ミレルラ・フレーニを偲んで

 コロナ騒動とか、自分自身の退職時期と重なったためか、ミレルラ・フレーニが亡くなっていたことを、ごく最近知った。フレーニは、もっとも好きなソプラノ歌手だった。フレーニが得意とするオペラが、もっとも好きなオペラに入っていたからともいえる。とにかく、亡くなったことを知ったので、フレーニについて少し書いてみたい。
 フレーニは生で実際に聴いたことがある。ミラノスカラ座がアバドに率いられて来日公演を行ったときだ。アバド指揮による「シモン・ボッカネグラ」でのマリアと、クライバー指揮による「ボエーム」のミミだ。どちらも、超がつく名演だったが、聴いた席によって、声の質がまったく違うように聞こえたことが印象に残っている。シモン・ボッカネグラのときには、席を一階の後方で、レコードで聴く声と似ていて、ああフレーニだと思ったの他が、ボエームではずっと前のほうで、ずっと丸くふくよかな響きだった。「私の名はミミ」などは、本当に感動的な歌唱だった。

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ネトレプコの「ボエーム」ザルツブルグ音楽祭

 ネトレプコがミミを歌ったザルツブルグ音楽祭のライブがあると知って、なんとか見たいと思い、テレビからの録画をたくさんしているオケの友人が持っているというので、早速借りて視聴した。素晴らしかった。少なくとも演奏に関しては。しかし、カラヤン亡き後のザルツブルグ音楽祭は、好みはあるだろうが、すっかり変わってしまって、私には馴染めない演出が多いし、これもその例にもれない。

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読書ノート『レコードはまっすぐに』ジョン・カルショー(続き)

 この本を読みたいと思った最大の理由は、やはりカラヤンの録音エピソードが豊富にあるということだった。確かにたくさん出てきて面白い。ただ、カラヤンのものすごい音楽的・指揮能力を認めつつも、かなり皮肉を交えている。例えば、カラヤンはオーケストラを自由に操れるので、気に入った歌手には、歌いやすくバックアップするのだが、気に入らない歌手の場合には、(とりあえず練習中のこととして書かれているので、本番でもそうしたかはわからないだが)オケを大きく鳴らして声を聞こえにくくしたり、あるいはブレスをする必要があるところ、あまりその間をとらずに先にいってしまったりするというのだ。つまりいじわるをする。カラヤンに気にいられている歌手たちのインタビューで共通に語られているのは、カラヤンの指揮だと本当に歌いやすいということだが、こういうこまかい配慮をきちんとやってくれるからなのだろう。昔のテレビ番組で、日本の代表的な指揮者の一人である岩城宏之氏が、カラヤンの指揮テクニックはプロからみてもすごいといっていたが、そうなのだろう。ライブの「トロバトーレ」を聴いていると、歌手たちがゆっくりしたり、あるいは思い切り延ばしているのに、しっかりとオケを合わせていく。ところがある歌手に対して、オケの音を抑えずに進めていたのに対して、カルショーは、カラヤンはあの声が嫌いなのだと断定している。残念ながらその歌手が誰であるかは書いていない。

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ボエームのCD カラヤンは何故ベルリンフィルを使ったのか

 プッチーニの傑作ボエームは、トロバトーレと異なって、ドラマに無理がなく、よくあるパターンの物語である。貧しい恋人の一方が(たいてい女性だが)、不治の病にかかり、死んでしまう。オペラでは椿姫もそうだ。だから、特別にドラマの進展としては面白くないが、出会いの場面の演出や、友人たちの絡み具合に、このボエームの面白さがある。先日映画版を見直して、改めてこの曲の魅力を再認識した。映画は、ネトレプコのミミ、ヴィラゾンのロドルフォで、指揮はド・ビリー。オペラ映画が制作されるのは、近年では珍しいが、やはり、ネトレプコという、歌手として優れているだけではなく、女優としても十分に通用する美人ソプラノが現れたので、実現したのだろう。出産後、いかにもオペラのプリマドンナという風格になってしまったが、この時期の彼女はまだまだ映画女優として主演が可能な雰囲気をもっていた。声もミミに相応しく細いが、強い声をもっていた。この映画は実際に映画館で見たのだが、今回見直したのは、クラシカジャパンで放映されたものを録画したものだ。

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ヴェルディ「トロバトーレ」への思い

 ヴェルディ中期の3大傑作といわれる「リゴレット」「トロバドーレ」「椿姫」は、すべて本当に全編素晴らしい音楽で満ちあふれている。そして、それぞれ特徴的な性質があるが、トロバドーレは、なかでも際立った特色がある。音楽は、美しいメロディーがずっと続くが、エネルギーに満ちている。内に向かうのではなく、あくまでも外に放射するような熱がある。これがトロバトーレの最大の魅力といえる。そして、もうひとつ、オペラはあくまでも筋をもったドラマであるから、劇としての魅力も大切であり、優れたオペラは、劇としても優れているのが普通だ。あまり台本の質を考慮せず、依頼の仕事を引き受けたために、オペラとして成功しなかった作曲家として、シューベルトとヨハン・シュトラウスがいる。(後者は「こうもり」のみ成功)では、トロバトーレはどうかというと、誰もが感じるように、あまりに奇怪で、奇妙奇天烈な筋なのだ。
 まず、最初に、その奇妙な筋を確認しておこう。
 最初ルーナ伯爵の家臣フェランドが兵隊たちに、過去の話をするところから始まる。
 先代ルーナ伯爵の次男をジプシーの老婆が占うと、次男が病気になったので、老婆は火刑に処せられた。しかし、焼け跡から子どもの骨が出てきた。それが次男だと思われたが、今のルーナ伯爵は、弟が生きていると思って探しているという話である。

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『コシ・ファン・トゥッテ』(モーツァルト)の魅力

 モーツァルト作曲のオペラ『コシ・ファン・トゥッテ』は、長く人気のない演目だった。おそらく、初演の際に5回、その後4回上演されたそうだが、すぐに打ち切りになり、その後、第二次大戦後までは、ほとんど上演されないままに来たのではないだろうか。モーツァルトのオペラ自体が、ヴェルディやワーグナーの巨大なオペラが好まれた19世紀には、あまり人気がなかった。唯一例外は『ドン・ジョバンニ』だったようだ。それでも、『フィガロの結婚』や『魔笛』は、それなりに上演されていたと思われるが、『コシ・ファン・トゥッテ』は、題材がナンセンスということの忌避感もあったらしい。
 戦後になって、カラヤンは一度だけレコーディングしたが、上演はしていないのではないだろうか。一人ベームが頑張っていた印象だ。1970年代になると、ベームのザルツブルグ音楽祭の長期上演があり、ムーティに引き継がれ、更にこれもヒットした。このあたりから、見直しが始まって、今では、完全に人気曲になっている。蛇足だが、小沢が生まれて初めてオペラを振ったのが、ザルツブルグ音楽祭の『コシ・ファン・トゥッテ』で、もちろんオケはウィーン・フィルだった。私は一年で打ち切りだと長く誤解していたが、契約通り二年上演されたということだ。まったくオペラ経験のない小沢は、アバドなどに助けられて、オペラ指揮のテクニックを学んだようだ。小沢自身は、非常に楽しかった思い出と語っているが、世間的には、この上演によって、小沢はオペラはだめ、とウィーン・フィルによって評価されてしまったということになっている。言葉のハンディが大きかったようだ。それに、いくらなんでも、人生で初めて振るオペラが、ザルツブルグ音楽祭で、ウィーン・フィル相手のモーツァルトだ、というのは、いかにも無謀で、小沢らしいが、カラヤンもびっくりしたらしい。

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オーケストラ録音の分離・位置感覚

 ブルーノ・ワルターのコンプリートを購入した友人と、録音の話になった。彼は、おそらく音に拘る人で、再生機器をいいものをもっていて、いろいろと調節しながら聴いていて、バランスなどを自分好みに調整するようだ。私は、そういう音感覚を全くもっていないし、そもそも調節できるような機器ももっていないので、音を調整したことは全然ない。ただ、自分のもっている機器にCDやDVDをかけて聴くだけだ。
 他方、私は、市民オーケストラで演奏しているので、実際のオーケストラがどのように響くのかを自分なりに体験している。コンサートホールは、聴く席の位置で相当違う音が聞こえるものだが、実は、舞台上でもその位置によって異なる。一般に中心、そして、前のほう位置するほど、全体の音が、個別的に分離して聞こえるが、後ろのほうにいくほど、前の音が聞こえにくくなる。金管楽器の人たちは、自分が吹いている間は、弦楽器の音は、あまり聞こえていないのではないだろうか。私はチェロだが、チェロは楽器群は、曲や指揮者によって、位置をずいぶん変える。だから、となりの音が変わるし、また、後ろに位置する楽器も変わる。だから、いつも異なった音を聴きながら演奏しているのだ。

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2021年ニューイヤー・コンサート

 今年のウィーンフィル、ニューイヤー・コンサートは異例な開催だった。はじめての無観客で行われ、世界から募集した拍手要員が、一部と二部の終わりにオンラインで拍手をするという試みが取り入れられた。指揮者は、80歳の記念とウィーンフィルの指揮50年を祝って、リッカルド・ムーティだった。
 何よりも無観客の影響がどうなるのかに興味があった。オーケストラにとって、観客のいない状態での演奏は、別に珍しいことではなく、レコーディングなどは無観客だし、放送用収録などもある。そして、現在はライブ録音が普通になっているので、ゲネプロは、本番と同じように行われることが多い。だから、演奏そのものは、別に通常と変わりなかったと思う。ただ、通常は拍手があって、お辞儀をするわけだが、それがない。かといって、世界中でライブ放映されているから、ときどき起立してするのだが、礼をするでもなく、どうやっていいのか戸惑っている感がおかしかった。せっかく拍手をいれるなら、曲ごとに拍手をいれて、普通のように、起立して礼をするようにすればよかったのにと思う。ラデツキー行進曲での拍手もされなかったので、7000人も用意する必要があったのか疑問だ。
 興味があったのは、音だ。演奏する側からすると、観客はいないほうが音がよく響くので、演奏しやすいし、演奏していて気持ちがいい。観客が入ると、音が吸収されるので、響いた感じが若干薄らぐわけだ。たしかに、普段のニューイヤー・コンサートの録画と比較してみたが、今回のほうが、音がすっきりなっている感じはあった。ただ、金管が出すぎの感じがした。

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クライバーの「カルメン」の音

 カルロス・クライバーのカルメンのDVDは、カルメンの代表的な名盤のひとつだ。しかし、以前からずっと問題になっていることがある。それは、「音」である。とにかくあまりに音が酷いという評価が定着している。私自身は、そんなに酷い音だとは思っていない。あの音は、オーケストラピットのなかで聞こえるような音に近いのだ。だから、オンマイクで拾った音をそのまま記録したような音だ。私は、市民オケをやっていて、練習会場や舞台で聞こえる音に近いので、特に違和感はないのだが、あのような生の音が商品としての「録音」として登場するのは、めずらしい。
 もうひとつの不思議な現象だと思っていたのは、あの映像は、日本では最初にNHKのBSで放映されたと記憶する。私もそうだったが、VHSのテープに録画して楽しんだものだ。この放送で、クライバーの人気は日本で一気に高まった。そして、このテープは何度も見直した。そして、そのときには、非常に自然な、つまり、ウィーンフィルの録音として聞き慣れた、つまり、デッカの録音で聞き慣れた音に聞こえていた。それが、DVDの登場で、まったく違う響きがしていたので驚いたわけだ。NHKの放送を知らない人は、DVDで初めて知ったわけだから、確かに、酷い音に聞こえたに違いない。このカルメンの市販されたものは、日本ではクライバーの死後に現れたので、そのころに出ている通常の録音や録画と比較すると、とてもいい録音とは言い難いのだ。実は、NHKとDVDの間に、CSのクラシカ・ジャパンでの放映もあり、それも録画したのだが、その音は、あまり印象がないのだ。NHKに近かったような記憶があるのだが、あまり意識しなかった。とにかく、DVDが出たときにびっくりしたわけだ。どうして同じ音源のはずなのに、これほどまでに違うのか、ずっと不思議に思っていたのだが、これが最近、原因がわかった。

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実際に聴いたライブのCD 普門館のカラヤン

 録音された音楽が市販される場合、ライブの録音とスタジオでの録音があるが、実際にライブで聴いた演奏を、市販のライブ録音で聴くことができる機会はあまりない。実は、初めて自分が聴いた音楽会のライブCDを聴くことができた。それは、1977年普門館でおこなわれたカラヤンの、ベートーヴェン演奏である。私は、まだ大学院生で、結婚して間もないころだったが、カラヤンのチケットがとれそうだというので、思いきって2回の演奏会を申し込み、首尾よく入手できた。普門館のときだから、とれたと思う。とにかく5000人は入るらしい大きな会場で、そのために、チケット代も安く、数も多かったからである。聴いたのは、第一日目の一番と三番英雄、そして最終日の第九だった。しかし、40年以上前のことであるだけではなく、なんといっても、ばかでかいというしかないホールで、英雄のときは、まるで、外野席の一番上から野球の試合をみているような感じで、ベルリンフィルという世界一のオーケストラの音などは、まったく味わえないような席であった。カラヤンを聴いたという感動は、まったくえられなかった。だから、演奏については、遠くでやっているなという程度のもので、ほとんど覚えていないのだ。FM東京で放送したらしいが、当時はテレビもラジオもないときで、まったく知らなかった。
 数年前、このときのライブ録音がCDとして発売されたが、えらく高かったし、またカラヤンのベートーヴェンの全集は何組ももっていたので、購入せずにきた。多少安くなったのと、リマスターされたというし、いま買わないと入手できなくなるとも考えて、先日買ってみたたわけだ。

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