大学入学共通テストにおける民間検定試験の採用が、教育再生実行会議の提言によるものだったが、この会議は現在までに、11もの提言をだしている。ひとつひとつ丁寧な批判的検討が必要だが、私は外国研究者なので、それをやってこなかった。この機会に、すべての提言の検討をしようと思った。今回は第一回提言「いじめ問題等への対応について」に関して検討を行う。(提言はすべて元号表示であるが、西暦に直して記す。)形式としては、コンメンタール的な形式で行う。
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はじめに
いじめに起因して、子どもの心身の発達に重大な支障が生じる事案、さらには、尊い命が絶たれるといった痛ましい事案まで生じており、いじめを早い段階で発見し、その芽を摘み取り、一人でも多くの子どもを救うことが、教育再生に向けて避けて通れない緊急課題となっているからです。
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「はじめに」の部分では、第一次安倍内閣の教育基本法改正の趣旨が徹底していないがゆえに、教育の問題が生じているような書き方であるが、それはさておき、上のように書きつつ、「いじめは絶対許されない」「卑怯な行為である」との意識を日本全体で共有し、子どもを加害者にも、被害者にも、傍観者にもしない教育を実現するための提言であるとしている。
しかし、この「はじめに」の書き方のなかに、いかに「いじめ問題」を理解していないかが見て取れる。それは「その芽を摘み取り」という表現である。教育再生実行会議は、安倍首相の諮問機関であるが、そもそも安倍内閣という存在自体が、かなりの「いじめ」に近い政策を各方面でやっている。自民党内部でも、批判勢力に圧迫を加えてるやり方(石破、野田両氏へ)、メディアで批判的な解説をするコメンテーターへの攻撃等、批判を建設的な栄養として受け取るのではなく、敵対的な勢力として攻撃するやり方は、政治社会におけるいじめそのものである。安倍内閣への批判をするテレビのコメンテーターが排除されたことは、一度や二度ではないが、これこそ「摘み取られた」のである。権力をもった存在が、ある人物を排除する、つまり「摘み取る」ことはできるが、教育の現場で、「いじめの芽を摘み取る」などということは、できないのである。
彼らがいかに実態を理解していないかは、具体的な提言で更にはっきりする。
まず提言の1として
「1.心と体の調和の取れた人間の育成に社会全体で取り組む。道徳を新たな 枠組みによって教科化し、人間性に深く迫る教育を行う。」として、まず道徳教育の強化を提言する。具体的には、
○命の尊さ、自己肯定感の向上、他者への理解や思いやり、規範意識・責任感の育成、等道徳教育の充実
○教育委員会が、すべての教員が習得できる指導方法を開発する
○日常の生活指導を充実、記録の蓄積
○保護者を巻き込んで、市民性の涵養と法教育の実施
○子どもたちがいじめについての討論をし、いじめは絶対許さないという宣言をさせる。リーダーシップをとれる子どもを育てる
○大人のふるまいが影響するので、大人が率先垂範してあるべき姿を示す。」
以上のようなことが提言されている。
この教育再生実行会議の提言は、実際に「いじめ防止対策推進法」に結実していくのだが、そのきっかけとなったのは、2011年の大津での自殺であった。安倍第二次内閣は2012年に成立しているので、大津事件→安倍内閣成立→教育再生実行会議での提言→いじめ防止対策推進法という流れは、極めて明瞭である。
しかし、忘れてはならないことがある。大津のいじめ自殺があった中学校は、文部科学省の道徳教育の研究推進校だったという点である。2年間の道徳教育の推進校の活動が、終わった翌年に起きた事件である。つまり、道徳教育を特別重視して、実践を行い、文科省がそれを後押ししたのであり、事件が起きたときにも、学校の目標として、「いじめのない学校」というのが、ちゃんと掲げられていた。従って、道徳教育を充実させれば、いじめによる悲劇は防げるなどということは、ほとんど幻想に近いというべきだ。
私は、道徳教育の推進校であったにもかかわらず、事件が起きてしまったというよりは、推進校であったが故に、事件がおきやすい状況になっていたと考えている。実は、道徳教育の研究推進校をやったあとに、(さすがに、やっている最中にはほとんどないようだが)学校が荒廃することは、よくあることなのだ。それは、私には、少しも不思議ではない。文科省や教育委員会が推進する「研究指定校」というシステムは、ほとんど効果がないだけではなく、現場が疲弊することが多く、害のほうが多い。その最たるものが道徳の研究指定校や推進校である。指定校になると、研究計画が作成され、計画にそった研究授業が実施される。そして、教育委員会の指導が行われ、研究会には、近隣の教師が授業の見学に訪れ、講評が行われる。実際の研究授業の前には、何度も指導主事などによる指導が入るのである。国語や算数なら、授業をやった教師にとって、多少のプラスもあるだろうが、道徳教育となると、日々の生活そのものが点検される。外部からの評価が入るから、どうしても、生活そのものの管理になる。しかも、内発的な理由で推進校になるわけではなく、管理職の評価をあげるため、校長がとってくるものだから、教師たちは、強制されてやる感じになる。そういう緊張が2年3年続いたあと、終われば、解放感がどっとやってくるのは、自明のことだろう。そういうときに、事故がおきやすくなるのである。
大津の事件に触発されての提言が作られたことは明らかなのだが、そうした観点でみれば、この提言が、いかに現場の問題を理解しないまま、定式化されているかがわかるだろう。
教科になった道徳教育で、いじめを防ぐことはできないのである。
○がついた具体的提言については、一般論としては、ひとつを除いて、特に批判することもない。例外は、「教育委員会がすべての教員が習得できる指導方法を開発する」という点である。唖然としてしまうような定式化である。
いじめは、すべて具体的な子どもが、具体的な行為で行うものであって、動機も形態も実に千差万別なのである。また、それにかかわっている子どもたちの「関係性」も、すべて異なっている。もちろん、類型化は可能だろうが、そうだとしても、実際に、具体的に、個別に分析しなければ、対応法も出てこない。だれでもできる方法を開発する、などと書くところに、リアリティを欠いていることが露呈している。
次に「2.社会総がかりでいじめに対峙していくための法律の制定」となっていて、実際に、法律が制定された。この点については、このブログでも何度も書いてきたので繰り返さない。法律が制定されて、いじめが減ったとはいえない。むしろ、自殺などのかなしいできごとが、増えている印象がある。おそらく、正確な数値は不明であるが、報道される印象では、明らかに増えている。不登校などは、明確な基準があるので統計的に明示されるが、やはり、新しい学習指導要領になって増えているのである。
法律が全く不要とはいえないが、法律を作って体制をとれば、いじめが減少すると考えているとしたら、それはまったくの勘違いといわざるをえない。(続く)