河瀨直美監督「東京オリンピック」映画を見た けっこうお薦め

 私は、普段からほとんど映画を見ないし、オリンピック反対派なので、河瀨直美監督の東京オリンピックの映画を見るつもりはまったくなかったが、ふたつのきっかけで、見ることにした。
 ひとつは、「ぼのぼの」氏のツイッター、https://twitter.com/masato009/status/1533376068325089280?t=RI4JubVwUNp2lNREtlgOvw&s=19
もうひとつは、一月万冊での紹介だった。ぼのぼの氏は、公式映画であるにもかかわらず、オリンピック批判の姿勢をもった映画で、体制べったりの映画ではない、という評価だった。それに対して、一月万冊の本間龍氏は、オリンピックの構成がない、単なる逸話の羅列で、まったく面白くないという評価だった。近所でやっているし、見る価値はありそうだと思ったわけだ。それにしても、人気がないようで、本間氏が見たときには、観客は本間氏をいれて2名だったそうだ。私が見たときには、5名だった。映画館が気の毒になるような人数だ。

 
 さて、見終わっての感想だが、一言でいえば、面白かった。なんとなく気乗りのしない感じでつきあってくれた妻は、「寝てししまうと思う」といっていたが、実際には、まったく寝ることなく、鑑賞していた。つまり、手に汗握るような部分はまったくないが、退屈する映画ではなかった。
 本間氏は、市川映画と比較して、オリンピックの進行に従っておきるドラマが感じられないと言っているが、そういうことは、最初から無視している。つまり、オリンピックに熱中し、日本が金メダルをいくつ、だれがとったか、とか、世界新記録がいくつでたか、とか、そういうことに関心を集中させている人たちからすれば、まったく見る価値がない造りになっている。
 そうではなく、最後に文章として出てくる、クーベルタン男爵の言葉「勝つことではなく、過程の努力にこそ意味がある」という(通常ここは「参加することに意義がある」とされるが)ことを、文字通り活かした構成になっているのだ。つまり、何か参加するなかで壁があったひとたちの、参加の過程における人間ドラマを中心に描いている。勝者の努力と栄冠ではなく、敗者になってしまったが、壁を乗りこえて参加したひとたちの努力が描かれている。だから、盛り上がらないのは当然で、そこに興味をもてるかどうかが、評価の分かれ目になる。そういう意味では、単なる逸話の羅列ではなく、逸話が統一的なコンセプトで並んでいると理解できる。
 
 出産したばかりのママさん選手が二人でてくる。一人はカナダのバスケット選手。当初、コロナの影響で、選手だけが入国できるという規制を、日本オリンピック委員会がかけていたが、どうしても母乳で育てたいと意志と、参加したいという意志を両方とも実現させるために、日本側と交渉を繰り返し、子どもと一緒に入国することが認められる。そして、大会中に、母乳を与えるシーンもでてくる。そして、今は母親になっている日本人の元バスケット代表が、「私たち、特に日本人は、だめだといわれたら、素直に従ってしまうし、私だったら、子どもと会うのは大会後と諦めてしまうだろう」と発言することで、そのカナダ人を讃えている。
 もう一人は、マラソンのアメリカ人だ。出産後だから諦めようかと一時考えるが、周囲の励ましもあって挑戦することになる。本番より、練習中の映像が多く、子どももかなり映されている。このように長々と、抱っこされたり、乳母車の赤ちゃんを見せられるのは、少々閉口したのも確かだ。彼女は、結局、真夏の日本の暑さの影響もあったのか、途中棄権になった。
 出産とは違うが、場違いなほどの高齢者が、体操競技に参加する場面がある。跳馬だが、若い選手が次々に演技し、その間、高齢者が背景を語る。ソ連ともうひとつの国(忘れてしまった)の代表としてメダルをとったが、現在のウズベキスタンではメダルをとっていないので、参加したと語る。しかし、演技は年齢を考えれば、見事だったが、当然入賞などはしていない。しかし、年齢の壁を乗りこえたということだろう。
 
 政治的困難を抱えた選手も紹介される。
 一人は、シリア難民で、あまり詳しいことは紹介されなかったが、トライアスロンに出場していた。
 もう一人は、イランからの亡命者で、別の大会だと思うが、たぶんイスラエルの選手と対戦相手になるから、試合を棄権しろ、という指示が伝えられるところから、この逸話が始まる。棄権はしないのだが、闘う意欲が感じられないような試合をして敗れてしまう。棄権しないと殺されると言われるのだが、その背景はまったく説明されないので、どういう事情なのかはわからない。とにかく、亡命先で、モンゴル国籍を取得できたので、オリンピックにはモンゴル代表として参加し、決勝までいくのだが、決勝で日本人選手に敗れてしまう。
 柔道についてはかなり扱われていて、ご丁寧にも東京オリンピックでヘーシンクに敗れた映像まで挟まれている。そして、ロンドン大会で惨敗したので、その後死に物狂いで練習し、特に井上監督が、じっくりと意見交換するような方針に転換して、今回に挑んだという談話が出てくる。しかし、男女混合の団体戦では、フランスにぼろ負けするシーンが挟まれる。
 
 もうひとつの「壁」は、そもそも種目として、いれられるかという苦闘だ。
 まず、ソフトボール。北京後なくなり、東京で復活したわけだが、パリでは再びなくなることになっている。そういうなかで、強豪アメリカを敗り、金メダルを獲得した日本チームが、試合のシーンやインタビューでかなりの時間が割かれていた。やはり、なかなか種目になれない悩みがある。そのなかで、日本がピンチのとき、ヒットを打たれれば逆転されるというときに、アメリカ人の痛烈な打球が3塁手の脇に飛び、懸命にグラブをだすが弾かれてしまう。しかし、それを直接ショートがとって、飛び出したランナーが戻れず、ダブルプレーとなるシーンがでてくる。通常のオリンピック映画に期待されるような、わずかなシーンだ。
 サーフィンが今回初めて種目となったということだったが、その運動を長年やってきた本人が、いかに苦労したかを語る。サーフィンをしているシーンも出てくるのだが、本番なのか練習なのかもわからないし、どういう採点をするのか、結果はどうだったのかもまったく示されない。
 そして、スケボーだ。これは逆に、種目にいれる努力などはまったく語られず、比較的高齢な人も、おそらく今大会最年少の日本人の少女などが、いれかわり演じる映像がながされ、すばらしい演技には、選手たちが集まってハグをする。いかに難しい技をこなしているかは、よくわかるような映像になっていた。
 
 多少毛色が違うのは空手の扱いだ。空手も今回から入り、沖縄出身の喜友名諒が優勝したのだが、むしろ、沖縄のひとが、発祥の地である沖縄の空手が、国際的な標準化ですっかり変わってしまったのが残念だ、という談話を何人かに語らせている。
 
 オリンピック礼賛映画ではないことは、開会式の映し方にも反映されている。国立競技場のなかの映像は、天皇の入場と挨拶の最後、そして、大坂なおみの点火場面だけで、あとはすべて競技場の外にいるひとたちの目線になっている。花火も外部からみた映像だ。そして、オリンピック反対デモも何度か紹介される。
 常識的に予想されるオリンピック映画ではないことは、間違いない。オリンピック組織委員会から公式に依頼されたわけだから、露骨な反オリンピックの立場で制作することはできないのだが、基本的に、オリンピック推進派的立場ではない場面で、ほぼ満たされている。しかし、これもオリンピックの重要な側面であることも間違いない。オリンピック批判派はもちろん、オリンピック礼賛派のひとも、この映画で、オリンピックを考えなおしてみることも意味あることではないだろうかと感じた。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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