オリンピックは強行開催されるようだが、オリンピック憲章には、元首が開会を宣言するという項目がある。日本の場合、元首は絶対的に明確であるわけではないが、このようなときには天皇ということになっている。そして、天皇はオリンピック・パラリンピックの名誉総裁になっている。
普通であれば、天皇が開会式に出席して、開会宣言をするのだろうが、今回は「普通」ではない。いまだに、中止論が多数ある。そして、注目すべきことに、天皇の意志を拝察するという形で、西村宮内庁長官が、天皇がオリンピック開催によって、コロナ感染の拡大をもたらすのではないかと心配しているという発言をした。そして、その時点で、天皇がワクチンを接種していないことが、明らかになっていた。
こうした状況を考えれば、政府、あるいは組織委員会、IOCが天皇に対して、開会宣言を行うことを要請すべきではないという結論にならざるをえない。
西村宮内庁長官の発言をめぐって、大きな社会的論議を呼んだが、いかに多くの人が、天皇制についての誤解をしているかが、明らかになった。しかも、驚くべきことに、その誤解が、正解としていまだに浸透しているように思われることだ。
その誤解とは、「天皇は、政治的発言をしてはならないと憲法に規定されている」というものだ。しかし、そんなことが、どの条文に書かれているのか。天皇に関する規定は、もちろん憲法にあるわけだが、関係の条文は、以下の通りである。
第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
国事行為とは何かは、具体的に規定されている。前にも書いたが、オリンピックの開会宣言は、その中に入っていない。つまり、国事行為ではないのだから、内閣の助言と承認を必要とすることではない。ということは、天皇自身の意志が大事だということになる。
多くの人が、「政治的発言は禁止されている」と解釈しているのは、「国政に関する権能を有しない」という部分だと思われるが、これが、「政治的発言を禁止」している条文ととることは、まったくの歪曲である。権能とは何か。字を見ればわかるが、辞書の説明をみよう。
大辞林
法律上、ある事柄について権利を主張し、行使できる能力。公の機関の権限についていうことが多い。
つまり、法律上の権利と能力がないということである。権利だけではなく、権限も入ると解釈するのが適切だろう。法律上の権利がないということは、あることを法律的に実行する権利がないということで、それは、能力がないことと、ほぼ同じだといえる。つまり、法律的な実行という点では、14歳未満の子どもと同じということだ。子どもはローンを組んだり、車を買ったり、何か法律的な契約をすることはできないわけだ。
しかし、権利といっても、いくつかの分類がある。「国民は~」「何人も~」「制限なし」に分かれる。天皇は、日本国民に入るかどうかという議論があるが、それを無視したとしても、「制限なし」で書かれている権利は、天皇や皇族にも保障されるはずである。そして、「制限なし」の権利としては、「一切の表現の自由」と「学問の自由」が入っている。つまり、表現の自由は、天皇にも憲法上保障されていると解釈するのが、最も素直な憲法の読み方なのである。
とすれば、天皇は政治的発言を禁じられている、などというのは、まったくの間違いなのである。
だいたい、法律上は、権能がない14歳未満の子どもだって、別に政治的発言を禁じられているわけではない。参政権のない未成年だって同様だ。政治集会に参加したり、デモをしたりしても、憲法上禁じられているわけではないのだ。それと同じだ。
前にも書いたが、天皇は、そうした発言を「自重」しているのであって、決して禁じられているわけてはない。むしろ、率直に語って国民に意志表明をしたほうがよい。そのかわり、国民はそれを自由に批判検討することができなければならない。そうすることで、天皇が国民の総意に基づくという憲法の規定が、実際のものになるのである。
再度確認しよう。オリンピック開会式の開会宣言であるが、開会式も無観客になったということで、天皇自身の意志に反して、そこに天皇を出席させ、開会宣言をさせるというようなことは、あってはならないように思われる。何人かの政治家や知事がそうした表明をしているが、まだまだあいまいなこの点については、多くの人が、意志表明すべきだと思い書くことにした。