オペラ随想 聴衆の登場とオペラ

 現代の音楽に限らず、演ずる芸術は、聴衆の存在があって初めて成立する。文学にとっては読者が必要だが、まったく読者がつかない文学はありえる。そして、死後評価されるようになる文学も存在する。しかし、音楽は、聴く者の存在なしには存立し得ないといってよい。聴くものがいないまま、作曲家が死んだあと、何かのきっかけで、その作曲家の作品の人気がでることは、個別の曲としてはあるが、作曲家としては、私の知る限り存在しない。有名な作曲家は、生きているときから有名だったのである。何故そうなのか、確信はないが、おそらく、音楽は、創作(作曲)と鑑賞者(聴衆)の間に、演奏者という媒介者が必要だからではないと思う。古くは、作曲家が演奏することが多かったにせよ、やはり広く知られるようになるためには、他の音楽家によっても演奏されることが必要だったろう。特に、ロマン派以降は、作曲家と演奏家は分離してくるから、尚更である。演奏家もプロだから、曲への共感がなければ演奏しない。演奏家がすばらしい音楽だと思うから演奏する。そして、優れた音楽だと感じれば、今度は、演奏家が自分の存在意義として、活発に演奏して、広く知らしめるだろう。従って、優れた音楽を創作した作曲家は、聴衆をたくさん獲得し、そして、そのことによって、作曲家としての地位を固めていくことができる。
 さて、聴衆といっても、みな同じではない。たまたま見聞きする聴衆、ストリートミュージシャンの音楽を、通り掛かって聞いている人、あるいは、テレビやラジオを聞いている人と、料金を払って、「演奏会」に出かけて聴く者とを区別して考える。もちろん、テレビやラジオを通して音楽に接している人も、放送局が作曲者に著作権料を支払っているから、視聴者が多く、たくさん放映されれば作曲家の収入も多くなる。基本的性質は同じと考えることもできるが、やはり、作曲家にとっては、料金を支払って演奏会に来てくれる聴衆が、作曲家を支えている大きな存在といえる。ラジオ、テレビ、映画などがなかった時代には、とくにそうである。
 では、料金を払って音楽を聴くために、演奏会に出かけるという「聴衆」は、いつ現われたか。
 渡辺裕は、『聴衆の誕生』(中公文庫)で、モーツァルトが端緒的で、ベートーヴェン以降、特に19世のロマン派において、そうした聴衆が成立したとする。モーツァルト以前の作曲家は、だいたい教会や王侯貴族に雇用され、信者や貴族仲間に聞かせるために作曲した。雇われ人として給与を支給されていたといえる。それに対して、モーツァルトは、自作の曲を演奏する会を設定して、聴衆を募り、料金をとって演奏した最初の人である。ベートーヴェンもそれを踏襲したが、ベートーヴェン以降は、常設のコンサートオーケストラが設置され、作曲家とは切り離された「演奏会」が成立していくから、聴衆が多く成立し、作曲家も少しずつ経済的に安定していく。モーツァルトの経済状況と、ブラームスのそれを比較すれば、明らかであろう。
 しかし、それでも、そうしたコンサートによってえられる収入は多くなかったから、演奏家や教師としての活動を合わせ行っていたものが多い。
 こうした歴史展開はあやまりではないが、聴衆の成立を上記のように考えると誤りである。19世紀にヨーロッパの「聴衆」が成立したというような渡辺の説は、小林秀雄のモーツァルト論と同じ誤りをおかしているといわざるをえない。もっとずっと早く、聴衆はイタリアのオペラ劇場で出現していたのである。最盛期のベネチアでは、10もオペラ劇場が毎日オペラを演奏し、たくさんのオペラが作曲された。オペラ劇場が最初に建設されたのは、1630年のころのベネチアであるといわれ、それからイタリア各地でつくられ、フランスやオーストリア、ドイツ、そして、ロシアへと展開していった。
 オペラは、ひとつの芸術的なジャンルとして、成立が明確である、極めて珍しい例なのである。そうした最初期の作品であるモンテヴェルディの「オルフェオ」などは、今でも活発に上演され、CDやDVDもたくさん発売されている。
 学校で習う音楽史では、偉大な作曲家は貧しい雰囲気がある。借金まみれのモーツァルト、生涯生活と闘い続けたように受取られるベートーヴェン。生涯裕福だったのは、メンデルスゾーンくらいであって、他は、みな貧しいと思われているのかも知れないが、しかし、成功した人気オペラ作曲家だけは、経済的に非常に恵まれていた。ロッシーニは、人生の後半、年金をもらったということもあるが、ほとんど作曲しなかったにもかかわらず、オペラのあがりで贅沢な生活を続けたし、ベルディは多大の寄付をしただけではなく、引退後生活にこまった演奏家を救うためのホームを建設し、それはいまでも続いている。プッチーニもヒットをとばしたあとでは、優雅な生活を送っているのである。逆にいえば、フィデリオのために、4つも序曲を書いて、なんとか成功させたいと改訂を続けたベートーヴェンの姿勢が、オペラの成功がもたらす経済的保障となっていたことを、逆説的に示しているのである。それは、オペラ劇場がヨーロッパ各地につくられ、そこに聴衆がいたために、作曲家に作曲料を払うことができたからである。
 オペラを無視した渡辺や小林に代表されるように、最近は大分変わってきたとはいえ、ヨーロッパのクラシック音楽の中心を交響曲などの器楽作品だと考えている。しかし、今でも、ヨーロッパにおいては音楽の中心はオペラである。それは、オペラのなかにこそ、最も優れた、魅力的な音楽があるからである。そして、何故オペラに最も惹きつけるものがあるといえば、オペラこそが作曲家に経済的安定をもたらしたからであり、それは、多くの聴衆が常に存在したからである。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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