英語民間試験の導入が、突然延期された。毎日新聞は「白紙に戻された」と報じているが、今後の問題についてはあいまいだ。しっかり善後策を検討して数年後に実施したいという発表だったと思うが、そもそも無理がある制度なのだから、どうなるのかわからない。小室圭-真子内親王婚約延期なども、着地点がまったく不明だから、同じようなことが起きたといえる。
11月1日の毎日新聞は、「英語民間試験見直し 「萩生田氏守るため」官邸が主導」という見出しをつけている。記事の内容は、見出しの通りだ。閣僚2名の辞任が相次いだので、安倍首相の最も近い側近の一人である萩生田氏が辞任に追い込まれるのは、絶対に避けなければならないという「官邸」の判断で、試験の延期が決定されたというのだ。事実、文科省は抵抗したようだし、民間検定試験機関との連絡は行われていた。それも突然の延期公表で中止になった。
しかし、よく考えてみよう。一人の政治家の地位を守るために、全国の受験生を犠牲にしていいのか。もちろん、多くの人が、民間試験採用は中止すべきだと主張しており、私もそう書いたから、延期(中止)はよい。しかし、欠陥を是正して実現したいと表明していたのだから、どうやったら欠陥を是正できるかの最低限の検証を経て、やはり、今の段階では無理だとわかったから中止したいというのであれば、まだ納得できる部分がある。しかし、一人の政治家を守るために、それまで準備してきた多くの人の努力や利害を無視するというのであれば、納得する人がいるのだろうか。高校生だけではもちろんない。試験を実施する予定になっていた7団体は、それぞれかなりのエネルギーとコストをかけて、実施準備をしてきたはずである。そして、実施することによって得られる収入も計算していただろう。そういうことが、突然、準備の進展の問題というよりも、一人の政治家の問題として、放棄せざるをえなくなるのだから、今後訴訟だって起きる可能性がある。この夏に撤退したTOEICは賢明な判断をしたと、胸をなで下ろしているだろう。
もう一度、この民間試験が提起された経緯を思い出しておこう。
これは、センター試験を実施していた入学センターや管轄をする文科省から出てきた案ではない。安倍内閣が復活して、首相が設置した私的な諮問機関である教育再生実行会議が提案したものであり、それを中教審が受け入れ、文科省の政策になったものである。私的諮問機関といっても、首相の意向だから、官庁としては無視できないものなのだろう。しかし、メンバーには、教育学者は一人も入っていないし、学校現場の人は校長が一人入っているだけだ。大学の教授も分野は教育以外の人ばかり。あとは行政と企業から出ている。つまり、入試のことなどは、ほとんど知らない人たちばかりの集まりなのだ。だから、6年間も学校で英語を勉強しているのに、英語を使える人はほとんどいない、などという一般論は語られているだろうが、しかし、学校教育と入試の関連、企業に入ったときの研修等々、詳細な現場の状況を踏まえての議論がなされたとは思えないのである。記述式の導入が、いかにも付け焼き刃的なものになっているのは、こうした事情によるものだろう。
以下簡単に、どうすべきか整理しておきたい。
1 全体として民間検定を導入するのは、やめるべきである。民間検定の採用は、個別の大学が、大学の状況に応じて必要とする場合には導入する。
2 全体の共通試験は、マークシート方式を維持すべきだ。50万人の記述問題採点は、不可能に近く、それでもやろうとすれば、試行テストでのように、ほとんど記述問題としての意味がないようなものにならざるをえない。
3 各大学の入学試験は、全面的に共通試験に頼るのではなく、大学として求めるものを試す二次試験を実施することを原則として、そこで記述式を主体として試験をやるようにする。そうすれば、採点問題はおきない。しっかりとした記述式問題をとけることは、とても重要である。
私自身の基本的な考えは、ヨーロッパのような「卒業試験」をもって大学入学の基礎資格とするのがよいと思っているが、日本でそうした体勢をとることは、極めて難しいので、上のようなやり方を考えている。多くの人が、同様に思っているのではないだろうか。
今回の混乱を引き起こした萩生田大臣は辞めるべきだ。もっとも、彼の失言によって、維持すべきではない民間検定試験の採用が延期されたのだから、ある意味功労者ともいえる。ネットの書き込みには、無意味な検定試験をやめさせるために、意図的に失言したというのがあった。最大の皮肉として受け取るが、安倍内閣の最も重要な支えての萩生田氏がやめるべきだと考えているはずはなく、彼の権力者的発想が生んだ失言である。もし、ほんの一片の良心があれば、高校生や教師、そして検定試験機関の人たちを犠牲にして、自分一人が地位にしがみつくなどということを受け入れることはないだろう。