思い出深い演奏会1

 今日、他の話題で書く準備をしていたのだが、少々調べ不足であるために、もう少し時間をかける必要があると感じた。お茶を濁すわけではないが、気軽な話題をひとつはさむことにした。題名の通り、「思い出深い演奏会」である。
 熱心に演奏会に通っていたのは、学生・院生時代だ。今でもあると思うが、「学生割引」という制度があって、一回の入場料がだいたい500円だったので、かなり気軽に演奏会にいくことができた。結婚して、仕事についてからは、どうしても演奏会から遠のき、今は自分で市民オーケストラに所属しているので、演奏することが中心となって、あまり演奏会にはいかない。たまにオペラにいく程度だ。それでも、小学校時代から、近所で行われていたテレビ番組のための演奏会(無料だった)に、ちょくちょくいっていたので、60年は通っていることになる。
ポリーニ
 一番強烈な感動をした、思い出深い演奏会は、マウリッツィオ=ポリーニがN響に出演したときだ。当時のポリーニのリサイタルのチケットはまず入手不可能だと思っていたので、N響に出演するから、定期会員になれば聴けると思って、会員になり、3年間ほど通った。渋谷は遠いので、その後やめたのだが。ポリーニの2度目の来日で、まさしく敵なしのような圧倒的な存在で、全盛期である。 “思い出深い演奏会1” の続きを読む

日産の定額制充電制度廃止 出血サービスは続かないだけではなく

 日産の電気自動車を購入すると、一月2000円(税抜き)で、全国どこでも、無制限に充電ができるというサービスを、日産がついにやめることになった。私は、今後車を買い換えることはないと思っているが、廃止前の定額制の記事を読んだとき、もし、買い換えがあるとしたら、日産のリーフもありだと思ったものだ。もっとも、同時に、そんなサービスいつまで続くだろうと疑問をもったことも事実だ。明らかに相当な出血サービスで、続ければ続けるほど、また利用者が多ければ多いほど、赤字を生むことになるわけで、いつか頓挫するに違いないと、通常思うのではないだろうか。そして、続けられなくなったとき、その条件に魅力を感じて購入したユーザーは、大きな失望を感じるはずだ。廃止は、意外なほど早くやってきたと感じる。 “日産の定額制充電制度廃止 出血サービスは続かないだけではなく” の続きを読む

余った給食持ちかえり事件

 ネット上でかなり活発に議論がなされているようだ。最初に新聞で報道されたときから、もちろんひっかかるものがあった。
 定時制高校の教諭が、主に欠席の生徒の給食を持ち帰っていたことが、通報による発覚し、持ちかえった分の費用を返済したあとで依願退職したというものだ。依願といっても、実質的には処分だろう。
 他の誰も知らず、教諭が無断で持ち帰ったとしたら、法的には窃盗にあたるというのは、間違いない。ただ、現時点で窃盗罪で逮捕されたりしているわけではないようだ。しかし、ネットでは、処分に否定的な見解が多く、いいこととは言わないまでも、悪いことをしたとはいえないという見解が多い。コンビニで捨てるくらいなら、従業員が持ちかえってもいいではないかという感覚と同じだろう。
 定時制高校というのが、ひとつのキーワードとなるだろう。当然欠席が、通常の学校より多いわけで、給食はそっくり余ることになる。さすがに、おかずなどは出席した生徒たちが食べるのだろうけど、パンとか牛乳は手つかずのまま残る。とすると、そういう残ったものを、どのように処理するかというコンセンサス、あるいは規則がなかったのだろうか。 “余った給食持ちかえり事件” の続きを読む

ドイツの奉仕義務導入の議論

 現在ドイツでは、義務的な奉仕活動の制度を導入する議論が、CDU(ドイツキリスト教民主同盟)を中心にかなり活発に行われているようだ。議論そのものは、昨年から出ていたが、Kramp-Karrenbauersという女性の党リーダーが、党員の意見を聞く会を精力的にまわり、そのなかで、出てきた意見を受けて提唱している。それが11月で、その後多くの党やメディアで盛んに賛否が論じられている状況になっている。
 ドイツは2011年まで徴兵制があった。兵役につくか、あるいは市民的奉仕活動をするかの選択はあったが、それが廃止され、その後は純粋にボランティアによる奉仕活動が行われているだけである。だいたい年4万人の人がボランティア活動をしているというが、もちろん、若者ばかりではない。 (災害等で臨時にボランティアをする人ではなく、登録して日常的に実践している人だと思われる。)今議論され、提案としてまとめられているものは、教育を終了した人が、1年間社会的奉仕活動を義務づけられるという案である。2018年に行われた世論調査では、実は賛成が多数になっている。政党別に見ると以下のようになっている。
CDU 77%
AfD 72%
SPD 62%
緑  66%
FDP 65%
Parteichef Christian Lindner は自由の制限だとして拒否
左派は52%
 反対が上回っている政党支持層はないのが特徴的だ。 “ドイツの奉仕義務導入の議論” の続きを読む

相撲の国際化と品格 白鵬のかち上げは非難されるべきか

 前回(12月23日)の国際社会論で、文化の国際化を扱う材料として、音楽の国際化を考えた。昨年初めて行った講義で、3月のこのブログに、文章化したものを掲載してある。その際、様々な領域の文化、スポーツなどで、国際化が進んでいるものとそうでないものがある。何故そうなのか、自分の好きな領域で考えてみようという課題を与えた。
 日本発祥のスポーツとして、柔道は国際化が著しいが、相撲は極めて限定的である。柔道は、世界中で活発に行われているが、相撲は、日本でしか行われていな。海外巡業がごく稀に行われたり、あるいは相撲をしたいという外国人が日本にきて力士になることはある。しかし、相撲が海外でも日常的に行われることは、今のところ全くないし、また今後も考えにくい。それは何故なのか、いろいろな理由があるだろうが、そのことも考えさせる文章が、JBpressの12月25日号に掲載されている。「横綱白鵬を開き直らせた的外れ批判の罪」という臼北信行氏の文章である。要旨は比較的単純で、白鵬が、立ち会いのかちあげや張り手を、横綱審議委員会を筆頭として、いろいろな方面から、「横綱の取り組みとして品格がない」とか「横綱はやるべきでない」と散々批判されていることについて、白鵬の、禁じ手ではないのだから、改めるつもりがないという姿勢を支持している文章である。むしろ、相手が、白鵬がそうした技をやってきたら、それに対する有効な反撃の技を繰り出せばいいことであるのに、それをしないほうがおかしいというわけである。 “相撲の国際化と品格 白鵬のかち上げは非難されるべきか” の続きを読む

『教育』1987.3を読む 30年前の部活問題

 今回は、以前の『教育』1987年3月号で、この485号目で初めてスポーツクラブの問題をとりあげたということだ。この特集は30年も前のものだが、ここで指摘されていることは、今でも大きな問題であり続けているものがほとんどであることに驚く。もっとも多少変わった点もあるのだが。
 最初に、正木健雄(体育学の専門家、大学教授)の「子どものスポーツ・『部活動』を考える」を取り上げる。正木氏は、ずっと子どもの身体の変化について調査をしており、身体能力の様々な面での低下を指摘している。
 文部省は体育に力をいれており、現在では更にその傾向が強くなっている。そうした力のいれ方にもかかわらず、当時の子どもたちは、背筋力と柔軟性が低下していると指摘している。正木氏は、いつも、このふたつの身体能力が人間としての生活に、非常に重要であると考えていた。背筋力は、姿勢を真っ直ぐに保つ上で必須の力であり、背筋力が弱くなると、猫背になり、健康上の問題が起きるだけではなく、次第に、歩行などにも影響が出てくる。柔軟性は、人間が活発に動くために必要であり、柔軟性がなければ、動作そのものが制限されてくるし、危険に対する対応力も低下する。だから、正木氏は、いつでもこのふたつの能力の状況を問題にしていた記憶がある。
 それから、最近増えているからだのおかしさとして、「ボールが目にあたる」という項目があがってきていると指摘する。 “『教育』1987.3を読む 30年前の部活問題” の続きを読む

「天皇」に何を求めるのか

 現在の皇室典範では、やがて皇位継承者がいなくなるという可能性から、女系・女性天皇論をめぐって、相変わらず、というか、ますます様々な見解が飛びかうようになっている。しかし、この議論に絡んで、人々は天皇という存在に何を求めているのか、という点に関して、極めて大きな隔たりがあると感じている。あまりに単純化していると言われるかも知れないが、男系男子に限定する、現在の皇室典範を支持するひとたちは、天皇には何も求めていない、つまり、「存在」だけあればよい、という考えに近いと思われる。それに対して、女系・女性天皇を容認するひとたちには、二通りある。第一は、男女平等の民主主義社会であるから、男系男子に限るのはおかしい、だからは、男女に限らず直系の長子から順に決めればよい、という見解であり、第二は、現在の愛子内親王の存在を前提に、女性天皇を期待する立場である。この場合、愛子内親王が様々な面で秀でた能力をもっていて、天皇になる家庭で育っているために、自然とそうした風格も育っているという人物評価を重視しているように見える。
 実は、歴史的にみれば、天皇が選ばれる基準、あるいは資質などについては、大きな変遷を繰り返してきた。
 これもかなり大雑把な整理であるが、奈良時代くらいまでは、天皇は決して、そのときの天皇との血のつながりの近さ、例えば、長男であるなどで決まっていたわけではなく、それなりに、人物や能力の評価があったようだ。 “「天皇」に何を求めるのか” の続きを読む

国際社会論ノート 慰安婦問題を考える3

 最初に設定した問題がひとつだけ残っている。
5、違反者が罰せられるべきか
 実際に、罰せられた事例は、インドネシアでの法廷で、死刑を含む有罪判決があったのみだったと言われている。しかし、今から当事者を罰するということには、意味があるとは思えない。モサドによるユダヤ人の追跡は、いまでも続いているのかも知れないが、これとても、今生きている旧ナチといえば、90歳を越えていることになり、しかし、90歳といえば当時はまだ未成年だから、自分の意思で戦争犯罪を実行したとは言い難い。慰安婦問題でも同様だろう。
 従って、最後に、どのようにお互いが歩み寄ることができるのか、あるいは何が必要なのかこそが重要だろう。
 まず必要だと思うのは、お互いの歴史を知ることだろ。これは、おそらく、驚くほど互いに知らないのではないだろうか。韓国で、体系的な日本史の本がどの程度だされているかわからないが、日本では、体系的な朝鮮半島の歴史書は極めて少ない。個別的なテーマを扱った朝鮮の歴史書はあるが、通史は少ないのだ。アマゾンで購入できる通史は(通史に限らないが)、かなり明確な立場が表明されており、そして、レビューを見ても、それに対するコメントが寄せられるような本が多い。圧倒的に、朝鮮の歴史に否定的な見方をする書物が多い印象を拭えない。 “国際社会論ノート 慰安婦問題を考える3” の続きを読む

スピーカーコードを換えてみた

 我が家のスピーカーは、実に40年くらい前に買ったものだが、換える気持ちにならないくらい、私の耳にはいい音がする。比較的広い部屋にフローリングというのも、いい音がするにはいい条件だ。さすがに、アンプは3台目で、今は、オンキョーのCDデッキをアンプ代わりに使っているが、それまで使っていた古いものよりは、いい音がするし、前のはハンダ付けが緩んでいたのか、けっこう雑音がしていた。それほど高くないCDデッキだから、アンプに換えればもっといい音がするのかも知れない。
 最近でたブルーノ・ワルターのコンプリート(ソニー)は、ステレオ録音については、まったく新しくオリジナルテープから、リマスターして、ワルター特有の低音を重視した音に変えたという宣伝になっている。その感想を若干書いたが、それでも、以前に聴いていたものに比較して、それほど低音が強調されているように思えなかった。それで思いきってコードを換えることにした。というのは、以前からずっとこのコードについては問題があった。 “スピーカーコードを換えてみた” の続きを読む

週刊朝日12月27日号の記事「NHK「安楽死」番組に波紋…

 週刊朝日12月27日号の記事「NHK「安楽死」番組に波紋…障害者支援団体が問題視する点とは?」が今日(20日)にウェブ版として掲載されている。これは、NHKスペシャルの「彼女は安楽死を選んだ」に対して、障害者や難病患者の自立的生活を推進する団体「日本自立生活センターJCIL」が、障害者や難病患者の尊厳や生命を脅かすと声明を出しただけではなく、放送倫理・番組向上機構BPOに調査・審議の依頼をしたことをきっかけとした記事である。
 私は、この番組を当日見ていなかったので、後日の再放送のときに録画してあったものを、この記事を読んで、見てみた。実は、今回のような「安楽死」の実際が放映されたあと、同じ病気の患者の団体が抗議をしたということは、以前にもあった。オランダで、発病から安楽死を実行した過程を詳細に描いた番組が、TBSで放映されたのだが、ALS患者の安楽死だったので、ALS患者からの抗議だった。TBSは、そうした抗議を受けて、半年後に、安楽死した夫の妻にインタビューをして、その模様を放送した。抗議の趣旨は、今回と同じように、このドキュメントビデオは、ALS患者は安楽死しなさいというメッセージだということだった。ちなみに、オランダ人にこの番組のことを聞いたところ、実際にオランダで最初に放送されたわけだが、別に特別な反響はなかった、ごく普通に受け取られたということだった。 “週刊朝日12月27日号の記事「NHK「安楽死」番組に波紋…” の続きを読む