性同一性障害者へのトイレ制限訴訟の判決

 一昨日LGBTに関する文章を書いたら、昨日、性同一性障害をめぐる訴訟の東京高裁判決が出て、しかも、地裁判決に対する逆転判断となっているために、大きな話題になっている。おりしも、自民党が、LGBT理解増進法案を了承したという報道もあり、再度考えてみることにした。
 判決は、経産省勤務の女性(元男性)が、女性用トイレの使用をめぐって、経産省側がトラブルの不安があるので、異なる階のトイレをと主張したのに対して、それを不服として提訴したものであり、地裁ではトイレ制限は違法であるとして、原告を勝訴させ、昨日の高裁判決は、違法ではないとしたものである。この判決については、既に大量のヤフコメがついており、多数は、高裁判決を支持している。
 私は一昨日のブログで、LGBTに関する法としては、差別禁止を規定することが必要で、むしろ理解増進を「法」で決めることには疑問を呈しておいた。このトイレ問題は、差別禁止原則の下で、これが差別にあたるのか、あるいは、合理的な区別を求めたのかという判断をすればよいのだと思う。

“性同一性障害者へのトイレ制限訴訟の判決” の続きを読む

スクールカーストの克服

 久しぶりにスクールカーストの話題が新聞に載っていた。(スクールカースト いじめの温床 「女子は1軍、2軍、3軍に分かれている」西日本新聞)https://www.nishinippon.co.jp/item/n/413024/
 九州北部の小学校、5年生でのできごとだ。いじめをテーマにした授業のあとの感想文に、「女子は1軍、2軍、3軍に分かれている。」と書かれてあった。ファッションセンスの敏感なAは、1軍で彼女が中心になって、いじめが始まった。そこで、担任教師は、いじめの構造(被害者、加害者、観戦者、傍観者)の話をしつつ、クラスに発生していたいじめを話し合わせたという。そのなかで、リーダー(A)に逆らえない、遊びだ、泣いているのを見ると面白い、などの率直な意見を引き出しつつ、担任は、面白いといった子どもに、放課後「自分がそうされたら」と聞く。また、リーダーのAとも話し合う。Aは、母が障害がある姉にかかりきりで、自分をかまってくれないことへの悩みを語る。それがいじめとなって表れていた。母親とも話し合うが、納得のいく合意には至らなかったようだ。この記事では、その後どうなったかは書かれていない。気になったのは、この担任は、優れた指導力を発揮しているが、子どもの指摘以前は、スクールカーストの存在を意識していなかったことだ。

“スクールカーストの克服” の続きを読む

LGBT法案が成立不透明になったが

 今日の報道では、超党派の議員立法で進められているLGBT法案の成立か難しくなってきたという記事を複数のメディアが掲載している。数年来の懸案で、4月の段階では、自民党も基本的に了承したが、政党間の調整の過程で、野党から、「差別禁止」の項目をいれるように要求があり、自民党がそれに難色を示して、まとまらなくなりつつあるという状況のようだ。自民党での中心的役割をになっている稲田氏の対応に対する不満も、党内にはあるというが、基本的には自民党保守層の抵抗が原因だろう。
 この問題については、私も正直わからないところが大きいのだが、いくら検索しても、法案の原文が見つからないので、ますます判断がしにくい。ただ、現在の法案の題名が、「性的指向および性同一性に関する国民の理解増進に関する法律」となっており、あくまでも「理解増進」の法案だった。そこに、差別禁止が入ってきたために、問題が拗れたというわけだ。

“LGBT法案が成立不透明になったが” の続きを読む

オリンピック中止の経済損失という記事

 朝日新聞が「五輪中止、経済損失は1.8兆円 野村総研が試算」という記事を掲載している。これによると、中止されたときの損失は、1兆8108億円、無観客開催では1468億円とする試算を木内登英氏がまとめたと紹介している。しかし、よく読むと、最後のほうに、緊急事態宣言で失われるほうが大きいと断っている。
 なんとなく、妙な気がしたので、そのレポートを読んでみた。全文かどうかはわからないが、ウェブ上に「東京オリンピック・パラリンピック中止の経済損失1兆8千億円、無観客開催では損失1470億円」という題で、掲載されている。https://www.nri.com/jp/knowledge/blog/lst/2021/fis/kiuchi/0525
 新聞で報道されている内容と、当然同じだが、具体的な計算方法が書いてあるので、わかりやすい。
 ただし、この報告には、基本的に違和感がある。経済的な計算上はそうなのかも知れないが、一国民としてオリンピックを考えると、このような計算そのものに疑問を感じざるをえないのだ。

“オリンピック中止の経済損失という記事” の続きを読む

「仮定のことには答えられない」空虚な言葉の横行

 「安全・安心のオリンピック」という言葉は、虚しい響きをもって、これまで語られてきたもののひとつだ。最初は「復興五輪」だった。そして、「コロナに打ち勝った証としてのオリンピック」、そして、「絆を示すオリンピック」。これらは、すべて虚言であったし、いわれたときから、虚言だといわれてきた。
 もうひとつ、オリンピック推進者たちの、許しがたい言葉に、「仮定のことには答えられない」というのがある。これは、何度も繰りかえされているのだが、最近は、コーツ氏が、「緊急事態宣言下でもオリンピックを開催するのか」と問われて、まったく疑いもなく、「そうだ」と答えたのに対して、同じ質問を外国の記者が、武藤組織委員会の事務局長に向けたところ、「仮定のことには、答えられない」と質問への回答を拒否している。できることなら、ではコーツ氏の言葉については、どう思っているのか、としつこく追求してほしかった。

“「仮定のことには答えられない」空虚な言葉の横行” の続きを読む

オリンピック 運動会と子どものオリンピック観戦

 運動会を開催するかどうかが、議論になっている。当初、コロナ禍であるので、運動会は中止するように行政指導があった。しかし、子どもたちから、オリンピックをやるのに、どうして運動会はできないのか、という不満の声が出てきたと報道され、それに対して、萩生田文科相が、安全対策をしてやるように、という逆の指導をだしてきた。それに対して、今度は、命よりオリンピックが大事なのかという文科相批判がでてきている。つまり、運動会を工夫してやるように、という指導が、明らかに、オリンピックはいいのに、運動会はだめだという不満に対して、オリンピックも運動会もできるようというアピールとしてだされたからだ。
 問題は複合的だ。オリンピック開催と運動会という、規模が全く違うが、性質は同じである行事、しかも、オリンピックは大きな政治課題になってしまったために、オリンピック開催と絡める人と、独立して考えているひとたち、様々な立場がある。

“オリンピック 運動会と子どものオリンピック観戦” の続きを読む

緊急事態宣言下でもオリンピック開催とか

 IOCのコーツ氏が、たとえ緊急事態宣言がでていても、オリンピックは開催すると表明した。テレビでも大きなニュースとして扱っていたが、ここまで日本人が馬鹿にされているのかと思うと、情けない気持ちになる。以下そのことを伝えるニュースである。
---
huffpost
国際オリンピック委員会(IOC)のジョン・コーツ調整委員長は5月21日、3日間にわたる調整委員会後に開いた記者会見で、大会期間中に東京が緊急事態宣言下だったとしても開催する考えを示した。【ハフポスト日本版・Rio Hamada】 質疑応答で、大会期間中に東京で緊急事態宣言が発令されている状況になった場合でも、大会を開催するのかという質問が飛んだ。 コーツ調整委員長は「緊急事態宣言下で、複数の競技のテスト大会が成功した。アスリートや日本の人々の安全や安心を守るために設定した全ての計画は、最悪の事態を想定したもの」と説明。 その上で「質問への答えは、完全にイエスです」と答えた。
政府分科会のメンバーからは「やってはいけない」の声もあったが…

“緊急事態宣言下でもオリンピック開催とか” の続きを読む

私権制限は憲法改正が必要という見解は誤り

 日本では、欧米のような徹底した対策は、とれない、それは憲法のせいだ、という議論が、ネット上には多数みられる。おそらく、憲法改正したい政治家たちの思惑にのせられているのだろうけど、少し考えれば、おかしいことがわかるはずだ。そして、憲法の専門家であるひと達ではなく、むしろ素人のコメンテーターやSNSでの書き込みが顕著である。
 例えば、次のような意見がヤフコメに載っていた。1000以上もあるコメントのひとつで、わざわざアドレスは載せないが、このような見解は、いくらでもある。
 
----
ロックダウンなど個人の権利制限は日本は出来ません。憲法違反になりますから。
立憲民主や反政府的立場の学者は拡大解釈によって憲法下でも権利制限の立法が可能だととんでもない危険な思想をひけらけしていますが、明らかに憲法違反となる法を作る危険性を軽視してはいけません。「日本の憲法は緊急事態が起こり得ない」ようになっています。緊急事態とは戦争を含みますので、憲法で緊急事態の概念を否定しているのです。

“私権制限は憲法改正が必要という見解は誤り” の続きを読む

チェリビダッケはレコード嫌いだったのか 井阪氏の見方

 前にチェリビダッケについての文章を書いたが、(チェリビダッケのリハーサル1~3 http://wakei-education.sakura.ne.jp/otazemiblog/?p=1386 http://wakei-education.sakura.ne.jp/otazemiblog/?p=1396 http://wakei-education.sakura.ne.jp/otazemiblog/?p=1402)井阪紘氏の『巨匠たちの録音現場 -カラヤン、グールドとレコード・プロデューサー』(春秋社)を読んで、意外な評価だったので、再度考えてみた。
 本の題名には、2人の固有名詞が書かれているが、実はチェリビダッケも扱われている。録音芸術の巨匠だったカラヤンを別格として大きく扱い、更に、録音を完全に拒否したチェリビダッケと、生演奏を拒否して、録音だけの活動に入り込んだグールドを対照的な演奏家として、分析しているわけだ。そして、付録のような形で、有名な録音プロデューサーだったジョン・カルショーを加えている。著者は、録音プロディーサーということなので、実際に経験した彼等の録音活動を扱っているのかと思ったが、扱われている事実は、ほとんどが文献によるもので、それらの読み方に、実際の録音プロデューサーとしての分析を加えた形になっている。したがって、新しい事実を教えられたということは、ほとんどなかった。

“チェリビダッケはレコード嫌いだったのか 井阪氏の見方” の続きを読む

ワクチン接種の予約・指定方法について

 やっとコロナワクチンの本格的な接種の予約が始まった。一部には、先行接種ではない、本番の接種が高齢者に対しては始まっている。しかし、予想されたことだが、予約の混乱があちこちで発生しているようだ。高齢者は、大規模な集団接種が可能な最初の集団だから、混乱も大きいのかも知れないが、一般が対象になったときには、もっと人数が多いのだから、予約方法が改善されない限りは、より大きな混乱が生じる可能性がある。慣れによって改善される部分もあるだろうが。
 そもそも、こうした大量接種の順番を決めるには、どんな方法があるのか。
 大きく分けると各人の予約制と、行政による指定制がある。
 予約には、窓口予約、電話予約、ネット予約がある。郵便予約も方法としてはありうるが、コロナワクチンでは適当ではないので、郵便予約はおそらくまったく採用されていない。
 指定制は、番地など、なんらかの基準を設定して指定するのだろうが、行政がすべてを指定する方法と、グループ化したものを、順番を抽選で決める方法などが、今回実際に行った自治体がある。

“ワクチン接種の予約・指定方法について” の続きを読む