日本人のワクチン観のせいで遅れるのか?

 日本でのワクチン接種の遅れに対して、日本人のワクチンに対するネガティブな感情が強調されることがある。日本人のゼロリスク志向が、素早いワクチンの普及や研究を阻害しているのだというような見解だ。何か、ワクチン研究開発や調達の遅れを、日本人の感性のせいにしている感がぬぐえない。しかし、何故そういう感情が起きたのかを考える必要がある。
 私が子どものころの、予防接種はBCGが代表的なものだった。私は、幸か不幸か父親が結核患者だったので、小さいころに感染しており、ツベルクリン反応が常に最大の強で、BCGを打ったことがない。ただ、BCGに否定的な対応というのは、なかったのではないだろうか。むしろ、日本人は、医学や薬に対して、積極的な姿勢をもっていたように思う。医者への尊敬の念も高かった。
 その風向きが変わったのは、何度か起きた薬害と、ワクチンの副反応だったが、私の見る限り、薬害や副反応自体よりは、その後の政府や企業の対応だったのではないか。それは公害でも同様である。水俣病は、科学的研究によって、その原因物質と排出企業が特定されていたにもかかわらず、本当に長い間、それを政府も企業も認めることがなかった。その間にも、どんどん被害が大きくなったのである。

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オランダの学校教育をめぐる新しい問題1

 学校制度論の領域では、初等教育と高等教育では、原則的な分岐に関しては、今のところ決着がついている。初等教育は、単一の制度で、高等教育は専門的な領域で分化するというように。しかし、中等教育では、この問題は国民教育制度が成立して以降、ずっと問題として論争し続けられてきた。そして、おそらくPISAの影響が大きいと思われるが、先進国で新たな論争や制度改革が起きている。
 簡単に大雑把な整理をしておくと、教育制度はまず大学がつくられ、大学に入るための予備門が形成される。これが中等教育と高等教育である。大体において、社会の管理層になるひとたちが学ぶ場であった。それに対して、一般庶民にも教育の必要が生じると、簡単な読み書きから始まり、社会の発展の程度に従って、多少専門的なことも学ぶ学校が成立する。これが初等教育である。つまり、成立の契機はまったく異なる。
 19世紀の末頃に、先進国で義務教育制度が成立すると、予備門としての初等教育の年齢段階の学校と、純粋な初等学校(小学校)との統一を求める運動が起き、第二次大戦前後には、ほぼ小学校段階は統一的な制度になる。ところが、中等教育をどのように編成するかは、国によって異なる歩みを示した。従来の初等教育の延長と、中等教育を別々の制度として温存するタイプと中等教育も単一に編成するタイプに分かれる。同一の国のなかに、ふたつのタイプが同居する国もあった。

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原発汚染水放出への疑問(再)

 この問題については、ごく素人的初歩的なことを書いたが、やはり、まだ疑問が残る。こうした問題は、やはり、きちんと考えている限りは、素人にも十分納得ができるような説明が必要であると考えるのだ。前回から、新しいことが起きた。それは、中国外務省の趙立堅副報道局長が14日の定例記者会見で、東京電力福島第1原発の処理水について「飲めるというなら飲んでみてほしい」と述べたことだ。これは麻生財務相が、汚染水の水は、水道の水よりも安全で飲める、と発言したことに対して述べたものだ。いかにも、挑発的な発言だが、やはり麻生氏の言い方に大きな問題を感じるし、それは政府全体の問題でもあるのだ。
 はっきりいえば、麻生氏の発言は、日本国民をも馬鹿にしたようなものだ。でたらめを述べているからだ。もし、本当に水道の水よりも安全で飲めるならば、なぜ海に放出する必要があるのか。むしろ、それこそ飲み水として、水道に使えばいいではないか。何故そうしないのか。答えは明らかだろう。水道水より安全だなどということは、全くなく、飲めるはずないからだ。本当に、飲めるのならば、自分で言ったことなのだから、麻生氏自身が、絶対に「これは汚染水である」ということかわかる水を、公開の場で飲んでみせるべきだ。それができないなら、日本国民だけではなく、世界に対して嘘をついたことになる。冗談に決まっているだろう、などというとしたら、こうした深刻な問題をちゃかして、でたらめを平気でいうということだ。そんな財務大臣を信用できるか。

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オランダ留学記5 学校選択2

 オランダでの生活も順調に進み、子どももオランダの学校に慣れてきた時期のことである。いくつもの学校を訪問して、確かに、オランダにはいろいろな種類のが教育スタイルがあるのだということを実感していった。しかし、制度というものは、100%すばらしく機能するということはない。制度も悪用すれば、まずい結果が生じるし、多様な教育に応じるといっても、完全に要求に則した多様な学校を設立できるわけでもない。また、多様な教育に分かれていては、国民的なまとまりが形成できないではないかという、選択に否定的な意見だってある。「教育の自由」や「学校選択」について、国民のほとんどは賛成しているが、具体的に問題が生じることもあるし、また、意見か分かれることもある。そうした紛争ともいうべき事態を紹介した文章である。
 
----(以下通信)
23 学校選択をめぐる紛争
                                            93.4.1
 
 確か昨年の秋に、義務教育に関する論争がここであったと思います。実はそのログは、丁度そのとき日本に一時帰国したので、日本でとり、こちらに持ってきていないので、内容を確認することができないのですが、なにかまだ中途半端で終わった感じがしています。何人か書いていたと思うので、出来たら続きをしてほしいと思っています。

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大学の男女別定員枠はまちがいだ

   森元東京オリンピック組織委員会会長の女性差別発言以来、日本の女性差別が酷いことが度々問題にされるようになってきた。そして、大学入試が終わり、進学年度が開始されたからだろうか、大学という世界における女性の比率が低いことが話題になっている。そしてその極端な例として、東大では、教員の9割、学生の8割が男性であることが議論となっている。東大としても、とくに管理職などで女性を積極的に登用する動きが顕著になっているようで、それはそれでいいことだろう。
 ただし、教師や学生を、意図的に増やすということにまで進むと、むしろ逆の問題を生じさせる可能性がある。現在でも、助教を女性に限って募集されるようなことがけっこうある。研究職だから、当然実力がある人を雇うべきであり、募集そのものを女性に限るというのは、あまり賛成できない。しかし、広範囲に行われているわけではなく、限られたポストでのことだから、女性研究者にインセンティブを与えるという意味では、効果があるかも知れない。

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福井県池田中学事件 担任は刑事責任を負うべきか

 この事件はかなり酷いものだ。教師は、ともするといじめに加担するだけではなく、自らが生徒に対していじめ、というよりは、パワハラというのが適切な行為をしてしまうことがある。この事件は、その教師によるパワハラによって自殺したと見られる事例である。しかし、検察審査会などの審議を経たあと、結局検察による起訴はなされなかった。
 教師は、国家賠償法によって、教育活動によって生じた不法行為に対して、個人としての賠償責任を負わないことになっている。しかし、刑事責任はもちろん個人として負うしかない。この事件は、非常に稀な刑事責任を告発された事件である。実際に刑事事件として扱われたものもあることはある。有名な水戸五中事件などがある。水戸五中事件は、証拠などの不備によって、加害責任を問われた教師は無罪となったが、直接暴力を振るったという目撃証言があったために、起訴された。また、岐陽高校事件のように、有罪になった事例もある。
 しかし、この池田中学の場合は、自殺であり、直接的な暴力によって亡くなったわけではない。したがって、法的問題として考えたときには、単純ではない。
 
 まず事件の概要とその後の経緯を整理しておこう。

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ワクチン接種、地域の状況

 報道では、今日から高齢者へのワクチン接種が始まったとして、いくつかの都市での接種の様子を放映しているが、他の地域での実態はどうなのだろうか。私自身も高齢者であるし、切実な問題であるから、自分が住んでいる場所での状況から考えてみたい。 
 私は千葉県に住んでおり、千葉県のホームページによると、4月中に市町村に配布されるワクチンは76箱である。1箱1000人分弱(1回接種)である。(ただし、1バイアル5回分接種と計算してのこと。6回用の注射器が普及すれば、もっと多くの回数接種できることになる。)そして、我が市には、2箱となっている。つまり、2回接種では、1000人分だ。千葉県のホームページではそこまでしか書かれていない。つまり、その後の配布はわからないということだ。ただし、4月よりは改善されるだろう。

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いじめ告発者を名誉毀損で提訴できるか

 韓国のトップバレーボール選手が、若いころにいじめをしていたことを告発されて、選手生命をほぼ絶たれてしまった状態になった。そして、その後続々と、過去のいじめの告発が相次いだという。将来トップアスリートになるような人は、当然グループの中で力があり、中心的な位置を占めていたのだろうから、きついことも言うだろうし、言われた側が根に持つことは十分にありうる。もちろん、それは精神主義的な練習が幅をきかせている世界で起きがちなことであって、相互協力的で、かつ科学的トレーニングが実行されているようなチームでは、そうしたいじめやパワハラは起きにくいのだが、日本もそうだし、韓国でもまだ精神主義が支配的なのだろう。
 しかし、過去のそうしたハラスメントが必ず後年になって、蒸し返されるわけではない。この姉妹のバレー選手の場合には、他のいじめに関連して、「そういうことはよくない」という趣旨の発言をしたことが、藪蛇になったということだ。だから、過去のいじめが必ず暴かれてしまうというわけではなく、過去の加害者のその後の姿勢によって影響されるのだと考えられる。 
 ところが、この事件はその後意外な展開を見せ始めているという。ナショナルチームの代表となるような選手生活は、永久に絶たれてしまったと言われている姉妹が、今度は逆に、自分たちを告発した人に対する提訴を検討しているという。最初の告発については、内容をほぼ認めていたにもかかわらず、そういうことがありなのか。かなり議論になっているという。

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放射能汚染水の海放出 いくつかの疑問

 原発が開始される前のものだと思うが、さだまさしと糸川英夫博士の対談がある。そこで糸川博士は、明確に、処理法がまだわからない事業はやってはならない、と断言していた。それから半世紀以上もたつが、処理法はいまだに確立していないだけではなく、そもそも処理施設の建設すら行われていない。使用済み核燃料の処理は、地下深く埋めるという方式が、国際的にも確認されているようだが、実際にその処理施設の建設に着手しているのは、北欧だけだ。日本では、場所すら選定されていない。そして、原発事故が起きてしまい、放射性物質を含む汚染水が大量に貯蔵される事態となっている。もし、どのようにやっても、トリチウムだけは個別に取り出して、固定化するなどということができないのなら、確かに海への放出以外にはないのかも知れない。しかし、それでも、政府や東京電力が進めているのを、報道でみている限りでは、いくつかの疑問に答えた上での放出となるのか疑問が起きる。素人ながらの疑問を書いておきたい。
 
できることを尽くしたか

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小室圭氏の回答の説得力は?

 西村宮内庁長官から要請があった「説明責任」に応じる文書が、長文の弁明書としてだされた。ホームページで一般公開されているので、読んでみた。とにかく長いだけではなく、大量の注がついており、いかにも読みにくい。弁護士になるための勉強をしている雰囲気がよく出ているのかも知れない。宮内庁長官は自分の要請に応えてもらったためなのかはわからないが、えらく高く評価しているという報道がなされている。しかし、小室問題に関心をもってきた国民が、これを読んで、「納得した」という人は、ほとんどでないのではないかと思う。国民は、納税者として、天皇(当然皇室も相当する)は、憲法的に「国民の総意」に基づくとされる存在として、この問題に関心をもたざるをえないのだが、そういう立場からすると、小室氏がここで詳細に記述している「借金・贈与」は、問題のひとつに過ぎず、むしろ、今や小さな問題ですらあるということが、まったく理解されていないようで、「失望」を増幅せざるをえないものだったというのが、率直な感想だ。
 
 まず、詳細に弁明がなされている「借金・贈与」問題についても、説得力はあまり感じない。一読した限りだが、彼の主張の要点を整理すると

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