今日、3月24日、学校の再開に関する文科省のガイドラインが発表された。大学は、多くが新型コロナウィルスの感染が深刻になったころには、事実上の春休みにはいったところが多いと思うので、小中高のような突然の休校措置の影響は、さほどではなかったはずである。だから、休校措置になっているわけではないが、しかし、4月になれば、新学年度が始まる。近年の大学の日程は極めてきつきつなので、4月の最初からオリエンテーションなどが始まるわけである。私自身は、この3月で定年退職なので、まったく関係ないのだが、やはり、気になる。
大学用の指針は、最初に、感染しやすい3つの条件、1換気の悪い密閉空間、2多くの人が近距離で集まっている、3近距離での会話等がないように配慮することが示されている。ところが、学校という場所は、この3つともが揃っている。このひとつですら、かなり難しいと思われる。それは大学でも同様だろう。大学で授業を開始すれば、この3つの条件はすべてが揃ってしまうことになるだろう。しかし、単位の認定などの問題があるから、いつもでも大学を再開しないわけにはいかない。 “学校の再開” の続きを読む
カテゴリー: 教育
『教育』2020.4を読む 宿題を考える2
研究者とジャーナリストの次に、小中の教師と保護者、塾の運営者の宿題論が続く。
まず、中学教師の柳井良壽氏の「子どもの学びを励ます」は、朝授業のために教室に入ると、前の時間の教師だろうか、宿題を忘れた生徒を叱っている場面に出くわす。宿題を忘れたケン→明日やってきて、朝一番に提出すると約束→してこなかったので叱責という状況だった。そして、その教師は、「約束を守れない人は人から信頼されない」「友達がいなくなる」といって説教する。
しかし、柳井先生は、このやりとりに違和感を感じているようだ。宿題を提出できない生徒はいつもいる、子どもの生活が忙しすぎる、自分の時間をもっていない。こういう状況で宿題などできない生徒がいても、仕方ないのではないか。
宿題などださなくても、勉強してくる主体的学びができたらいいのに、と他の教師に語ると、そんなの理想だよと一蹴される。 “『教育』2020.4を読む 宿題を考える2” の続きを読む
『教育』2020.4号を読む 宿題をどう考える
『教育』4月号の第二特集が「たかが宿題 されど宿題」となっている。宿題は、教師にとって非常に悩ましい対象だろう。宿題などださなくても、子どもたちみんなが必要な家庭学習をきちんとやって、学力が確実についていけば、理想的だ。しかし、現実はそれにはほど遠いのだから、宿題をださなければならない気になるし、また、家で勉強するように、たくさん宿題だしてくださいという親もいるだろう。そうすると、子どもにとっては重荷になるわけだから、「何故宿題だすの」という疑問もだされて、それに答えなければならないし、また、だして来ればそのチェックも必要だ。ださない子どもには、催促もしなければならないだろう。子どもにとって重荷であるように、教師にだって重荷であることに変わりはない。
この特集の最初に、編集部の書いた文章が掲載されており、そこには、「させられる教育という言い方に収斂しない、学習としての宿題について問い返してみたい。」と書かれている。しかし、興味深いことに、最初に書かれている丸山啓史氏の「宿題のどこが問題か」と杉原里美氏の「家庭を巻き込む親子参加型宿題-家庭教育の推進を背景に」のふたつが、宿題に極めて否定的な立場から書かれており、そのあとの5つの文章は、宿題に疑問をもちながらも、積極的な意味の模索も感じられる。丸山氏は、大学の教師であり、杉原氏は、朝日新聞の記者である。そのあとは、教師、親、地域活動家である。 “『教育』2020.4号を読む 宿題をどう考える” の続きを読む
神戸教師間いじめの起訴 「寛大」には疑問
神戸新聞2020.3.122に、「教員間暴行の加害教員4人、なぜ起訴されなかった? 兵庫県警内でも意見割れる」という記事が載っている。昨年の教育界での事件として話題となった、教師が教師に継続的ないじめ行為をしていた事件で、警察内で扱いに関して意見が分かれ、「起訴猶予」を求める「寛大」という処分意見が付されて、送検されたようだ。刑事罰を課すべきであるという世間の意見が強かったが、「物的証拠が乏しい上に4人の加害の意識は薄く、2人は職を失った」というのが、その判断の根拠とされる。
被害教員は、100項目にわたるハラスメント行為を訴えたが、加害教員は、「ふざけ合いの延長だった」と犯意を否定し、「動画以外の明らかな物的証拠がない」と立証の難しさをあげたとする。より厳しい措置を求める捜査員もいた。
これに対して、逆といえる処分もあった。一般的に公務員が犯罪の疑いをもたれたとき、刑事処分が決定されるまでは、「推定無罪」が適用されて、実際の仕事を解かれることはあっても、正式な処分はくだされない。しかし、この事件では、処分を待たずに、懲戒処分がくだされている。それに対して、弁護士から不当であるとの申し入れもあった。 “神戸教師間いじめの起訴 「寛大」には疑問” の続きを読む
教師の養成について考える2 実習について1
私の勤めていた大学は、教育実習にいった学生の研究授業を見に行くことが義務づけられている。もっとも、近郊の都県だけで、遠いところは行かない。教育実習は、小学校は4週間、中高は3週間あるのだが、学生にとって、この経験は非常に大きい。私は、教職科目のいくつかの科目を担当していたが、自分では教職免許はもっていない。小学校や中学校の教師は、性格的にむかないと思っていたことと、高校時代に研究者になることを決めていたためでもあった。だから、現場のことを知るには、教育実習を訪問することは、とても有意義だった。訪問が義務になったのは、私が勤めてから大分経ってからだが、私は教師一年目から、卒論担当のゼミ学生の教育実習を訪問して、その頃はビデオを気軽に撮影することができた。
このビデオ撮影はとても有意義なもので、学生が大学に帰って来てから、反省材料にしてもらったり、あるいは、翌年実習に行く学生が、雰囲気を知るためにもとても効果的だった。
しかし、ある時期から、ほとんどビデオ撮影は許可されなくなり、学生の教育上非常に不便になったと感じている。ある時期というのは、個人情報保護が重視されるようになってからだ。もっとも、そうなっても、その学校の教師が撮影することは、けっこうあって、もし個人情報が漏れて危険だというなら、その学校の教師が撮っても、大学の教師が撮っても同じではないかと思うのだが、実習は将来教師になる学生にとっての重要な実地の学習だから、そういう点でのおおらかさを期待したいと思っている。 “教師の養成について考える2 実習について1” の続きを読む
『教育』2020.3を読む 大学で、教養と教育を考える2
今回は、米津直希氏の『学生の「自治的活動」と学び』を取り上げる。
2019年3月の大学評価学会における中山裕之氏の報告が、大学における生活指導の領域(部活動、サークル活動、自治会活動、社的な活動など)を「課外の自治的活動」としてとらえ、青年期の発達における意義と位置づけを検討したもので、討論の結果、「そうした能力の形成が大学教育、あるいは青年期教育において重視されるべきだとの認識が得られた」とする。最後の「認識が得られた」というのが、多少わかりにくい。というのは、このあとすぐ、「学生自治」に関して、1968年からの大学紛争で得られた認識は、日本においても、また、ヨーロッパやニュージーランドにおいても、学生参加や自治会活動が、「学生教育として位置づけられているのだろうか」と疑問を呈しているからである。日本においては、そもそもが貧弱な成果しかなかったのだが、ヨーロッパでは、学生参加の権利は、高等教育だけではなく、中等教育のレベルまで保障されている。そして、初等・中等教育においては、父母の参加も制度化されている。そして、米津氏の指摘するように、それは、「学生教育」として位置づけられているのではなく、運営に対する参加の権利として位置づけられているのである。 “『教育』2020.3を読む 大学で、教養と教育を考える2” の続きを読む
今度は全国休校の軌道修正か
昨日の日本全国の小中高と特別支援学校の春休みまでの休校の要請は、案の定日本中で大きな驚きをもって受け止められた。おそらく、現場は相当な混乱に陥った一日を過ごしただろう。月曜日からということは、昨日発表されて、具体的なことを決めて、保護者や子どもたちに伝えるのは、今日一日しかないのだ。あまりに急だということで、火曜日からの休校を決めた地域もあると報道されていた。野党からは撤回要求などもだされたようだが、岸田氏は、「やることはすべてやるのだ」と応じたそうだが、「やるべきことを、かなりやらずにここまできた」のに、よく言う、という感じだ。 “今度は全国休校の軌道修正か” の続きを読む
大津いじめ事件二審判決 賠償額が1割に。信じがたい判決だ
「いじめ防止対策推進法」なる法律まで生むきっかけとなった大津のいじめ自殺事件で、大阪高裁の判決が出されたと報道されている。今は、速報だけだが、読売新聞では、自殺の原因がいじめであったことが認められたが、一審での賠償額認定が3750万だったのが、400万だけになったとの報道だけだが、朝日新聞には、次のような理由が説明されている。
「佐村浩之裁判長は、いじめと自殺の因果関係を認めた一方、「自殺は自らの意思によるものであり、両親側も家庭環境を整え、いじめを受けている子を精神的に支えることができなかった」などとして過失相殺し、元同級生2人に計約3750万円の支払いを命じた一審・大津地裁判決を変更して賠償額を減額。元同級生側に約400万円を支払うよう命じた。」
これは、驚くべき論理だ。つまり、自殺の責任は、
1 本人の意思
2 親が家庭環境を整える責任
3 いじめ
ということになるようだ。そして、いじめをして、自殺に追い込んだ加害者の責任が1割で、本人と親が9割という計算がなされている。 “大津いじめ事件二審判決 賠償額が1割に。信じがたい判決だ” の続きを読む
教師の養成について考える1 教職の魅力の低下
教員養成のあり方は、戦後ずっと議論の対象になってきた。その時々の議論はもちろん違っている。今は、何が課題だろうか。それはいくつもあるように感じる。私自身、ずいぶんたくさんの学生を、学校現場に送り込んできた。既にその役割は終わったが、そこで、考えたことを、少しずつ整理してみたいと思う。
現在の教員養成の最大の問題は、教師志願者が減っていることだろう。減れば平均的な質が低下することは、割けられない。欧米では、戦後一貫して、教師不足が続いている。おそらく、特に初等教育の教師の人気が高くて、倍率が高いなどということは、ほとんどの欧米諸国で起きたことがないだろう。フィンランドは教師の人気が高く、なるのが大変だと言われているが、例外的存在なのではなかろうか。
しかし、日本は、少なくとも戦後直後と、最近を除けば、教師はいつも人気の高い職業だった。しかし、ここ2、3年、教員採用試験の倍率が落ちている。そして、おそらく、教職課程を履修しようという学生の数も減っている。このままだと、教師の社会的位置づけが欧米に近くなってくるだろう。この事態は、かなり以前から予想され、私は何度も指摘してきた。文科省は、教職の人気を低下させようと躍起になっているようにしか、私には見えなかった。 “教師の養成について考える1 教職の魅力の低下” の続きを読む
最終講義7 去るにあたって。質疑応答
最後に大学を辞めるにあたって、文教大学に対する注文をしておきます。
まずは、AIが進歩していますので、それを最大限使って、教育や研究の革新をすべきであるということです。そういう点で、大学にしても、また教員にしても、まだまだ不十分ではないかと考えています。
人間科学部の教授会資料を、谷口学部長のときに、ペーパーレス化しまして、これは非常に大きな進歩だったと思うのですが、実は、その前から、僕は情報センターの委員をやっていまして、情報センターの委員会で何年も、そのことを主張していたのですが、情報課が一番反対なんですね。だから、全く進みませんでした。意外でしたが。情報課としては、そういうことに反対であるというよりは、アクセス過多になって、wifiがパンクすることを心配していたようですが、実際にやってみたら、そういうことはない。
それから、先程述べたように、障害をもっている学生に対する取り組みが不足しているのではないか。 “最終講義7 去るにあたって。質疑応答” の続きを読む