昨日は、ブログを休んでしまったが、実は、私か所属している市民オーケストラの演奏会だった。昨年春の演奏会がコロナのために中止になって以来、秋も中止、12月の市民コンサートを振り替えてやったが、私は、休んだ。やはり、高齢者でもあり、少々心配だったからだ。そして、昨日中断後2度目の演奏会に出演した。久しぶりだったので、疲れてしまったし、いろいろあった。それで、今日は演奏会を中心にして、雑多なことを書く。
コロナ禍で、昨年からオーケストラの活動が、極めて窮屈になっている。いまから考えると、そこまでする必要があったのかと思うのだが、昨年の春と秋の演奏会が中止になった。プロオケは大変だった思うが、私はアマチューのオーケストラに所属しているので、経済的な実益の損失を被ったわけではない。毎年行われている12月の市民コンサートが中止になり、代わりにオーケストラの演奏会になった。市民コンサートとは、その演奏会のために結成される合唱団とオーケストラが共同で行う大規模合唱の入る曲を演奏する。私のオーケストラの最大の魅力は、この演奏会があることだ。しかし、それは無理になったので、オーケストラだけの演奏会になった。しかし、コロナがもっとも大きな力を発揮していた時期だったので、私はパスせざるをえなかった。合唱は大声を出すので、いまでも活動がかなり制限されている
私たちのオーケストラは、あまり協奏曲をやらないのだが、やるときには、一流の人をソリストに呼ぶことが多い。小川典子さんや、ライナー・ホーネックさんなどだ。それが、今度は、オーディションで若いピアニストに依頼して、チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番をやった。当日のプログラムをみるまで、実はどういう人か、私は知らなかったのだが、まだ本当に若い優れたひとだった。小川さんやホーネックさんのようなひとは、前日のゲネプロに登場して、当日の午前と併せて2回くらいしか通しでの練習をしない。それでもうまくいくのだが、こういう若いひとの場合には、もっと練習につきあってくれるので、市民オーケストラとしては、むしろ安心感がある。4回くらいは練習につきあってくれた。しかし、これだけやると、逆に、もっと自分のやりたい音楽と、あわせの際の違いを意識するのかも知れないと思った。とくに、指揮者だけがプロで、ソリストはプロの卵という感じで、まだソリストとしての確固たる地位を確立しているわけではない。オーケストラはほとんどがアマチュアだ。だから、互いに遠慮がある。しかし、チャイコフスキーのこの曲は、テンポ指定が非常に細かく、そして頻繁に変化する。古典派の交響曲のように、基本的なテンポがある曲は、そのテンポを決めれば、だいたい一貫した流れのればばよい。しかし、チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番は、テンポ指定が変わるときに、どの程度変えるかを、その都度決めなければならない。CDを聴いても、演奏家によって、テンポ、そしてテンポの動かし方が非常に違うのだ。
一楽章の後半に、弦楽器が盛り上がって、下降音形を繰り返し、ピアノがそれを引き継ぐところがある。(340小節くらいから)ピアニストがきて、指揮を代理のひとが振ったときに、指揮者が、弦楽器に、ここは速くしがちなんだけど、あまり速くやると、ピアノが苦しくなるので、落ち着いたテンポで弾くように、と注意した。そのときには、演奏したあとの注意なので、それで終わったが、正規の指揮者は、ここをピアニストに確認して、たしか、ピアニストは、速くても構わないといったように思う。こういうときは、指揮者とピアニストが小声で話すので、離れている奏者には、わかりにくいのだ。ただ、そのとき、このピアニストは、もっと速くやりたいのかと思ったのだが、それが本番ででた。
第三楽章は、4小節のオケの前奏のあと、ピアノが主題を弾き始めるのだが、明らかに、ピアノが練習のときより速いのだ。かなり驚いたが、ソリストが速めに弾けば、オーケストラはそれにあわせざるをえない。破綻することはなかったが、きわどいところはあった。最後までそのテンポが維持され、最後はたしかに盛り上がったが、舞台裏に引いたとき、3楽章速かったよね、とみんな口にした。協奏曲のテンポは、指揮者とソリストで合わないことも、実は少なくない。私が実際に耳にしたのは、東京都交響楽団で渡辺暁男指揮、石川静バイオリンでブラームスをやったときだ。オケ部分は比較的速めのテンポで進むが、ソロが入ってくると、とたんに遅くなり、オケだけになると、急にアクセルを踏んだように速くなる。その繰り返しで、1楽章が終わったとき、客席から大きなため息がもれたくらいだ。本当に聴いていて、この人たち喧嘩しているのかと思う程だった。
もちろん、昨日の演奏は、そういう齟齬はなかったと思う。オケもちゃんと急なテンポの違いにもあわせたから。
こうしたソリストというのは、本当にすごいテクニックをもっているのだと、やはり、バックで弾いていると感じることが多い。練習でミスをしても、ちゃんと本番では、弾ききってくる。ブラームスのバイオリン協奏曲を、ホーネックさん(ウィーン・フィルのコンサートマスター)が弾いたとき、前日にやってきて、初めてあわせたとき、カデンツァの途中でつっかえて、弾けなくなってしまった。普段協奏曲のソロをやっている人ではないから、暗譜がそのときには、完全ではなかったようなのだ。しかし、翌日には、完全にきっちりと弾いていて、危なげなかった。似たようなことが今回もあった。前日の練習で、3楽章の最終盤、ピアノが激しく盛り上げて、オーケストラに引き継ぎ、オケの全奏で叙情的なメロディーを高らかに歌いあげる場面。ピアノが縺れるような感じで迷走してしまったのだ。ところが、翌日には、まったく自然に盛り上げていた。こういう修正能力は、本当にすごいし、また、オーケストラをバックに弾くには、絶対に必要な能力なのだろう。