松本清張の最高傑作ともされる「砂の器」を読み返した。何十年も前に読んで、細かいところはすっかり忘れていたから、初めて読んだも同然である。確かに、物語の壮大さ、筋構成の巧みさなど、さすがだと思うし、また、とにかく読んでいて飽きない、どんどん先に進んでいく感覚はすばらしい。
有名な映画をDVDなどを借りて見たいと思っていたところ、NHKで放映されたらしいのだが、テレビをほとんどみないために、逃してしまった。ぜひ近日中に見たいと思っている。当然、公開された当時みたのだが、映画と小説とでは、かなり違う部分がある。映画では強調されている、ハンセン病の父親と子どもが全国を遍歴すること、そして、差別問題は、小説ではほとんど扱われていない。親子が島根県にたどり着いたときに、親切な警官(三木)が父を施設にいれ、子どもを引き取ったが、やがて行方不明になったと簡略に書いているだけである。だから、小説を読み返したときに、ずいぶん意外に思った。だから、原作は、比較的オーソドックスな犯罪・推理小説といえる。 “「砂の器」は清張の最高傑作か?” の続きを読む
投稿者: wakei
モーツァルトP協23番聴き比べ
まだ大学に勤めていた頃、同僚と音楽の話をしていたところ、(彼は学生時代大学オケでバイオリンを弾いていた)モーツァルトのピアノ協奏曲23番の話になり、彼は一番好きな曲でバレンボイムの演奏が気に入っていると話していた。私も23番は、モーツァルトのピアノ協奏曲のなかで、最高傑作だと思っていたのだが、私が普段聴いているのはポリーニとベームの共演のCDとDVDであり、バレンボイムはもっていなかったので、あまり深く掘りさげた話にはならなかった。 “モーツァルトP協23番聴き比べ” の続きを読む
都響定期演奏会、ベルディ・ワーグナー序曲バレエ集
昨日(1月23日)、東京都交響楽団の定期演奏会を聴いてきた。指揮者は、4月から首席客演指揮者になるというダニエーレ・ルスティオーニという人で、私はもちろん初めて聴いた指揮者で、名前も初めて知った。曲目は、このようなプロオーケストラでは、滅多にないようなものだった。前半はベルディの序曲(運命の力・シチリア島の夕べの祈り)とバレー音楽(マクベスとオテロ)、そして後半はすべて序曲・前奏曲(リエンツィ、タンホイザー、ローエングリン、ニュルンベルクのマイスタージンガー)だった。こういう曲目は、通常名曲コンサートのようなところで演奏されると思うから、率直に驚いた。 “都響定期演奏会、ベルディ・ワーグナー序曲バレエ集” の続きを読む
素晴らしかったウィーンフィル・ニューイヤーコンサート
今年のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートは、カナダ出身のセガンが指揮をした。少々事情があり、リアルタイムでは後半のみテレビで、全曲は2日に録画で視聴した。
一言でいえば、とてもよかった。近年のなかでは、ウェルザー・メストとともに出色のできだったといえる。しかも、ウェルザー・メストは、ウィンナワルツをすばらしく聴かせるという指揮だが、セガンはさらにエンターテイナー的に楽しませる。「青きドナウ」が終わったあとは、スタンディング・オベーションとなり、このコンサートでは、私は初めてみた。そしてそのあと、ラデツキー行進曲では、セガンは客席を歩き回り、ほとんど拍手の指揮をして、聴衆を喜ばせていた。この間オーケストラの指揮はほったらかしという感じだったのだが、オーケストラとしては、それこそ自分たちがやりたいようにやれるとご機嫌で演奏していたようだ。 “素晴らしかったウィーンフィル・ニューイヤーコンサート” の続きを読む
読書ノート「経済発展にともなう制度的環境変化と心理的段階推移の日越比較」5
ベトナムはどうか。
1 戦後の全国的社会主義経済建設1975から1986年
戦後の経済の混乱、1978年のカンボジア侵攻後の経済制裁
生理的欲求すら満たされない状況
2 市場経済への以降準備から開始 1985~1990
当初は市場経済がうまく機能せず。
生理的欲求と安全欲求のあいだで一進一退
3 社会主義志向型市場経済の実施1987から2000
市場経済が次第に機能。国民総生産も増大。国際社会への復帰。
安全欲求が満たされるように。次第に愛と所属欲求も。 “読書ノート「経済発展にともなう制度的環境変化と心理的段階推移の日越比較」5” の続きを読む
読書ノート「経済発展にともなう制度的環境変化と心理的段階推移の日越比較」4
では、具体的にどのようにマズロー理論を日越の経済発展にあてはめているのかをみよう。
日本は次のようになっている。
1 占領の時代 1945~1952
前半は、戦災からの復興 生理的欲求の時代
後半は、企業が社内食堂設置など不安が払拭される措置 安全の欲求の時代
2 55年体制と高度成長 1953~1973
農村から都市への移動の時代 愛と所属の欲求時代
高度成長後 承認の欲求が生じる
3 安定成長期1973~1980年代前半
承認欲求が満たされつつも、円高不況で承認欲求がおぼつかなくなる。
4 バブル経済とその崩壊1985以後
自己実現の欲求はおろか、承認の欲求まで失ってしまった。 “読書ノート「経済発展にともなう制度的環境変化と心理的段階推移の日越比較」4” の続きを読む
読書ノート「経済発展にともなう制度的環境変化と心理的段階推移の日越比較」3
また脱線してしまうが、集団主義は非常に難しい実態である。日本は集団主義の国だという。とくに学校教育では集団を重視して、班活動を行ったり、集団登校などを組織したりする。しかし、私は常々日本はそんなに集団主義の強い国だろうかという疑問をもっている。というのは、スポーツで日本が強い種目をみてみると、柔道、水泳、レスリングなどだ。これはいずれも個人競技である。サッカー、ラグビー、バスケットボール、バレーボールなど、かつて強かった競技もあるが、現在は、やはり、柔道やレスリングなどに比較して弱い。これらは集団スポーツである。つまり、結果が現われやすいスポーツでは、日本人は集団競技は弱く、強い競技はたいてい個人競技だ。 “読書ノート「経済発展にともなう制度的環境変化と心理的段階推移の日越比較」3” の続きを読む
読書ノート「経済発展にともなう制度的環境変化と心理的段階推移の日越比較」2
本論文は、「経済的変化の背景に横たわる心理学的問題の分析」を試みる論文である。それをベトナムと日本の比較的考察において行うとしている。ここに既にふたつの興味深い論点がある。
経済の発展にいかなる心理的影響力があるのかということ、それが現実的に異なる経済システムや文化様式をもった国に、どのような異なった形で現われるのか。
そして、ベトナムと日本を比較対象として考察するという点である。 “読書ノート「経済発展にともなう制度的環境変化と心理的段階推移の日越比較」2” の続きを読む
読書ノート「経済発展にともなう制度的環境変化と心理的段階推移の日越比較」幸田達郎
経済の発展とは何かという基本問題は、定説があるのかどうか、経済学が専門ではない私には厳密にはわからないが、生産力や生産性、それを支える経済的・政治的システムなどが総合的に判断されるのだろう。では、発展する理由は何なのだろうか。長い時代同じような生産が行われ、生産力がほとんど変わらない社会も歴史的には存在した。遠い昔は別として、封建時代から何故資本主義生産が発展してくるのか、また、資本主義経済においても、いろいろな段階がわけられるほどに、発展は可視的である。そういう展開は何故生じるのか、まだ明確な説は存在しないのだろう。
まったく別の視点で、マルクスの「資本論」は、資本が自然法則のように、いわば人間の問題を捨象して、展開していく過程を描いて見せた。自然史的過程としての資本の法則である。しかし、マルクスとしても、それが現実の社会のなかで、その通りに展開していくわけではなく、さまざまな要因、歴史的な社会状況、自然、人間的要素(文化・教育など)が絡み合って、実際の経済現象が生じるのだから、やはり、資本主義が本来内的な発展要素があるとしても、それを現実に動かしていくのは人間である。では、人間のどのような側面なのか。 “読書ノート「経済発展にともなう制度的環境変化と心理的段階推移の日越比較」幸田達郎” の続きを読む
小学校校長が校内飲酒で処分
福島県の小学校で、校長が飲酒で再三教育委員会から注意を受けていたが、是正されず懲戒処分をうけたという記事があった。「「アルコールのにおいがする」小学校の校長が校長室で“飲酒” 市教委が計9回指導・福島」https://news.yahoo.co.jp/articles/724853b992721c505db7330b6e8202f96cdd335e
また別の記事では、「校長が児童を突然怒鳴る、学校内の飲酒で発覚 市教委の報告漏れも」https://news.yahoo.co.jp/articles/4554274c6bc3eeb291b1d9566dcbcd0f873d1b65
正確にはわからないが、同一の校長だと思われる。
最初は前者の記事を読んでいたのだが、後者の記事を読むと、校長が女性で、暴言をはいていたことが書かれている。このようなことが起きても、別にあまり驚かなくなっている自分が、少々怖い気もするが、現在の日本の校長の存在形態からみれば、別の形ではあれ、問題をもった校長や教頭が少なくないことは、充分に推測できる。 “小学校校長が校内飲酒で処分” の続きを読む