経産省の若手官僚が、省内で、しかも業務にかかわる内容での給付金詐取で逮捕され、官僚の劣化がまたまた話題になっている。安倍政権の下でさんざん言われたことだが、ここまでの「劣化」、まさしく劣等な意味での犯罪は、あまり例が内容に思われる。しかも、若手キャリアの犯罪だ。もっとも、彼等の経歴は、典型的なエリート官僚とは違っていて、二人とも、寄り道をしている。Aは、2浪して東大法学部に入学、大学院に進んで司法試験合格後に、入省している。Sは、私立の付属高校から、そのまま上の大学に進学して、メガバンクに就職、その後コンサルティング会社の経営者となったが、分裂して、退社、その後入省である。毎日新聞の報道で、少々不思議に思ったのは、付属高校と上の大学が慶応であることが伏され、銀行名も書かれていない。Aが東大であることは明記されているのに。
それはさておき、この事件が、官僚の劣化の象徴として扱われていることである。確かにそうなのだろう。この背景として、官僚志望者が年々減少していること、そして、官僚になっても、近々辞めたいと思っている若手官僚が増加していることが、頻繁に報道されてもいる。
なぜ、こうした官僚の劣化や、その前段階ともいうべき人気の低下が生じているのだろうか。中央公論は、2018年にいくつかの号からの文章を選択して、「徹底検証、官僚劣化--誰が霞が関を「三流劇場」にしたのか」という書物をだしている。様々な分析がなされているが、ここでは、多少異なる観点から私見を書いてみることにする。
大きな流れとして、日本の官僚機構は長く、日本政治・行政を基本から支え、動かしてきた中心的組織であったが、そうした「力」が低下してきたことの現れが、官僚の劣化なのだろう。では、どうして権力の中心にいた官僚が、そうした力を喪失してきたのだろうか。
戦前はここでは、考慮外とするが、戦後の官僚と政治家の関係を見ると、戦後の前半期は、有力政治家の多くが官僚出身だったことがわかる。吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、中曽根康弘、福田赳夫、大平正芳など、戦後代表的な総理大臣で、官僚出身者ではない人は、田中角栄くらいではないだろうか。
つまり、この時期の官僚で、政治的志の強い人間は、若くして辞めて政治家に転身する。官僚としての仕事をしようと思う者は、事務次官をめざし、政策立案に努力する。そして、世間一般よりは早く辞めて(同期の一人が次官になると、辞める慣習があった)、天下りをする。そうした道が、「保証」されていたわけである。政治や行政の分野で力を発揮したいという野望をもっている若者が、官僚を目指すことは、野望実現の最も有利な道だったのである。
しかし、その後状況が大きく変化する。小泉潤一郎、福田康夫、麻生太郎、安倍晋三と続く自民党の首相は、二世・三世議員であって、ここには一人も官僚だったひとはいない。しかも、福田、麻生、安倍は父、祖父が首相を務めている。官僚という能力を基盤にして首相を目指す道から、世襲的な首相、更に国会議員という状況に、日本の政治家構成は大きく変化した。細川内閣や民主党内閣という小さな変化はあったとしても、この流れは動かしがたいものになっていた。こうした状況のなかで、政治家を目指す若者が、官僚という足掛かりをつかって、志を実現しようという雰囲気がなくなったのである。前期の状況が好ましいものであったどうかは別として、現在の世襲システムよりは、健全であったことは確かだ。
第二の要因は、日本社会だけではなく、国際社会からの官僚批判や攻撃である。
日本社会での批判は、大蔵省による「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」と言われる官僚の不敗に対するものが、多くを占めていた。もちろん、官僚だけではなく、公務員や教師などへの批判も強まっていった。しかし、私は、むしろ、海外からの批判のほうに、より強い官僚システムへの攻撃が影響したのではないかと考えている。1980年代、いち早く石油ショックから立ち直った日本は、経済的躍進がめざましく、欧米は深刻な反省に迫られた。この時期の日本経済の強さは、海外にいくと実感できたものだ。私が1992年にオランダに滞在したとき、電器店に入ると、主な製品は日本製がずらりと並んでいたものだ。日本製かフィリップスという状況だったのである。
他方で、1980年代から、アメリカを中心とした様々な日本への批判・攻撃が繰り返された。官僚機構とは関係ないが、海外からの攻撃のひとつの例として、学校の「ゆとり政策」がある。ゆとり政策は、受験地獄を解消するためだったなどと考えている人がけっこういるが、実際には、日本人の長時間労働への強い批判をかわすために、長時間労働を緩和する、まずは公務員から、教師も公務員だから、学校を5日制にする、そういうことから、「ゆとり」政策が生まれたのである。実際に、教師のゆとりなどは実現しなかったのだから、この政策がよかったかどうかは、検証するべきことだが、実際に、様々な面での日本社会批判が繰り返された。
例えば、日本の先進的なコンピューター・ソフトの研究であるTronプロジェクトに対して、強力な圧力がかかった。もし、アメリカからの圧力がなければ、Tronはもっと様々な分野で、広範に使用されるOSになったはずである。しかし、日米貿易摩擦を背景として、スーパー301条などによって攻撃され、使用は次第に限定されてしまった。結局、日本の官僚機構は、世界的にも拡大できるコンピューターの先進的ソフト技術を守ることができなかったと言われても仕方ない。
外国からの攻撃という面が、明確になっているわけではないが、その可能性を否定できないことが他にもいくつかある。
例えば、winnyというファイル交換ソフトを著作権法違反で刑事罰を課そうとした検察。この事件は2011年であるが、1998年のアメリカ著作権法の期限延長(ミッキーマウス法と揶揄されている)に伴って、行政が著作権に神経質になっていた時期である。コピーを可能にする媒体の制作が著作権違反になるなら、ゼロックスなどは典型的な違反機具であるが、問題になったことはない。windowsなどのOSもすべてコピー機能を内包している。銃制作者を殺人罪で問うようなものだ。これは、winny開発者が危惧したように、ソフト開発そのものの機運を削ぐ行為だった。
車の自動運転研究も同様である。日本の自動運転は、欧米に比べて非常に遅れてしまったと言われるが、これも、当時の官庁が研究そのものに制限をかけたからだと言われている。その制限をかけたという記事を、今回検索で探すことができなかったのだが、1970年代に、既に日本では、自動運転技術の研究において、顕著な進展を見せていたのである。
「日本 路面認識技術を開発(1977年)」と題する文章で、「筑波メカニカル・エンジニアリング・ラボは2基のカメラによって路面の車線を認識することができるシステムを搭載したプロトタイプを製作した」と書かれている。https://www.autocar.jp/post/337356/10
なぜ、こうした次世代をリードする研究がその後発展しなかったのか。制限がかかったと考えざるをえないのである。
もし、こうした外的圧力によって、政策が制限されるならば、当事者だけではなく、媒介となっている官僚の士気が低下することは避けられないであろう。
第三に、官僚の職場のブラック化である。
これは、常々疑問に思っているのだが、政治主導にすべきと政治家は主張しながら、国会での質問も、また答弁も官僚に頼っている。とくに、政府答弁の官僚依存は酷い。政治家は、国民の代表であり、そして大臣になっているのだから、質問に対する回答は、政治家が責任をもって行うべきものである。しかし、一度でも国会のやりとりをみればわかる様に、大臣たちは官僚の作成した文書を読むだけの答弁が圧倒的に多い。そして、官僚は野党の質問を取り、回答を準備するために、多大な時間とエネルギーをとられる。本来、そんなことは、官僚の仕事とは思えない。政治家の仕事である。そうした雑務から解放されれば、官僚としての政策作りやその実行は、もっと生産的なものになるはずである。どうしたら、そのような体勢になるのか、名案は浮かばないのだが、この改善は、絶対に必要なことだろう。
第四は、安倍内閣によって進んだ、官僚への歪んだ圧力である。
これは、内閣人事局が設置されて、官僚人事がここで集約されるようになったことが、官僚の忖度を生んで、官僚の劣化が起こったという論が多いが、官僚人事を内閣人事局が集約すること自体は、それほど間違っておらず、それを自分の権力保持のために利用した政権の責任のほうが重いといえる。その典型が、黒川東京検事長の定年を不法に延長して、黒川検事総長を実現しようとした内閣の行為である。もちろん、これは単独で起こったことではなく、それ以前にも、検察の人事計画を潰してきた安倍内閣の施策があった。それは幸いにも頓挫したが、このようなことを見せつけられれば、忖度せざるをえないだろう。
安倍内閣では、大きなモラルハザードが起きた。嘘の答弁、文書改竄、責任をとることの拒否等々、政府のトップがこうした所業を継続的に起こってくれば、官僚も士気が低下し、劣化してくるのは、必然といってよいだろう。こうしたことに、抗議が不十分な野党や国民の問題も大きいだろう。
1980年代の半ばに、なぜこうした変化か起きたのか、その点の考察は、またの機会にしたい。