しい問題なので、考えがなかなかまとまらなかった。
他の大会では、これほど明確に排除をしていないから、「国籍による差別である」「スポーツを政治利用している」という批判が、とくにテニス選手から寄せられている。
しかし、スポーツの政治利用という批判は、あまりあたらない。むしろロシアが、スポーツを政治利用していることの方が顕著であり、ロシアの国家的なスポーツの政治利用を防ぐという意味は、十分に認められると思う。「国籍による差別だ」というのは、確かにその通りだろう。おそらく、ウィンブルドン主催者としては、そうした非難は十分に考慮した上での結論だと思われる。