トルストイ「戦争と平和」の観点からウクライナ戦争を考えてみる

 トルストイの名作「戦争と平和」は、単なる小説ではなく、随所にトルストイの戦争哲学が論じられている。しかも、かなり長い。そして、論じている内容はひとつ、1812年の戦争は誰が起こしたのか、という問題だ。歴史家の多くは、英雄たちの名前をあげる。典型的には、ナポレオンがロシア征服を決意したからだとか、アレクサンドル皇帝がナポレオンと妥協しなかったからだとか、個々の英雄の考えと行動、命令に要因を求めるが、それをトルストイは否定する。しかし、トルストイの結論自体もあいまいであって、よくわからない。戦争に参加する者、しない者、地位の高い人、低い人、そういう多くの人びとの相互作用のようなものが力学として働くのだ、というような結論にも読めるが、必ずしも断定しているわけではない。
 トルストイは実際の戦闘に参加したことがあり、その体験が、戦争場面に活かされているし、戦争に参加する軍人たちの感情描写もなるほどと思えるものがある。今トルストイが生きていたら、ウクライナ戦争のことを題材にして小説を書くだろうか、などと考えてみるのも、思考に役立つかもしれない。

 ウクライナ戦争が何故、誰によってひき起こされたのか。大きな要因のひとつが、プーチンの特異な考えというのが、識者たちのいうところだ。しかし、それも、ではプーチンは何を望んだのか、望んでいるのかということでは、多様な見解がある。ウクライナはそもそもロシアと一体の国なのだから、ロシアの一部となるのが自然だというような歴史的解釈から、ウクライナがNATO加盟をめざしているのは、ロシアにとって脅威となるのから、それを阻止する必要があるという軍事的地政学的解釈など、ロシア側の要因だけではなく、バイデンがプーチンをそそのかしたのだという、アメリカ主導説まである。さらに、プーチンは、数日でウクライナは陥落するという前提で攻撃を始めたとされているが、それはリアルな認識だったのか、あるいは、取り巻きイエスマンたちのいいかげんな情報に踊らされただけなのか。リアルでなかったことは、その後の事実が証明したのだが、決してありえないことでもなかったともいえる。
 ロシア軍が三方から攻め込んできたとき、アメリカはじめヨーロッパの首脳たちはゼレンスキーに亡命を勧めたのだが、ゼレンスキーが断固拒否して闘う姿勢を示したのが、展開を大きく変えたという見方がある。トルストイなら、ゼレンスキー個人の断固たる決がウクライナ戦争をひき起こしたという考えをもちろんとらないだろうが、ゼレンスキーでなければ、亡命した可能性は高い。そうすれば、ロシア軍はすみやかにウクライナ全土を掌握した可能性は高かったといえるのである。では、なぜアメリカは、ゼレンスキーに亡命を勧めたのか、プーチンを唆しておいて、まったく矛盾した行動だともいえるが、もちろん、唆したというのも、状況をみての、第三者の見方であって、バイデンは問われれば絶対に否定するだろう。「私は、プーチンの動きをみてて、侵略の危険性を警告しただけだ」というに違いないが、しかし、「アメリカ軍は動かない」などとまでいったことは、唆したと解釈されてもおかしくない。
 
 ゼレンスキーが断固闘うと宣言したとき、何故ウクライナ国民は、多くがそれに従ったのだろうか。ウクライナはずっとEUよりだったわけではない。親ロシア政権のときも短かったわけではないのである。ずっと親ロシア派と親EU派が対立していたような感じがある。ロシアが圧倒的な数で攻めてきたとき、それに抵抗すれば、国が悲惨な状況になることは誰にもわかるし、事実そうなった。しかし、ウクライナ国民は現在もちこたえている。それは何故可能だったのか。
 ナポレオンは、60万ともいわれる大軍を率いてロシアに侵入し、モスクワを占拠したあと、冬将軍を恐れて退却して、大敗北するわけだが、現在、ロシアは、ウクライナを侵略し、かなりの死傷者をだしながら、兵を補充して戦線に送り込んでいる。情報が不足しているとはいえ、ロシア兵は戦場で悲惨な目にあっており、生きて帰れる兵の割合は極めて小さいといわれている。それにもかかわらず、募集に応じて、多くのロシア人や外国人が前線に送られている。彼らは何故応募するのだろうか。戦死する確率が高いのに。いろいろな解説では、プーチンが高額の給与と入隊一時金を用意しているといっているので、貧しいひとたちにとっては、命の危険があってもほしい金額なのだという。しかし、戦死したら本人は受けとれないし、家族に支払われる保証はまったくない。
 また徴兵事務を行っている人の心理はどういうものなのだろうか。応募する兵の多くは、周辺の自治共和国が多いというから、事務員たちは共和国の公務員であり、兵として応募するひとたちは、共和国の貴重な労働者のはずであり、戦死したら共和国にとっての損失である。にもかかわらず、かなり強圧的な強制ともいえる募集をしている。

 こうした多様な関わりのひとたちの行為とその意味を考えないと、この戦争のほんとうの姿は理解できないに違いない。
 そうした考察はさておき、はやくロシア経済と軍隊が崩壊して、ロシアという国家そのものも崩壊してほしいものだ。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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