サロメ(オペラ)上演の難しさ 3つの要素

 イギリス、ロイヤル・オペラの「サロメ」を視聴した。フィリップ・ジョルダン指揮、ナディア・ミヒャエルのサロメだ。「サロメ」は、リヒャルト・シュトラウスの最初のヒットオペラで、現在でもかなり刺激的な内容、上演が非常に困難なものだ。カラヤンの極めて優れた録音があるが、これは、ベーレンスという、ついにカラヤンが発見した(といっても、ある人がカラヤンに伝えたということのようだが)歌手の出現によって可能になったものだ。クライバーの場合には、「サロメ」はやらないのかと質問されたとき、サロメ歌手がいればやると、と答えたという。だが、ついにやっていない。

 つまり、サロメを歌える歌手が、なかなかいないということが、難しさのほとんどを占めているように思われる。サロメは16,7歳の少女であり、そういう雰囲気をださなければならないのだが、ワーグナー級の歌唱力、つまりドラマチックに歌いきる能力が求められる。オペラの前半は、少女のような雰囲気の歌い方になっているが、ヨカナーンの首をもってのモノローグでは、狂気と強靱さをあわせもった歌を、しかもかなりの長時間一人で歌いきらねばならない。しかも、挑発的な7つのヴェールの踊りを、踊らなければならない。多くのオペラ歌手は、太っている人が多いから、舞台上でバレエなどを踊るのは、得意ではないわけだ。この3つの両立困難な要素を、すべて十全に満たした歌手は、私が知る限りは存在しない。
 カラヤンがレコーディングのあと、実際に同じメンバーで上演したときには、プロのダンサーが踊ったという。7つのヴェールの踊りの前に、舞台が暗転し、そこで、ベーレンスとダンサーが入れ代わったそうだ。ダンサーが踊ったことについては、賛否両論あったという。確かに、私は、映像で、ダンサーが踊ったものをみたことがないので、通常は、サロメ歌手が踊るようだ。歌手にしてみれば、私は踊りだってできるとみせたいのかも知れない。
 しかし、私は、やはり、カラヤンのとった方法のほうが、聴衆を満足させるように思う。オペラ歌手がダンスをしても、ほとんどさまにならないのだ。そして、そのダンスを本当にかなり踊れたとしても、そのあとに、長大で重厚なモノローグが待っている。しかも、そこが最大の山場だ。そこで息切れなどしたら、全部がぶち壊しだ。だから、歌手が踊るヴェールの踊りは、ほとんどが、動きが非常に少ないパントマイムのようになっている。私は、プロのバレリーナが踊る7つのヴェールの踊りがみたい。
 
 さて、この演奏だが、舞台を現代にしているのだが、そうすると、ヨカナーンとは何者なのかということになってしまう。サロメは聖書に出てくる話で、ヨカナーンは、当然イエスに洗礼を施す予言者ヨハネであるから、もちろん該当するような人物は現代社会には存在しえない。舞台は、二階があり、そこはレストランのような作りになっていて、劇はもっぱら一階で行われる。地下にヨカナーンが捕らえられていて、歌声が響くのだが、ここだけは、聖書の世界に戻らざるをえない。摩訶不思議な空間が設定されているのだが、まあ、物語自体が突拍子もない話なのだから、それはそれでよいのかも知れない。
 話は現代になっているが、筋は原作に忠実に展開していく。そのなかで、サロメのナディア・ミヒャエルの演技は本当に見事だ。衛兵のナラボートに言い寄られるのを、からかいながら拒絶したり、逆に、ヨカナーンの声を聞いて興味をもつあたりの演技は、真に迫っている。オペラ歌手としては、めずらしいほどにスリムなので、サロメという少女として不自然さもない。
 ヨカナーンを連れてくるように衛兵に命じて、サロメとのやり取りになるのだが、ヨカナーンの拒絶にあうあたりのまでの歌も、サロメという我が儘で狂気の王女に相応しい。
 しかし、ヘロディから踊りをせがまれ、何でもあげるという約束をとって、7つのヴェールの踊りに入るわけだが、そこは、舞台が回転して、書斎や衣裳部屋のようなところに切り換わり、ヘロディとのパントマイムから、緩やかな社交ダンスのようなものを踊るあたりは、少々興ざめだ。音楽の頽廃的な雰囲気とまったく合わない。非常にスリムで、専門的に鍛えれば、激しいダンスを踊れそうにも思われるが、さすがにあとを考えると、そうもいかないのだろう。あるいは、やはり無理なのか。
 そして、約束どおり、何でもあげるというので、ヨカナーンの首を所望し、首がもたらされると、首をもって、戯れる。その間に、血が服について、全身血だらけになる。階段の手すりや絨毯に血がつくので、あとで拭くのが大変だろうな、などと余計なことを考えてしまう。
 そして、いよいよクライマックスの、ついにヨカナーンを手に入れたと、狂気になってしまうモノローグがくるが、ここはやはり、前半の少女風が相応しいナディアとしては、力不足は否めない。録音では、あまり声の威力に不足はないが、実際の舞台では、オケにまけていたのではないかと思わせるような歌いぶりだ。音楽的には、もっとも盛り上がるところなので、不満になる。
 最後にヘロディは、サロメの殺害を命令し、多くの舞台は、衛兵たちがサロメを取り囲むところで幕になるのだが、この演出では、ヨカナーンの首を切った全裸の男が、サロメの首をひねって殺害する場面をみせる。全身血だらけのサロメや、その殺害をはっきりみせるなどのリアルさは、必要なのかなあ、と少々辟易した。そもそもオペラは、あまりリアリティのない世界を描いているので、ぼかすところはぼかしてほしいと思ったものだ。
 かといって、あまりに抽象的な舞台で、リアリティがないと、正確に話を知らないと、理解できないだろう。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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