スタンダードという枠づけが学校教育の劣化を促進する

 日本の生産性の劣化と、国民一人当たりの所得の相対的順位の低下が指摘されて久しい。給付金をめぐる騒動は、それを目の当たりにした。これが先進国かという混乱ぶりだった。何故このようになってしまったのだろうか。教育の責任も大きい。とにかく、学校現場で「こうしろ」という指示が増大しているが、ほとんどが、現在の学習指導要領の基本原則を失速させる効果しか期待できないものだ。私自身は、学習指導要領の内容に賛成している者ではないが、それでも、この現場での実践に対する「おせっかい」は、学習指導要領で認められる積極的要素を否定するものだ “スタンダードという枠づけが学校教育の劣化を促進する” の続きを読む

レコーディングでの不思議な例

 オペラの録音は大変なコストがかかるし、成功するには様々な条件を満たす必要がある。だから、途中で放棄された計画も少なくないだろう。そういうなかで、有名なミステリーともいうべきふたつの例を、何故そんなことになったのか、想像をしてみよう。
 第一は、オットー・ゲルデス指揮、ワーグナーの「タンホイザー」である。これは1968年から69年にかけて録音されたレコードで、今でも現役として発売されている「名盤」である。タンホイザーがヴィントガッセン、ヴェーヌスとエリザベードの二役でニルソン、ヴォルフラムがフィッシャー・ディスカウ、ヘルマンがテオ・アダムというキャストで、ベルリン・ドイツ・オペラの演奏だ。レコード会社はドイツ・グラモフォン。
 クラシックファンならば、たいていの人は知っている演奏で、この盤そのものの存在は知らなくても、オペラファンならば、この歌手陣をみれば、ほおーと思うだろう。それだけ超強力歌手たちである。そして、よほどの情報通でなければ、ゲルデスって誰だということになる。

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ネット上の不利益情報 総務省の政策について

 「テラスハウス」に出演した内容で、ネット上で誹謗中傷を受け、自殺した女子プロレスラーと同じような問題が起きないようにすることは、ネットを人権侵害の場にしないために、絶対に必要なことである。昨日ワイドショーに、その女性の母親が出て、いろいろと言っていたが、やはり、ネットの運営をどう変える必要があるのか、表現の自由を侵害せず、かつ名誉毀損となる投稿を防ぐ、出されてしまったときに、速やかに対応できる仕組みを作る必要がある。
 現在、ネット上における違法発言の取り扱いについては、「特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律
」という実に長ったらしい、とても覚えきれないような名称の法律に規定されている。通常「プロバイダー責任制限法」と呼ばれる法律である。名称でわかるように、人権侵害発言があったときに、プロバイダーが負わねばならない法的責任を制限して、責任が問われる場合を特定していること、また、そうした発言を受けた者が、情報開示をプロバイダーに求めることができる場合を列挙した法律と考えればよい。

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ネット上の不利益投稿をめぐる提訴 食べログの書き込みで

 今日(2020.9.12)の読売新聞(オンライン版)に、「食べログで点数下げられ、来客激減・・焼き肉チェーンが提訴」という記事がでている。首都圏のチェーン店コラボが、食べログ運営会社のカカクコムを提訴したというわけだ。食べログ側が、計算方式を変更して、チェーン系の点数を下げたために、客が月5000人以上減ったとして、売り上げ減少分の支払いを求めたということだ。調べてみると、同様の訴訟が過去にもあり、いずれも、食べログを訴えた側が敗訴しているようだ。訴訟のパターンは、点数下げられて損害が生じたというのと、希望もしていないのに勝手に、店が紹介の対象になって、点数化されているが、それを削除せよという訴えがある。
 さて、過去の裁判例を参照することで、今回の事例を予想してみよう。
 2013年に札幌地裁に提訴された例で、食べログに書き込まれた口コミで客が激減したというのが理由である。2014年9月に判決がでた。すべての訴えに関して、原告が敗訴している。 “ネット上の不利益投稿をめぐる提訴 食べログの書き込みで” の続きを読む

菅政権は期待できるか

 菅現官房長官が、自民党の新総裁、つまり総理大臣にほぼ決まりなのだという。安倍首相が退陣表明したあと、それまで極めて低かった支持率が急上昇したというのも、日本人というか、あるいはマスコミの甘さを感じる。これは、普段は安倍内閣に批判的なコメントが多いヤフコメでも、退陣する安倍首相への批判的文章を書いた人に、非難が集まっていたことでわかる。しかし、私の見る限り、あるいは悲愴な決意で振る舞っていたということなのかも知れないが、一時は確かに悪化した症状も、新しい薬の投与でかなりおさまったのではないかという印象だ。だから、新総裁が決まるまでは仕事をすると表明していたし、1時間の記者会見中でも、不安な様子は見せなかった。だから、本当に病状の悪化によって退陣したのではなく、それは改善したが、タイミングがいいので、退陣した。あるいは政権を放り出したというのが、真相だろう。そういう意味では、安倍政権の検証は、厳しく行うべきである。

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飛行機内でマスク拒否でトラブル 国交省と航空会社のミスではないか

 今日9.10日の羽鳥モーニングショーで、北海道から大阪に向かう飛行機でのトラブルを紹介していた。飛び立つ前に、マスクをしていない客と周囲の客にトラブルが生じた。そこで客室乗務員が、マスクをもっていって、着用をお願いしたところ、そんな義務はないと断られた。そのために座席を移動する客もいたという。しかし、客の誰かがとった映像で見ると、かなり客席は埋まっており、自由に移動できる空きがあったようには思えない。そういうやりとりで、50分ほど出発が遅れたという。離陸後も、その客が大声で話したりするので、途中の新潟空港に緊急着陸し、警官なども着て、その乗客を降ろした。そのときには、乗客から拍手が起きたということだ。そして、降りる際に、その乗客は、「バイバイ」と言ったので、不快になったという談話が放映されていた。

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朝鮮半島でも台風増加

 日本人と韓国人の性質の違いは、かなり気候風土と周囲の政治的環境によって生じていると考えてきた。端的にいえば、日本人が闘ってきたのは自然災害であり、朝鮮の人たちが闘ってきたの外敵の侵入である。日本は、自然災害の博物館のようなものだが、海に囲まれているために、外敵の侵入は、ごくわずかしかない。それに対して、朝鮮半島は、自然災害は極めて少なく、冷害が代表的なものではないだろうか。地震も火山の爆発もない。だが、どの時代でも、まわりの大国とどのように対峙するかに神経を使ってきた。
 自然に怒りを感じても仕方ない、受け入れて対策をたてるだけだ。しかし、外敵と常に対峙していれば、人間的にきつくならざるをえない。こうして日本人の穏やかと言われる性質と、韓国人の激しい性質との相違が生じたのではないか。もちろん、個々にはいろいろな人がいるとしても、平均的にこうした対比があることは、多くの人が感じているだろう。

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鬼平犯科帳 鬼平の危急

 久しぶりに鬼平について書きたくなった。鬼平のドラマを見ることができるサイトの契約をとめてしまったので、あまり書かなくなったのだが、小説は、何度も繰り返し読んでいる。小説にしても、ドラマにしても、鬼平が大変な剣術使いで、ドラマでは必ず最後は平蔵が切り合いの先頭にたって、盗賊と闘う場面になる。実際にこのような切り合いは、ほとんどなかったそうである。町奉行や火付け盗賊改めが捕縛にやってきたら、ほとんどは抵抗もせず、大人しくお縄についたと、歴史書には書かれている。それでは時代劇として面白くないから、切り合いをいれるのだろう。
 小説やドラマでは、更に、平蔵が襲われたり、あるいは騙されて、盗賊の集団に囲まれ、あやうく命を落とすという場面がいくつかでてくる。そのなかでも、もう一歩援軍が遅れたら、確実に死んでいたという場面もいくつかある。

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台風で改めてラウンドアバウトの促進を主張する

 九州は台風10号で大変な状況になっている。私は関東在住なので、被害にはあっていないが、こういう状況をみていると、やはり、いろいろとこうすればいいのに、という思いがしてくる。既に多くの人が主張しているようだが、電線の地中化が必要だと感じる。電柱が倒れ、停電になるだけではなく、倒れた電柱が他の物にぶつかって被害を拡大する。ただ地震のときどうなんだろうという心配がある。ネットで調べると、地上の電柱と地中の電線では、地震による損傷が、圧倒的に地中のほうが小さいということだ。あるサイトで示されている数字では、阪神淡路大震災のときの、架空線の被災が2.4%だったのに対して、地中線では0.03%だったという。地震に対しては、なんとなく地中にあると危険な感じがするが、実は逆なのだそうだ。台風の場合には、圧倒的に地中のほうが被災率は低いだろう。

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矢内原忠雄と丸山真男15 矢内原の信仰の一側面

 矢内原がいかに苦境にたっても、信念を貫き通すことができたのは、彼の強烈な信仰とそれに基づく使命感のためだったことは、間違いないところだ。「日本精神の懐古的と前進的」という天皇の神性否定の論文を書いたり、「神の国」という講演で、「ひとまずこの国を葬ってください」と述べたのは、キリスト教徒としての信念の発露だった。他方、研究者としての矢内原は、極めてマルクス主義的であり、当時の最も批判意識の強い社会科学者としての立場をとって、実証的な研究を貫いていた。これほど強烈なキリスト教信仰と、マルクス主義的な研究スタイルをあわせもっていた人は、世界にも稀なのではなかろうか。そして、この点には、矢内原自身が触れているが、他人からみれば、なかなか理解しにくいところだ。この点は、今後考察していくことにするが、キリスト教徒ではない私からすると、やりは、矢内原の信仰からくる解釈には、なかなか了解しにくいところがある。そのひとつが、満州旅行中の匪賊に襲われたときのことだ。

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