読書ノート『私は親に殺された! 東大卒女性医師の告白』小石川真美(朝日新聞)

 なんとも刺激的な題名だが、実際に親に殺されたわけではない。38歳で、なんとか親との絶縁宣言ができた著者が、それまでは、親に支配され、そのために、重篤な精神疾患に罹患し、何度も自殺未遂を図った記録である。確かに、すさまじい親による精神的虐待であるが、(父親からは数回の身体的暴力もあったことが書かれているが)母親からすれば、納得のいかない内容であるかも知れない。著者の側からの真実ということになるのだろう。
 単なる読者としては、そんな人生ってあるのかと思うようなことが、ずっと続いている。
 読んで、多くの人が不思議に感じるに違いないことは、東大の医学部を卒業した医師であるにもかかわらず、コンプレックスに苛まれ、それ故にこそ、様々な奇行というか、愚行というか、常人には考えられないような行動をしばしばとっていることである。最初に出てくることは、運動が苦手な著者が、小学校1年生のとき、逆上がりをする体育の時間に順番が回ってきたとき、先生が「真美ちゃん、この間、放課後2人で練習したときはできたじゃない。頑張って。」といって、励ましてくれたのに対して、「私、逆上がりなんか一度もできたことない。先生の嘘つき」と皆の前で叫んだという。その結果、その教師は、母親のところにやってきて「真美ちゃんは末恐ろしいお子さんですね」と怒鳴ったというのである。普段から、母親が「嘘は絶対にいけない」と教えてきたから、先生が嘘をいうことに対して許せなかったという気持ちだった筆者に対して、母親は、「せっかく先生が思いやりでいってくれたのに、先生を嘘つき呼ばわりするなんて、なんて子なの」と叱りつける。嘘をつくなと教えてくれた母親に、正直だったことを誉められるかと思いきや、先生におもねって自分を叱りつける母に萎縮してしまう。

 こうした関係が、無数に、38歳まで繰り返されるということだ。父親は、最初自衛官で、その後民間企業に転職し、出世している。読んでいる限りでは、戦前の厳父のような存在である。
 しかし、だからといって、この親子は、仲が悪く、いつも罵り合って、険悪な関係が続いているというわけではなく、外目には、通常の家庭であり、著者が神経疾患に冒され、自殺未遂を図ったとき、あるいは、極めて体調が悪化したときなどには、ひとり住まいのアパートに駆けつけてくるし、著者が医者になってから、家族で海外旅行などに出かけている。
 人間関係がうまくいかず、様々なことにコンプレックスを抱いていた著者だが、とにかく、学校の成績は優秀で、千葉大付属中学、学芸大付属高校と進み、学芸大付属の2年生くらいまでは、ずっとトップを維持している。しかし、書かれている内容を読むと、かなり無理した勉強で、やっとトップになっているという感じで、いずれ破綻するものだった気がする。大学までの著者の過ごしかたをみると、やはり、奇異の念にとらわれるのは、ほんとうに勉強だけで勝負していたように書かれていることだ。貧しい家庭ではなく、普通であれば、ピアノを習ったり、水泳教室にいったりするのではないだろうか。ずっと市街地に住んでいるのだから。私の世代では、まだまだ習い事は、東京でも普及しているとはいえなかったが、著者の時代には、かなり普及していたはずである。この家庭は、いわゆる趣味の領域や、教養を感じさせる要素が極めて希薄なのである。学芸大付属高校のときには、通学時間がけっこうかかっていたようだが、とにかく、睡眠時間を毎日3~4時間に切り詰めて、部活もやらず、ひたすら学校の勉強に猛進している。そして、著者が強調しているのは、そういう優秀な成績をとりつつ、一度も親が娘を褒めたことがないという。それは、褒めると、人間は奢りの精神がでて、かえって怠けてしまうから、褒めることはよくないという「信念」があったと、母親が語ったという。娘としては、褒めてほしかった、そして、お前は価値がある人間だといってほしかったというのだ。 
 弟がダウン症だったこともあり、また、自分のコンプレックスを克服する意味もこめて、東大の理三をめざして猛勉強をする。典型的なガリ勉だったわけだ。
 とにかく、著者の集中心と克己心はたいしたものだ。17歳のときに、精神疾患が現れたこともあり、成績が落ちてしまう。到底東大の理三は無理だと判断して、理二に入学して、理二から医学部に進学できる成績をとって、医学部にいくという戦略に変更し、それを実現するのである。その間にも、何人かと、人間関係上のトラブルを起こしてしまう。医学部を出てからも、病院勤めを何度も変えざるをえなくなり、そして、何度も体調をくずす。精神病院に強制的に入院させられ、保護室に拘束されてしまう経験も数度に及ぶ。
 正直、読んでいて、とにかく、なんともいえない憂鬱な気分になってくる。正直いって、私と正反対の人間なんだという感想だ。180度違う気がする。
 著者は、とにかく、親から認めてほしいと強烈に願っている。しかし、精神的に支配され、それが虐待ともいうべき状況になるにもかかわらず、親のいうことに、ほぼ従っている。反発と従属が並立しているのだ。私は、親から褒めてほしいと思ったこともないし、親に進路を相談したこともなかった。私の親は、私の進路の希望には、何度か心のなかでは反対だったようだが、そんなことは、私は一切考慮せず、私の進みたい方向にいった。
 私は、ひとつのことに熱中するというよりは、複数のことを同時進行させる質で、なにがなんでも、これをやってやるという執着心はあまりなかったが、筆者が、これぞと決めたときの集中心と、克己心はすばらしいものがある。だからこそ、精神を患ったのだし、また、逆に、真に決意したときには、克服に向かってしっかりと歩み出すことができたのだろう。
 最終的には、何度かの入院と自殺未遂、そして、薬への依存症(医師だから自由に処方できる)を克服して、親からも独立し、医師として再生しているという。
 ただ、いくつかの疑問も感じた。
 著者と母親は、明らかに共依存の関係のように思われるが、その点については、まったく触れていない。あくまでも、母の自分への精神的虐待によって、精神疾患になり、やがて薬への依存症になって自分を苦しめたという分析である。
 それから、薬への依存症になったことについて、薬を処方する医師たちが、その薬が依存症になる危険があることをきちんと指摘してくれていたら、自分は、やめていたと、何度も書いているいるのだが、しかし、著者自身が東大医学部を卒業して、医師国家試験に合格した医師なのである。自分が服用している薬の危険性については、いくらでも調べることができたはずである。最終的にある医師がそれを指摘してくれたために、自分はやめる決意をして、しかも、通常ありえない短期間で依存症から、苦しんだが抜けることができた。それは壮絶な努力だったと書いているのだが、どうもその点は納得しがたいものがあった。
 著者がこの本を書いた理由は、親が、子どもに対して、言葉の暴力を振るわないでほしいということを訴えるためだと書かれている。そして、そうした子どもに対しては、勇気を奮って、正当な抗議をする、それてだめなら、決別してほしいと訴えている。
 著者の意図は理解できるが、この本によって、言葉の暴力をやめる親がいるかは、どうなのだろうか。自身の決別があまりに遅かったという後悔の念は十分に伝わってくる。 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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