コロナ対策で、とにかく政府による飲食店への攻撃がやまない。そして、中心は、酒の提供だ。常識的にみて、大勢で酒を飲めば、気が大きくなり、大声で話すようになるから、感染拡大の要因になるというのは、わかりやすい。しかし、他方、飲食店が感染の場になっている事例は、極めて少ないという統計もある。
酒に関しては、ついに、金融機関に、違反している店にはそれなりの対応をせよという申し入れをするまでになっていたが、大きな批判で取りやめにはなったようだが、卸売業者に対して、酒を卸すなという要請は、現時点でまだ撤回していないようだ。両方とも、とんでもない暴挙である。(今日のテレビで橋下徹が、国民が馬鹿だから、こういう無理難題になんら抵抗しないでいる、それを改めねばだめだ、というような発言をしていたが、このふたつの要請については、両方とも、金融機関や卸売業者が問題外として、相手にしていない。国民の批判もかなり強かった。つまり、橋下のいうことは、現実にはまったくあっていない。)
こういう議論のなかで、一月万札だった思うが、禁煙論議が盛んだったころに、ある人(番組では名前が出ていたと思うが、忘れてしまった)が、「次は酒がやられる」と語っていたが、その通りになりつつあるという話をしていた。
そういう政府の統制の対象として、まず煙草が狙われ、それがほぼ成功した現在、次の標的な酒なのだ、というのは正しいのだろうか。正直、政府や各組織の見解や思惑については、まったく知らないが、私なりにこのふたつを考えてみたいと思った。
まず、私は煙草は大嫌いである。いままで一度も吸ったことがない。別に、子どものころに、煙草を吸うのは不良などという認識をもっていたわけではなく、単純に煙草の煙が不快だったからで、吸いたい人は、迷惑のかからないようにどうぞという感覚だ。大学で、煙草禁止が教授会で議論されていたときにも、排気設備のある場所ならいいのではないかという立場だった。しかし、煙草は、明らかに間接喫煙という害悪を他人にもたらす。したがって、特定の、迷惑がかからない場所に限定させるという措置は、ぜひとるべきだと思っていた。
飲食店にはいったときに、禁煙席がないというので、すぐに出てきたこともある。
現在は、煙草規制が進み、ポイ捨てなども減少し、人のいる前で吸う人もあまりいなくなったので、よい状態だと思う。つまり、煙草規制には合理性があるといえる。
では、酒はどうなのか。また、何故、コロナ禍で、酒や飲食店がこれほどまでに、やり玉にあがるのか。
まず酒は、間接喫煙のような、はっきりとした害はないと思われる。もっとも、他人への強要などは、同じようなものだが、自分が適量を飲んでいる限りは、他人に迷惑をかけることはない。
酒は昔から、政府の重要な管轄事項だった。酒の製造は国家によって厳しく管理され、自由に酒をつくることはできなかった。現在ではかなり緩やかになり、果実酒などをつくることは認められるようになったが、以前は公的には禁止だったのである。そうしたことに抗議するために、あえてビールなどを醸造し、逮捕されて裁判にかけられ、裁判の場で、国家の政策の不当性を訴えるという人たちすらいた。
なぜ、政府の管轄事項として重視されたかは、当然のことながら、税収の重要な柱だったからだろう。人類にとって、アルコール飲料は、どこでも重要な飲み物であるから、税収の柱のひとつになることは、ごく自然なことだった。しかし、放置すれば、当然違反して、勝手に作り、税を納めない者もでてくる。そのために、とにかく、厳重な管理をしていたといえる。
それに対し、宗教的な意味で、酒類を禁止する社会もあったし、いまでもある。1930年代のアメリカには禁酒法があり、現在でも厳格なイスラム国家では、酒類は禁止されている。しかし、近代国家では、やはり酒は国家行事などでも重要な役割を果たしているし、また税金の柱としても、大きな位置を占めている。ということは、やはり、酒は国家の管理の対象となっているということであり、国家の政策のなかで、従わせる対象であるということになる。酒そのものが、コロナにとってもつ意味よりは、国家の管理に従うかどうかという点で、持ち出されているということなのではないだろうか。
もちろん、それは極めて欺瞞的なものだ。だから、違法であるにもかかわらず、金融機関に圧力をかけようとまでするわけだ。おそらく、今後も飲食店や酒の規制は、不可解な形で継続していくに違いない。