首里城再建は可能なのか

 首里城焼失後、当然のように再建が話題になっているが、本当に再建は可能なのかという疑問がわく。本ブログの読書ノートで西岡常一『木のいのち木のこころ』を紹介したが、首里城再建を願っている人たちは、ぜひこの本を読んでほしいと思う。率直にいって、少なくとも、元の形での再建はかなり困難だと思わざるをえないのだ。
 いろいろなところで既に触れられているが、まず木材調達の困難さがある。西岡氏が書いていることだが、「堂塔建立の用材は、木を買わず山を買え」という言葉があるそうだ。つまり、山全体の木材を、植えられている条件に応じた木の性質を考慮して、材木として使用するということだ。同じ山に植えられている木でも、太陽のあたり方等々によって、木としての性質が異なっている。長い年月の間に、乾燥して湾曲してくるわけだが、そういうことも計算して、適切な木材の配置をしないと、長年もつような建築物にはならない。山岡氏の念頭においている建物は法隆寺なので、多少条件は異なるだろうが、法隆寺の中心的な柱には、樹齢1000年の檜が必要だという。本格的な城とか仏閣などは、檜を使用する。しかも、できるだけ樹齢の大きな、まっすぐ延びたものが必要である。
 首里城は、記録に残る大きな火災だけでも、5回にわたっており、その都度木材の確保にはかなり困難に直面し、多方面の強力によって木材を調達することができたとされる。
 西岡氏によれば、このような建築に使用できる檜は、現在日本には存在せず、台湾から買いつけるという。しかし、現在では、おそらく台湾からの輸入も難しいとされているのである。もし、本当に本格的な木造建築として、長期間もつものを建てるのならば、檜を植えて、育つのを待つという方法が、もっともしっかりした再建が可能だろう。樹齢1000年とはいかないまでも、100年程度待ってからということが、現代社会でコンセンサスがえられるだろうか。
 そもそも、首里城は、奈良時代の日本の寺院などと同じように、300年は絶対にもたせるというような設計で作られたのだろうか。日本でも、鎌倉時代以降の建築物は、最高権力者が関与したものでも、そうした長期間もたせる意識で作られていないのだそうだ。首里城は、初代でもそれほど古いものではないから、法隆寺を建てるような意識ではなかったかも知れない。そうすると、宮大工が300年の建築物という意識で再建する必要がないのだとしたら、それほど困難な事業ではないのかも知れない。多少上等な木材を使って建てればよいということになる。しかし、数十年経ったときに、がたがくるような城が歴史的な価値をもつのだろうか。
 もうひとつの問題は、古い建物の再建ではあっても、近代的な建築物とする方法もあるが、それがコンセンサスをえられるかということがある。再建された日本の城は、そうしたものが多い。名古屋城の再建を、どれだけ江戸時代の様式を残すか、それとも現代の要請を取り入れるかという議論が起こっていて、まだ決着がついていないようだが、首里城のように、何度も火災が起きたものは、やはり、近代的な建築物で消化施設も整い、燃えにくい材質を使うという方法も考慮されるべきだろう。完成して一年程度で焼失してしまい、消化設備も不十分だったことが、火災の被害を大きくしたというのであれば、同じようなものを再建することには、疑問をもたざるをえない。
 江戸時代の城は、重要な観光資源になっているが、すべてが再建されているわけではなく、城址として観光対象になっているものも少なくない。また、形は江戸時代の城だが、建築物としては近代的であるものも多い。そんなまがいものではなく、本物を望むといっても、それほど長い期間ではないにもかかわらず、何度も焼失してしまうのであれば、再び事故がおきないとも限らない。
 今回燃えてしまった首里城は、再建が完成したのが、今年2019年の1月である。わずか1年未満の存在だったわけだが、その建築物というのは、どのような性質のものなのか。世界遺産に登録されているといっても、その再建された首里城は世界遺産に含まれていなかった。つまり、城址が世界遺産である。私は、残念ながら、見学したことがないのだが、実際にそれはみたら、何をみているのだろう。新築の城をみているのか、あるいは、もしかしたら、こういうものだったに違いないという想像を書き立てるが、まがい物の城をみているのか。法隆寺は、一端燃えたあとに再建されたが、あくまでも法隆寺として再建されたのだろう。歴史的遺産を保存しなければ、などという意識ではなかったに違いない。つまり、実用的な目的で再建されたのだ。
 しかし、今年の1月に再建された首里城は、実用的な目的だったわけではなく、おそらく、観光施設としてだろう。日本各地で行われている江戸時代の城の再建も、同じだ。そして、よく考えてみれば、再建された建築物は、どんなに歴史的に同じものを復元したといっても、かならず現代的な技術を使用している。例えば、電気だ。古い時代のものがそのまま残っている場合は別として、復元したものは、電気などの近代技術を使っているものがほとんどだ。また、そうでないと、鑑賞するにも不便でもある。とすると、やはり、時間をかけて、どのような復元形態がいいのか、じっくり時間をかけて検討すべきであると思う。本当に本格的な復元をするならば、檜の植林から始め、100年以上の歳月を費やすことだってありうる。また、復元して、直ぐに焼失してしまうようなものであってはならないだろう。そのためには、近代技術を使った、燃えにくい仕組みや消化システムを完備すべきであるが、それは、元の姿からは離れていくことになる。どこで妥協するのか。こうしたことは、きちんと議論して決めるべきで、どこかでわからないうちに再建が決まるということであってはならないと思う。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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