前回の2015年判決を踏まえて出された2021年6月23日の判決は、結論はまったく同じであるが、補足意見や反対意見がかなりの相違をみせ、新聞報道では、ほとんど紹介されていなかった反対意見が極めて充実している。興味のある人は、ぜひ最高裁のホームページで全文掲載されている判決の本文を読むべきだろうと思う。結論は、ほとんど門前払いのようなものだが、かなりの量を占める反対意見は、おそらく、選択的夫婦別姓支持者が強く共感するような内容になっている。2015年判決では、反対意見を書いたのは一人の裁判官だけだったが、今回は、3人いて、原告勝訴と同等の判断を示しているのである。最高裁も、社会の動きにあわせて、確実に変化しているのかも知れない。因みに15名の裁判官の中で、共通して在籍しているのは3名だけで、12名が入れ代わっている。最高裁の判事はほとんどが60代で、定年が70歳だから、6年の間に、多数が退職し、新しいメンバーになっているわけである。それが、とくに補足意見と反対意見に反映されたに違いない。
判決文で示されている限りでは、原告は、憲法14条、24条、92条に違反するという申し立てをした。差別の禁止、婚姻における両性の合意と平等、国際条約の遵守である。2015年判決の訴訟では、憲法13条が入っていたが、ここでは含まれていない。
判決文は、いかにも素っ気ないもので、民法750条が憲法24条に違反しないことは、2015年の判決で明らかになっていると、簡単に結論付けている。選択的夫婦別姓支持者が増えているからといって、変える必要はなく、その他については、「単なる法令違反を主張するもの、又はその前提を欠くものであって、特別抗告の事由に該当しない」とあっさり退けている。それでお終いである。したがって、判決の考えを知るためには、2015年の判決を読む必要がある。それは前回紹介した。
前回と異なるのは、かなり長文の補足意見や反対意見が提出されていることだ。
まず深山卓也、岡村和美、長嶺安政の補足意見は、判決の趣旨を補強しようというものだ。そして、かなり反発を呼ぶような論理を提示している。
まず、同一の姓を決めるという民法の規定は、憲法24条に違反せず、その婚姻は、法律婚を成立させるための規定であって、婚姻そのものに向けた制約ではない。法律婚を選択しないことも可能だという。それはそうだろうが、婚姻を成立させなければ、婚姻を成立させた場合よりも、不利益を被ることがあるのに、婚姻を成立させたければ、同姓にし、同姓にしたくなければ、婚姻を成立させないまま事実婚にすればよい、といういかにも乱暴な話だ。
他方、「結婚で姓を変更する不利益を被る人が増えてきたことは事実だが、その是正は国会の立法に委ねるべきことであり、平成27年大法廷判決が指摘する,氏の性質や機能,夫婦が同一の氏を称することの意義,婚姻前の氏の通称としての使用(以下「通称使用」という。)
等に関する諸点を総合的に考慮したときに,本件各規定が個人の尊厳と両性の本質的平等の要請に照らして合理性を欠き,国会の立法裁量の範囲を超えるものとみざるを得ないような場合に当たると断ずることは困難である」という結論で、事実婚の不利や、同姓を強制される不利を、司法で是正するという意識が、まるで感じられない。
三浦守の補足意見は、論理展開が、私には理解しがたいように展開されている。
というのは、論理的には、原告の申し立てを認めるものになっているのだが、結論は判決の「却下」を支持しているのである。
憲法24条は、両当事者の合意のみによって成立するのだから、その意味で婚姻の自由は保障されている。しかし、一方が姓を変えなければならないのは、自由な選択とはいえない。
通称を拡大しても、それで完全に不利益が是正されるわけではない。そして、社会の状況や国民の意識も変化してきた。明らかに、女性に不利な状況である。したがって、民法の規定は24条に違反する。
このように展開してくれば、当然、原告の要求を認めることになるはずだか、三浦意見は、最終的には、判決を支持することになる。それは、民法や戸籍法を変えないと、制度として別姓の戸籍登録を受けつける方法がないというのである。だから、早急にそうした法制度に変えるべきであるという主張なのだろう。
しかし、最高裁の判決は、事実上法律と同等の機能をもつのであり、違憲判決を出せば、国会は速やかに法改正を迫られる。尊属殺の規定が違憲であるという判決を最高裁がだして、刑法改正か行われたことがある。法があるから、認められないというのでは、違憲立法審査権の意味がないのではなかろうか。
次に、判決の反対意見が続き、これが長文である。
まず、宮崎裕子、宇賀克也の反対意見は、24条に違反するので、原審を破棄し、婚姻の受理を認めるべきとするものである。
24条の男女平等には、人格権も含まれる。婚姻の前提である個人の尊厳、人格の平等を含む。婚姻のみを理由として、どちらかに不利益をもたらすことは違憲であるとする。
民法の婚姻制度で定められた特定の制約が,婚姻をするについての当事者の自由かつ平等な意思決定を、憲法24条1項の趣旨に反して不当に侵害すると認められる場合には,かかる制約はかかる侵害を生じさせる限度で違憲無効とされるべきであるとする。
そして、重要な指摘として、氏と名を2015年判決は切り離しているが、実際には、氏名で識別される。氏名が一体となって識別されるとする「人格権」は、憲法13条で保障されている。また、家族という概念は、明確ではない。夫婦と未婚子のみで構成される戸籍の構成と家族に関する社会的認知は異なっていて、後者はもっと多様である。夫婦と未婚子のみの構成を家族として、その呼称のみを認めるのは、合理的ではない。
2015年判決後、通称使用が増えていることは、同姓強制の根拠を薄める。そして、通称使用が、別姓の代わりになるわけではない。通称を用いるダブルネームは、人格的利益の喪失がなかったことにはならず、使い分ける負担の増加という問題がある。社会的なコストもある。
更に女子差別撤廃条約で、日本は、勧告をうけてきた。
こうして、婚姻の受理を認める見解を示した。
草野耕一の反対違憲は、結論は、24条に違反するので、婚姻届けの受理を認めるべきとする点で宮崎、宇賀意見と同じだが、観点が異なっている。
国会の立法裁量権と、選択的夫婦別姓導入による国民の福利と損失を比較均衡量すべきだという立場から、導入による得失を検討したあと、選択的夫婦別姓を導入することによって減少する福利より、増大する二人が大きいことは明らかであり、選択的夫婦別姓を導入しないことは、立法裁量の範囲を越えるほどに合理性を欠き、24条に違反する。
そのためには、戸籍制度は変更部分が生ずるが、制度そのものに支障か生じることはないとする。この草野見解は、純粋に法論理で論じるのではなく、実際の社会的得失の比較考量で、選択的夫婦別姓導入のメリットが具体的に大きく、損失は極めて小さいということから、それをあえて無視して、同姓の合理性を唯一のシステムとすることは、立法に委ねる以前に司法が判断すべきことであるという意見と解釈できる。
2015年は、原審破棄して差し戻すべきという反対論はあったが、婚姻届けを受理すべきという反対意見はなかった。2021年判決では、3人によってそのことが主張されたことは、大きな前進であると評価できる。