教員免許更新制廃止はいいことだが

 文科省が、教員免許更新制度の廃止を決めたようだ。大変けっこうなことだが、それでよかったよかったというわけにはいかない。根本的な姿勢が改められなければ、別の制度が導入されるに過ぎないからだ。
  まず、報道によって、何がまずかったのかと文科省が認識しているかを確認しておこう。
・夏休み期間を使うことが、時間的、費用的に大きな負担になっている。
・役にたったと考えている教員が3分の1しかいない。
・教壇にたっていない免許保有者が失効することが多いため、産休や育休の代替教員の確保が難しくなっている。
・うっかり失効も多い。(「教員免許更新制廃止へ 文科省、来年の法改正目指す 安倍政権導入」毎日新聞2021.7.10)
  羽生田文相もこうしたことを重視して、廃止の意向だという。安倍首相によって導入された制度だから、安倍首相の忠実な側近だった羽生田氏が、廃止を決めるというのは、なかなか興味深いことだ。
 上にあげられた欠点は、確かにすべて正しいと思われる。私自身、制度の開始から、大学でずっと担当委員だったので、少なくとも大学側の事情については、よく分かっているつもりだ。もちろん、大学関係者で、この制度に好意的な人は、私が知る限りまずいなかったと断言できる。先日、小学校の教師に、大学は、これで大分儲けているのではないか、などと言われたが、大学や教員が、これで利益を得ているということは、私には、考えられない。確かに、私の大学では、最初の2年くらいは大きな利益をあげていた。実際に担当した教員に、その見返りがあったとはいえないのだが。というのは、最初は、1講座を300人くらいで実施していたので、利益がたくさんでたのだ。ところが、受講者の評価として、多すぎるというアンケート結果を重視して、その後100人以下におさえるようになった。その結果受講生の評判はあがったが、大学としての利益はほとんどあがらなくなったのである。つまり、受講生にできるだけ添ったやりかたをすれば、利益などないのである。もちろん、それでも、受講生としては、負担感が大きかったろうが。
 上にあげられた理由が妥当だとしても、免許更新制の問題は、それだけに留まらない。とにかく、いいかげんの制度だったのだ。
 免許をもっている人が更新するために、講習を受け、試験に合格しなければならない、ということであれば、誰しも、免許をもっている人が、10年目になったら、受講できると思うだろう。しかし、現職でなければ、受講できないのだ。教員免許には、車と同様に、膨大なペイパーティーチャーがいるのだ。彼らだって、いつかは教壇にたちたいと思っている人が少なくないだろう。しかし、現職でないと受講できないから、そこで失効してしまう。100%失効するわけではなく、現職でなくとも、大学に要請すれば、受けられるのだが、特に近々教壇にたちたいと思わなければ、わざわざ高い費用をかけて受講などしない。だから、わざわざそうする人は、教員採用試験を受けて、翌年教師になろうというような人だけだ。
 記事に書かれているように、産休代替教員などのように、突然必要になる場合には、受講していない人は、応募することができないことになるのだ。そこで、現場でもこまる事態が続出したということだろう。
 では、何故、現職でないと受講できないのか。それは、単にキャパシティの問題に過ぎない。講習は、原則大学で行うことになっているが、実は現職だけでも、大学のキャパシティを上まわっているのだ。それで、管理職や優秀教員(よく理解できないのだが)は、免除されているのである。私は、管理職こそ受講すべきだと思っていたが。そうやって、かろうじて、必要な現職教員に、講習が可能になっていたのである。だから、もともと、不公平なシステムなのである。
 根本的な問題は、研修なるものの在り方に関わることだろう。これは、また別に論じたいが、大学の教師が行う「講演」のような講義をきいて、現場の教師が実践に役立つようなことを修得させることなど、ほとんど無理なのである。それは、教育委員会が行う官製研修も同様である。研修というのは、そういう形で行われるものではなく、教師たちの自由な相互研鑽のなかでこそ、効果が発揮されるのである。文科省は、オンラインでより安価なものを考えているようだが、もっと悪くなるだけだ。
 今後、研修の在り方について、考察していきたい。
 いずれにせよ、この制度の廃止自体は歓迎したい。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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