性同一性障害者へのトイレ制限訴訟の判決

 一昨日LGBTに関する文章を書いたら、昨日、性同一性障害をめぐる訴訟の東京高裁判決が出て、しかも、地裁判決に対する逆転判断となっているために、大きな話題になっている。おりしも、自民党が、LGBT理解増進法案を了承したという報道もあり、再度考えてみることにした。
 判決は、経産省勤務の女性(元男性)が、女性用トイレの使用をめぐって、経産省側がトラブルの不安があるので、異なる階のトイレをと主張したのに対して、それを不服として提訴したものであり、地裁ではトイレ制限は違法であるとして、原告を勝訴させ、昨日の高裁判決は、違法ではないとしたものである。この判決については、既に大量のヤフコメがついており、多数は、高裁判決を支持している。
 私は一昨日のブログで、LGBTに関する法としては、差別禁止を規定することが必要で、むしろ理解増進を「法」で決めることには疑問を呈しておいた。このトイレ問題は、差別禁止原則の下で、これが差別にあたるのか、あるいは、合理的な区別を求めたのかという判断をすればよいのだと思う。

 男と女は、どこで区別され、どこまで異なる存在として許容されるのか。それは、もちろん、時代や社会が異なれば、その許容範囲も違ってくる。ただ、私が学生だった1960年代くらいまでは、男女の区分は、あくまでも肉体的な要素で決められていたと思う。ただし、男だから、女だからということで、不合理な区分を強いることについては、差別であるという認識だった。そういう感覚では、男が、女トイレに入るとか、女湯に入ることは、当然許されないことで、許される・許されないという基準は、極めて単純だった。もちろん、「女だからこうしなければならない」とか「男はそんなことをするものではない」などという、合理性のない、男らしさ、女らしさの押しつけが批判されることは、いくらでもあったが、そうしたことの変化は、なかなか進まなかったように思う。
 しかし、その後ジェンダー論や性的志向性という概念が登場し、男と女の区分は、極めて複雑になった。現在の社会は、まだ様々な領域で、男女が別の領域で活動・行動することを制度化しているから、当然、トラブルもおきることになる。私の若いころからすれば、それでも、男女の区別領域は、ずいぶん狭まった。入学定員、学生簿、男女の呼び分け(さん、君)などは、学校のなかで解消されている。しかし、体育、健康診断、トイレは、別々だろう。(体育も一緒にやる分野も多くなっているが)
 私がオランダにいたときに(199年代始め)、学校に馴染めないので、他の学校類型に移動したいと考えている生徒専門の中等学校を訪問したことがある。いろいろな話をきいて、日本にはない学校だから、興味深かったのだが、そのなかで驚いたことは、男女を区別して教育することがまったくなく、体育も一緒だし、体育のあとシャワーを使うのだが、それも一緒だという説明を受けた。そこの教師が長く説明していたなかに出てきたことなので、そのとき、うかつにも、トイレのことは質問しなかったので、わからない。もちろん、オランダの学校といえども、トイレは別々だし、シャワールームもほとんどの学校では別だと思う。もし、トイレ(当然個室のみということになるだろう)もシャワーも風呂も、小さいころから男女の区別をせずに使用していて、それが当然だと思っていれば、こうした問題はおきないのかも知れない。実際に、服装をみても、江戸時代は、明確に男女が区別されていたし、昭和くらいまでは、男女差は残っていたが、今では、かなり男女差はなくなっており、後ろからみると、男か女かわからない人は、たくさんいる。そのように、おそらく、様々な面での男女差は縮小されていくことは間違いない。また職業上の区分も、かなりなくなっている。看護師、保育士、CA等、以前は女性の職業とされていたが、今は、そうではない。逆に、職業ドライバー、兵士、警官などでも、女性はめずらしくなくなっている。そのように考えていくと、未来において、最終的に、消滅しない男女の相違は、女性だけが妊娠し、母乳を与えることができる、ということだけになるかも知れない。
 だが、それは将来のことだろう。現在では、制度として区分する必要がある領域は、まだ残っている。トイレや公衆浴場はその代表的なものだろう。昨日の高裁判決を支持する女性が多かったのも、その区分を支持するからである。端的にいえば、心が女性であれば、肉体は男性でも、女性トイレを使えるとなれば、それを悪用して、性犯罪を行う男性が出てくるという不安である。そして、「もし、件の人が、女性の心をもっているなら、その不安が理解できるはずだ」と書いている人が何人かいた。確かに、その当事者の彼女(彼)は、そうした性犯罪など、トイレで起こすことはないだろうが、判決として、原告の要求を認めれば、社会一般に、その原則は適用される可能性がある。特に確定判決は、社会的影響をもつから、特別な個人だけではなく、社会全体として適用されると問題が生じることについては、当然その問題性を認識した判決にしなければならない。
 ただし、この個別事例では、通常の男女別のトイレしかない場合には、合理的な解決が難しいことも確かだ。この人は、心と服装・外見が女性であるが、肉体は男性である。だから、男性トイレにはいれば、男性から忌避されるし、女性トイレにはいれば、女性から忌避される。だから、肉体は男性であることを知る人がいないと思われる、他の階のトイレを使うように、使用者は望んだということだろう。このケースの場合、本人がアウティングを望んでいない場合、合理的な解決策は、男女共用のいわゆる多目的トイレの使用といえる。それは、ヤフコメでも多数の人が書いていた。今やコンビニは便利な公衆トイレとしての機能を果たしているが、コンビニは、多くが男女共用のトイレがある。合理的な解決策がある以上、その実現をめざすべきである。それは、原告に対してもいえることだ。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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