小泉環境相のニューヨーク訪問 ステーキを毎日食べたいって?

 追加の記事なので、簡単に。どうしても必要だと思ったので。
 小泉環境相は、期待されているようだし、大きく取り上げられている。国連の会議出席のためにニューヨークを訪れたと、今日ニュースで報道していた。いろいろと勉強して、吸収したいと語っていたそうで、それはとてもよいのだが、気になるのは、ステーキを毎日でも食べたいと述べ、早速、ステーキ店を訪れて食べたというのである。
 おいおい、という風に思った人は、環境問題を真剣に考えている人だろう。
 現在の環境問題のもっとも大きな柱のひとつが、温暖化を抑えることである。そのために必要だとされていることはたくさんあるが、牛肉問題もその主要なひとつだ。 “小泉環境相のニューヨーク訪問 ステーキを毎日食べたいって?” の続きを読む

『教育』2019.9を読む 縛り・縛られるから抜け出せるのか

 既に10月号が出ているのだが、まだ、9月号の宿題のようなものが残っている。「縛られる学校、自らを縛る教師たち」という特集で、そうした「縛り」からどうやって抜けだすのか。私は小学校や中学校の教師ではなく、大学の教師なので、この縛りは極めて緩い。だから、小中学校の縛りについては、いろいろな話を聞くし、実習生の授業をみたり、また、学校側の説明をきいて、感じていることはたくさんある。
 「縛り」がだんだん強くなっていることは間違いないし、また、その圧力の質と量がともに形として現れているといえる。もちろん、義務教育である以上、「縛り」はある。少なくとも、日本の義務教育の歴史のなかでは、自由な教育が保障されていた時期は、極めて短い。ないわけでもなかった。しかし、それは、国家がまだ教育の内容まで掌握できない時期に限られていた。明治の初期と戦後初期の数年間だけである。他方、ヨーロッパでは、1980年代までは、多くの国で教える内容まで含めて、学校に任されていたという事実もあるし、今でも、教育内容に関する国家基準はあっても、日本の学習指導要領よりは、ずっと大綱的である。
 さて、もっとも普通で基本的な「縛り」は、
(1)学ぶときには、指定された内容を、机に座って学ばなければならない
ということにあるといえる。 “『教育』2019.9を読む 縛り・縛られるから抜け出せるのか” の続きを読む

レストランの不思議 あさくまとリンガーハット

 今日は気楽な話題です。
 世の中には、どうでもいいけど、不思議なことがある。レストランというのは、多くの人が利用し、評判が大事だから、あまり不思議なことはないと思うのだが、以下に書くことは、私がいつも不思議に思っていることだ。あるいは、不思議ではなく、合理的な理由があるのだろうか。合理的な理由があるなら、コメントで教えてもらえると、私の疑問もとけて、とてもありがたい。
あさくま
 ひとつは、「ステーキあさくま」である。ここは、本店が名古屋にあるようで、首都圏には、あまり店舗がない。実は、私が住んでいるすぐ近くに、引っ越してきた20数年前にあった。しかし、間もなくなくなり、サイゼリアに変わったが、それも今ではセブンイレブンになっている。セブンイレブンは、まわりにあまりコンビニがないのと、駐車場が広く、県道からはいりやすいので、繁盛している感じだ。何故「ステーキあさくま」が撤退したかの正確な理由はわからないが、当時はまだ人口が近隣では少ない市であるため、比較的高めのステーキ店は、敬遠されたろうし、また、現在のようなサラダバーへの好みは多くなかったのかも知れない。 “レストランの不思議 あさくまとリンガーハット” の続きを読む

福島原発事故 東電幹部の無罪判決は日本の劣化を促進する

 今日(9月19日)、東京地裁で、福島原発事故を巡る判決がだされた。おそらくそうなるだろうとは思ったが、やはりそうかという感じだ。
 福島原発事故に関しては、検察が不起訴にしたので、検察審査会が実施され、そこで強制的な起訴に至ったものである。検察が起訴しないということ自体が、検察の堕落だとしかいいようがない。あれだけの大事故を起こし、近隣の人たちだけではなく、日本中の、そして、国際的な被害を与えたにもかかわらず、誰も刑事責任を負わないというのであれば、地位の高い人は、決して罰せられない、無責任な仕事をしても許されるという、社会全体の弛緩と頽廃を生むに違いない。
 争点は、事故が予見できたか、予見できたとして、回避可能だったかが争われたという。予見できたかというレベルの話ではなく、実際に、何年も前から、警告がなされ、実際に国会で質問もされていたのである。その都度、政府も東電も、そのような心配はない、対策はとらないと答弁していた。そして、実際警告が多方面からなされていたにもかかわらず、対策をとっていなかった。それは記録に残っている。 “福島原発事故 東電幹部の無罪判決は日本の劣化を促進する” の続きを読む

多文化主義は終焉したのか(続き)

 日本で英語が小学校の正式教科になることが決まっているが、決まる前の議論で、日本語が習熟する前に、英語教育を導入すると、日本語が混乱し、日本語の習得にも悪影響があるという反対論が少なくなかった。母語をきちんと習得してこそ、第二言語が習得できるという考えかたは、ヨーロッパのバイリンガリズムに似ている。もちろん、実際の進行は全く違う。
 ヨーロッパでバイリンガリズムの教育を行われているときには、当然住んでいる国の言語の習得をかなり行いながらは、合わせて母語の習得のための補習も実施する。実際に幼稚園や小学校の下級段階では、母語の習得もまだ完全とはいえないだろうから、その時点で第二言語を教え始めた場合に、母語が不完全だと第二言語の習得にもマイナスだというのは、現場の多くの体験からいわれていることだろう。特に母語環境が家庭にしかないのだから、母語の形成が遅れがちになるのは避けられないに違いない。 “多文化主義は終焉したのか(続き)” の続きを読む

多文化主義は終焉したのか

 現在のヨーロッパでは、ポピュリズム政党が大きな力をもつようになっているが、その躍進のひとつの理由が、多文化教育に対するネガティブな感情である。移民受け入れの積極派であるドイツのメルケル首相が、以前「多文化主義は敗北した」と発言したことはよく知られている。少なくとも、多くのヨーロッパ諸国が、政策としての多文化主義教育をやめたことは間違いない。しかし、ことはそれほど簡単ではないようだ。
 多文化主義は様々な定義があるが、共通項を整理すれば、ふたつの要素から成り立つ。
 第一に、公用語以外の言語の尊重である。そして、第二に、マイノリティの文化の尊重である。
 19世紀は、ひとつの民族がひとつの国家をつくるという「国民国家」が成立し、そこで成立した国民国家は、現在多くが先進国としての地位を保持している。しかし、ひとつの民族によって構成されている国民国家といっても、実は少数民族や、国民国家が採用した公用語とは異なる言語を用いている人たちが、ほとんどの国民国家内部に存在した。特に、そうした存在が多かったのがオーストリー帝国である。 “多文化主義は終焉したのか” の続きを読む

大作曲家の作品1

 昨日は、私の所属している松戸シティフィルの演奏会だった。松戸市がオリンピックにおけるルーマニアのホスト市になっているということで、ルーマニアの代表的な作曲家であるエネスク(以前はエネスコと呼ばれていた)の作品を演奏した。そして、指揮者として、ルーマニアのオーケストラの常任指揮者を務めている尾崎晋也さんが振った。海外で活躍されている大変優れた指揮者で、やさしい雰囲気で厳しいことをどんどん指摘することで、私個人としては、普段なら諦めてしまうような難しいパッセージもなんとか弾けるようになろうと、かなり練習したつもりだ。本番も普段よりは弾けたと思う。
 ルーマニア祭のような感じで、新聞(朝日、毎日)が取り上げてくれたために、オケ単独の演奏会としては、けっこう聴衆もたくさん入ったような気がする。
 ブログで、自分のオケの演奏会のことは、いままで書いたことがないが、書く気になったのは、大変珍しい「ルーマニアの詩」という曲が入っていたからだ。CDでも2、3種類しかでておらず、ユーチューブにも2つくらいしかない。交響詩のジャンルにはいると思うが、2楽章で30分もかかる。珍しいというのは、この曲が作品1だということもある。つまり、まだ音楽院の学生だったころの作品らしく、エネスクが、後年苦しいときには、この作品の作曲していたころのことを思い出しながら、自分を励ましていたと、指揮者の尾崎さんが教えてくれたのだが、作品1というのは、みんな青春の思い出なのだろうか。 “大作曲家の作品1” の続きを読む

NHKスクランブル放送化を考える

 N国党が当選者を出すことによって、NHKをめぐる状況が変わっていくだろう。通勤で使う駅で時々演説していたので、パンフももらったし、存在はよく知っていた。しかし、あまり賛成はできないと常々思っていたが、いよいよ現実的な課題になり、また、NHKのスクランブル放送化に関する世論調査も行われた。だいたい賛否が3割ずつで、拮抗しているらしい。政党では規制の主な政党はだいたい反対の姿勢なので、当分N国党の主張が通ることは、しばらくの間ないだろう。
 スクランブル放送とは、許可した者だけが視聴できる仕組みで、NHKの受信料を支払った者だけが視聴できるということだ。スカパーがそうだ。アナログ放送では不可能だが、現在のテレビ放送はすべてデジタル化しているので、技術的に可能になっている。私はデジタル化した理由が、スクランブル化のためだと思っていたので、もっと早く問題になるのかと思っていたが、これは私の判断ミスだった。しかし、技術的に可能なことは、必ず実行しようとする者が現れるし、大きな流れで見れば、実現の方向に進んでいくものだ。 “NHKスクランブル放送化を考える” の続きを読む

水泳授業の民間委託

  毎日新聞9月12日の地方版(福岡)に、「水泳授業の民間委託検討 久留米市小学校、プール老朽化などで/福岡」という記事が出ている。全46校にプールがあるが、20校が築30年以上となっていることが原因で、検討をしているということだ。既にいくつかの自治体で行われていて、調査したところ「天候に左右されずに授業ができる」「専門家の指導で学習効果があがる」というような結果がでたという。
 この記事を読んで、以前私自身が経験したことを思い出した。
 私の家の近くに鉄道が通ることになり、ある小学校が駅近くになるために、開発を主導しているところから移転要請があり、近くに移転することになった。その際、私の妻が教育委員会と交流があったので、その学校をどのようにするかの検討チームにはいり、私も部分的に参加した。その際議論になったひとつが、プールだった。とにかく大規模開発する地区だったので、移転先の敷地もそれほど広くなく、また、公民館との併用の複合施設となることが決まっていた。だから、プールを作るのは、けっこう無理があったのである。私たちは、オランダに家族で一年間住んでいて、娘たちが現地校に入っていたから、その経験なども踏まえ、プールは学校に作る必要はなく、近くの駅前にスポーツクラブがふたつもできることになっているので、そこと契約して、そこのインストラクターに指導してもらったらどうかと提案した。 “水泳授業の民間委託” の続きを読む

『週刊ポスト』韓国特集 嫌韓を煽っているようには思えない

 小学館の『週刊ポスト』9.13号の韓国特集を読んでみた。吊り広告をみて、流石に買う気がしなかったのだが、T-Magazine に週刊ポストが入っているので、早速加入して、そこで読んだ次第。「韓国は要らない」というような刺激的な見出しがついているので、何人かの常連寄稿者が、執筆拒否を宣言したことで騒がれた。二回連続の韓国特集で、第一回が「韓国要らない」で、ふたつの記事からなる。第一は「厄介な隣人にサヨウナラ 韓国なんて要らない」という題で、日韓両国のメリット・デメリットを徹底調査するという記事になっている。 
 しかし、すべてが日本が得するという内容で、
・GSOMIA破棄なら半島が危機になり、ソウルが金正恩に占領される悪夢となる
・サムスンのスマホ、LGのテレビ、現代の自動車が作れなくなる
・東京オリンピックボイコットなら、日本のメダルは2桁増
・韓国人旅行客が日本で使うお金は米中の3分の1。だから、たいした損ではない
・韓流グループは、日本市場がないと食べていけない
という見出しで、説明文がつくが、確かにそうだと思うのは、オリンピックを韓国がボイコットすれば、それは日本のメダルが増えるということくらいで、他の記事は、あまりに日本を買いかぶり、韓国の力を過小評価しているように思えてならない。 “『週刊ポスト』韓国特集 嫌韓を煽っているようには思えない” の続きを読む