どんな社会状況であろうと、どんなに反対が強かろうと、そして、どんなに海外からの疑問が提起されようと、オリンピックは開催するという強行路線を貫徹しようという政府の姿勢が、明らかになってきた。聖火リレー開始前までは、多少とも状況による冷静な判断ということもありうるかと考えていたが、今は、まったく開催以外のことには、目を向けないようになっている。開催しない、あるいは無観客となると、入るべき収入がなくなる、あるいは、スポンサーの圧力に抗し得ないなどの事情があるのだろうか。しかし、このコロナ禍における開催ともなれば、いくらなんでも、国民の猛反対に応える措置も必要となると判断せざるをえない。いろいろな施策が打ち出されている。しかし、それらは、ことごとく、欺瞞的なものになっている。
安全・安心のために、選手たちは、陰性の証明が必要であり、また、バブル方式という、完全に管理された範囲でのみ行動を認めるという。しかし、これは二重三重の欺瞞がある。今日(6月1日)、はじめての海外の選手が来日した。2カ月近い合宿生活が始まり、最初の本番としての試合を行うことになっている、オーストラリアの女子ソフトボールチームがやってきたのだ。ホテルの特定の部分と練習会場以外にはいかない、ということになっているが、今日既に、週1,2回の買い物は認めてもいいのではないか、という「検討」をしていると報道されている。2カ月の間、ホテルの一角と練習場以外に、まったくでかけない生活など、スポーツ選手のようなエネルギーが満ちあふれたひとたちが、我慢できるはずがない。だから、ここは必ず緩和されるだろう。そして、練習試合には、市民も観戦できるという。ここで、感染拡大の危険がある。札幌でのマラソンのプレ大会をみれば明らかだ。しかし、市民の観戦を認めなければ、なんのオリンピックだ、なぜ、市民の税金を使って、合宿をさせたのかということになる。
二重の欺瞞のもうひとつは、このバブル方式は、選手やコーチなどに限定され、IOC役員やNOCのひとたち、そして、スポンサー関連の招待客には、適用されないということである。まったくの隔離無しとなっている。メディア関係者はどうなるかわからないが、そもそも、取材に来ているメディア関係者が、日本のような「お願いレベル」の自主的隔離などを守るはずがない。そんなことをしていたら、仕事にならないではないか。
次に検査だ。とにかく、選手や大会関係者には、毎日PCR検査をするといっている。そんな検査能力が、日本にあったのかとびっくりであるが、更に、観客をいれるなら、観客にも、PCR検査を義務づけ、陰性証明かワクチンの接種証明がないと、観戦を認めないと検討しているという。80万人の東京および近郊の子どもたちも同様である。
観客をいれるとなると、数百万の単位になるから、それだけのPCR検査をすることになる。そうすれば、これまで検査が圧倒的に低いことによって、日本の感染が少ないことになっていたその「実績」が崩れる可能性がある。これまで、日本では、一日の最大検査数が10万を越えていない。最近は、ずっと少ないはずである。東京ですら、2000人程度のことがあるくらいだ。自治体によって、民間のPCR検査での陽性数をカウントしないところがあるから、実際にPCR検査ででている陽性数より、少なく発表されているはずである。
しかし、オリンピックの観戦のためということになれば、陽性数をカウントしなければならないに違いない。旅行に行く人が、個人的に陰性であることを確認するのとは、訳が違うのである。もちろん、それでも、観戦のためのPCR検査は、民間に頼るだろうから、陽性数のカウントにいれないことも考えられるが、それはまた、「虚偽」を増やすだけであるし、その陽性者は、他の人に感染させるだろうから、やがて、公的な検査にもひっかかってくるはずなのである。例えば、地方のある県の人が、民間のPCR検査をうけて、家族3人で観戦するはずだったが、一人が陽性になり、残りが陰性だったから、陰性だった3人が東京にでて、観戦して、帰った。しかし、家族の一人が陽性だったのだから、検査の時点では陰性だったかも知れないが、実は、その後ウィルスが増えて、観戦中に他の人に感染させたという可能性がある。また、一人陽性だった人も、民間の検査だったために、保健所に届けず、そのままにして、普通の生活をしていて、他の人に感染させ、やがて発症して、保健所に正式に陽性認定に至った。こんなことが起こりうるのだ。こういうことは、防ぎようがないことである。観戦数をオリンピック組織委員会は、できるだけ多くしたいと思っているはずである。しかし、多くすればするほど、こうした感染リスクは大きくなる。
現実的な予測として、インド株による再度の感染拡大が7月か8月におきる可能性があるといわれている。これは、私も素人ながら、十分に予測できることだと思っている。
では、観客を本当に制限できるのだろうか。
まず、観客をいれることになれば、絶対に避けることができないのは、スポンサーが顧客に対し、懸賞として配布したチケットがあるが、これは、スポンサー関連だから、観客をいれる以上断ることはできない。これは懸賞の当たりチケットだから、ただで得たものだ。
海外の観客はいれないことになったが、日本人客をどうするか。全体の6割くらいが、国内での販売だそうだ。もし、観客を半分にするということになると、スポンサー分がどの程度かわからないので、正確ではないが、仮に1割だとすると、日本人分を全体の4割分、つまり、日本人分の3分の2にしなければならない。すると、3分の1を削ることになる。これをどうやって決めるのか。不平不満がでない削り方は、おそらくありえないだろう。どのように決めても、かならず大きな不満がでる。いくらおとなしい日本人であっても、これだけ理屈にあわないオリンピック政策、コロナ対策をがまんさせられてきて、最終的に、自分がやっと入手したチケットを、恣意的に無効にされたら、多数がいるだけに、大きな騒ぎになるだろう。しかも、多額のお金を払って購入した自分たちはだめで、ただで入手したスポンサー配布のひとたちは観戦できる。たとえ、チケット代を返金されるとしても、いかにも不公平ではないかという不満を抑えることはできないに違いない。では、日本人分は全部認めるか。そうしたら、感染拡大を更に助長することになる。