泥縄だらけのオリンピック運営 なぜそうなるのか

 子どもから「泥縄ってどういう意味?」と質問されたら、「オリンピックの準備のことをみれば、実際の「泥縄」がどんなことかわかるよ、泥棒を捕まえてから縄をなうということで、事が起こってから対策をとり始める、つまり、遅いのでちゃんとした対応がとれないことだよ」と教えることができる。実にわかりやすい実例を提供してくれている。
 オリンピックについては、開催か中止かではなく、有観客か無観客かが問題なのだそうだが、それは、スポンサーになっている大手新聞のまき散らしていることだということはさておき、この観客対応についてもいえる。
 この春先までは、中止論が強く、おそらく閣僚のなかにも、中止を建言する大臣がいたとされるのは、この時期だろうと思うが、聖火リレー強行によって、菅首相の開催強行姿勢が鮮明になったとき、組織委員会は、開催したとしても無観客だろうという意識が強かったとされている。そして、世間の風向きも同じだと、私は感じていた。無観客か有観客かは、実に多くのことが変わってくる。まず販売済みのチケットをどうするか。無観客なら代金の返却が必要だが、有観客なら、販売分全員入場させるのか、部分的なのか。部分的なら、どうやって区分するのか。抽選なのか、再度希望を確認するのか、等々。実はまだこのことが正式には決まっていないのである。泥縄対策すらできない状況だ。

 これも菅首相の強い意向らしいが、有観客の方向に進み、かつ、それまでの最大5千人を1万人にした。しかし、コロナの感染がリバウンドの傾向が明瞭になると、「無観客もありうる」といいだし、「一部無観客にする」という方針もだされ、チケットの扱いの決定が先のばしにされる。現時点では、深夜の試合は無観客にするという方向らしいのだが。
 観客は、チケットだけではなく、ボランティアの配置にも影響するので、それが明確ではないと、決めるものも決められない。したがって、必然的に泥縄になるし、そうなっている。
 観客をいれた場合の、酒類の販売についても、方針が揺れた。アサヒビールがスポンサーだから、当初認めるといっていたものが、世間の反発が強まり(飲食店では規制しているのだから、反発は当然だ)困惑したに違いない。しかし、アサヒビールのほうから、辞退の申し出があって、組織委員会はほっとしただろう。組織委員会の酒類の販売をやめる方針転換をしたのは、社会の反発のためでは決してない。あくまでも、スポンサーの「配慮」なのである。オリンピック運営が、どこを向いて行われているか、実にわかりやすいものだったし、また、酒類販売許可などといえば、猛反発が起きるのはわかっている。事前にスポンサーと調整すれば、スポンサーとしても、企業イメージを考えて辞退することは、ほぼ間違いないわけだから、事前調整で済むのに、そうしない。不思議な委員会だ。
 ボランティアに対することも、本当にころころかわった。
 最初は、マスク2枚と消毒液一瓶配布のみだったそうだ。
 それはとんでもないということで、一部のボランティアには、ワクチンをすると公表。しかし、それも大きな批判で、全員やるといいだし、しかし、実質的には、開会式に間に合わないこと、しかも、接種会場が東京であるために、地方在住者は、東京まですべて自費で状況しなければならないことがわかった。丸川大臣は、一回接種して、免疫をつけてほしい、などとの血迷ったような説明をして、顰蹙をかっている。(実は、選手のワクチンについても、紆余曲折があった。)
 おそらく、このことで、更にボランティアの辞退が増えるに違いない。
 バブル方式についても、一見改定ごとに厳しくなっているが、実際には、今後運営上特例が認められて、厳しい管理も破綻するに違いない。
 例えば、選手は家族を連れてくることは認めないとしていた。しかし、授乳中の子どもがいるママさん選手から抗議があり、早速、「必要があれば認める」という方針転換をしたらしい。「必要とは何か」という疑問がだされていると報道されているが、もし、これを認めたら、どうなるのか。乳飲み子を選手村にいれるわけにはいかないから、別の場所で預かるようだが、それでは、ママさん選手は、その場所に宿泊するのか、選手村にいて、授乳のときに、赤ちゃんのところにいくのか。いずれにしてもバブルは適用できないことになる。
 要するに、最初から、無理な方針をたてているので、具体的な段階になれば、必ずほころびが出てくるのである。選手村を開催国は設置するが、選手がそこに入る義務は、そもそもなかったのである。自分でホテルをとってもよかった。しかし、コロナでそれを認めると、国民の賛成がえられないから、選手村以外はだめということにした。だが、それは最初から無理な話なのだ。今後も、様々な選手の要求がだされてきて、その都度、ザル的な対応をしていくに違いない。
 
 どうして、こういうことになるのだろうか。これは、菅首相が、何度も語っているし、また、それに倣ったかのような、はぐらかし話法がたくさんある「仮定のことには答えない」という「精神構造」に、ひとつ原因があるのではないか。
 ある催しものをするときには、当然、その最良の実現形態を想定し、そのために何が必要なのかをしっかりと計画して、実行するのが基本だが、当然起こりうるトラブルを想定し、それに対する対応を、できる限り早期に考え、対処方法を確認しておくことが必要だろう。実際のオリンピック実行部隊である組織委員会の多くは、そういう意識をもっていると思うのだが、なにしろ、国政のトップである首相が、起きる可能性のある事態への対応を聞かれても、ほとんどすべて「仮定のことには答えない」で無視するような回答をしているようでは、しっかりと対処方法を準備することは難しいし、それ故に、しっかりと説明を国民に示すこともできない。
 上に上げた泥縄事例をみれば、それほど難しい予想でもなく、だれでも考えるようなことである。コロナ禍が解決されないまま突入することは、当初から分かっていたのだから、ボランティアにワクチンが必要であることは、子どもだってわかる。しかし、最初は、「ワクチンを前提としないで安全・安心を確保する」などと公表してしまったから、ボランティアのワクチンなどは、本当に考慮していなかったのだろう。当然、国民からの批判が起きる。対応せざるをえなくなる。しかし、当初から計画していたことではないから、実は全員への接種など不可能だとわかる。ワクチンが必要な人々、必要なワクチンの確保、接種場所や方法、日程上の制約、等々は、早い時期からきちんとした計画が練られていれば、混乱など起きず、十分な実施が不可能でも、それを正確に説明しておけば、人々は納得するに違いない。それらが、ほとんどすべて欠いているから、結局、炎上するような説明になるし、おそらく、ボランティアの事態が、これからでも出てくるに違いない。
 また、運営を管理するひとたちは、実行部隊の具体的な苦労などは、実はあまり関心がないのかも知れない。だから国民から批判ができない限りは、実行部隊のための思索などは存在しない。だから、批判がでたときに対応する。必然的に泥縄にならざるをえないのだ。
 
 なお、私はオリンピック行事そのものに反対なので、いまからでも止めるのがベストだと思っている。何が起きるかもわからない。
 
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です