持久走で小学5年生が死亡

 今年の2月に、大阪で、体育の授業を受けていた小学校5年生の男子が死亡していた。それが、わかったのが数日前で、間があいたことの理由はわかっていないようだ。体育は持久走で、マスクを顎にかけた状態で倒れていたので、マスク着用に関する指示に関して議論になっている。この議論は、非常に複雑で単純な結論をだすことはできないといえる。例によって、ヤフコメを参照してみたが、ヤフコメとしては異例で、多様な主張が乱立していた。比較的単純な話題に関しては、90%以上が同一見解が示されるのだが、この件については、大きくわけても5,6種類以上の意見があった。
 まず、授業は2月であること。この時期、学校の体育では持久走を行うことは、めずらしくない。ただし、この持久走は、距離を指定しているのではなく、5分間走るという形式だったそうだ。それから、マスク着用については、強制はしていなかったと公表されている。
 大きな議論になっているのは、マスク着用の体育という点だ。現在の指導では、文科省は、体育の授業ではマスク着用は必要ないという立場をとっている。ただし、禁止ではない。

 これに対して、マスク着用を不要というのは、子どもに考えさせることで、それはよくない、ちゃんと指導すべきだ、という意見がかなりある。つまり、マスクをつけないように指導せよということだ。自分もジョギングをしているが、マスクをしていると、息が切れる、だから子どもは絶対に無理だ、ちゃんと「つけるな」というべきだ、という見解である。他方、自分は訓練のために、あえてマスクをして、ジョギングをしているが、効果があるという見解もだされている。しかし、子どもの場合には、その訓練のためということは、あまり支持されないだろう。
 では「マスクをするな」と指導すれば、解決かというと、そうではないから難しい。「マスク警察」という言葉を思い出せばわかるように、マスクは絶対に必要だという信念をもっているひとたちがいる。子どもが学校に通っていれば、保護者として登場する。そういう親は、当然子どもに体育でも絶対にマスクを外すなと、強くいうに違いない。そうすると、「どちらでもいいよ」と教師がいえば、つけるだろうし、「マスクはつけないように」と指導すれば、学校に抗議することになる。もちろん、その主張には合理性もある。マスクを外せば、感染リスクが高まるわけだから、感染リスクと、マスクをして体育をすることのリスクが両方ある以上、どちらを重視するかは、個人によって異なってもおかしくない。感染リスクは無視してもいい、といったところで、感染リスク重視派は納得しないだろう。リスクというのは、個人レベルで検査すればわかるかもしれないが、集団的には、要するに、どちらに不安を感じるかということだから、主観的な要素が大きい。
 そこで、ヤフコメでも、いくつかの教師の投稿があったが、「板挟みにあっている」という嘆きが起きている。どっちを採用しても、反対側からクレームがくる。じゃ自由だということにすると、ちゃんと指導せよ、というクレームがくる。どうしたらいいんだ、というわけだ。
 そして、若干の意見しかなかったが、持久走自体のリスクもある。とくに、距離ではなく、時間走であることもポイントになる。
 第一に、大人には、脈拍数に関してリミッターがあるが、小学生には、まだ形成されていないと大学で習ったことがある。つまり、激しい運動をして、脈があがっていっても、ある一定の脈拍数になると、自然にそれ以上はあがらず、結局、からだが動かなくなる、つまり、制御装置が働くということだ。しかし、子どもはまだその制御装置がないので、どんどん上がってしまって、心臓麻痺を起こしやすいというのだ。以前は(大分前のこと)、私立中学の入試に体育があって、主に50メートル走だった。しかし、死亡事故が複数あって、中止になったのだが、小学生で、運動不足の冬に、突然、人生を決めるかも知れない場で、いきなり全力失踪すると、脈が制御されないまま心臓麻痺を起こしてしまうという事故だった。
 そして、第二に、時間制の持久走という点も重要だ。動物は通常全力疾走は30秒が限度なのだそうだ。だから、ライオンに追われても30秒逃げきれば助かる。追われる側は、だから、30秒逃げきれる距離を保つことに注意する。そうした注意をとれなかった牛や鹿や馬がライオンに捕まってしまうのである。持久走が、1000メートルという規定であれば、その長さがわかるから、最初からゆっくり走るだろう。しかし、5分走ということになると、最初はけっこうスピードをだしてしまうが、30秒あたりでかなり疲れてくる。しかし、まだ4分半も残っているのだ。そこらをうまく緩めて走れる者はいいのだが、最初飛ばしてしまった者は、残りはかなりきつくなる。リミッターかきかないために、心臓麻痺を起こした可能性があるのではないだろうか。
 第三に、それに加えて、マスクをしていたら、そうした危険性が更に高まるわけである。
 
 以上のことから、私の見解は以下のようなものになる。
 もっともよいのは、持久走は体育としてやらない。とくに、冬と夏は避けるべきである。
 どうしても持久走をする必要があるならば、時間決めではなく、距離を決める。順位はつけないことと、苦しくなったら途中でやめることを徹底する。そして、距離が長いから、速めに走ることはさけるように注意する。
 マスクについては、大人にも賛否両論あるから、自分で考えて決めてよいが、つけていて苦しくなったら外す、あるいは持久走を中止するように指導する。
 私が校長なら、とにかく、冬と夏の持久走はさせないだろう。年間計画をそのように設定する。詳細な教育課程は、学校に権限があるのだ。
 

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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