印鑑生産地の怒りと河野大臣の対応 印鑑生産業は生き残れるか

 河野大臣が、平井IT担当大臣から送られたという「押印廃止」という「印鑑」の写真をツイッターに掲載したことで、日本最大の印鑑生産地である山梨県の長崎知事と、全日本印章業協会徳井会長、山梨県市川三郷町の久保町長が、自民党に抗議と陳情に訪れたというニュースが、大きく報道されている。押印廃止という政策に反対する意思表示をしたわけではなく、河野大臣のツイッターにみる、あまりの配慮のなさを抗議したことと、ひとつの産業が危機に陥ることに対する対策を求めたということだろう。科学技術が進歩すれば、必ず起きる社会的事態である。
 思いつくままにあげれば、コンピューターによる本づくり、新聞づくりに移行したときに、大量の植字工が不要になった。印鑑生産に携わっている人とは、比較にならないくらい大人数の仕事が消えたのである。日本は企業内教育を基本としていたこと、企業内組合であったことで、植字工をコンピューターのオペレーターとして再訓練することによって、平和的に活字からコンピューターによる印刷業に移行することができた。産業別組合が主流で、企業内教育が盛んではなかった欧米では、コンピューターによる印刷への転換が、日本よりもずっと遅れたのである。

 バスの車掌、エレベーターガール、等々、消えた職業はいくらでもある。そして、AIの進歩によって、今後40%の仕事が消えていくという研究報告もある。従って、この印鑑廃止問題は、決して行政の事務効率化という領域だけではなく、職業構造の変化への対応をどうするかという問題も含んでいるのである。そういう意味で、河野大臣のツイッターが、配慮のないものだったことは否定できない。そして、削除すれば済むというものでもないだろう。
 もちろん、押印廃止という方向性は、適切なものだし、強力に押し進める必要がある。印章業界のために、遅らせるという配慮が必要なわけではない。しかし、印鑑を制作しているひとたちが、今後の生活をどう立て直すかは、政治としての避けられない課題だろう。
 押印が残る場面はいくつか考えられる。
 印鑑証明という方式は、これまでの認証形式としては、認め印を簡単に押すようなものではないから、簡単になくすことはできないだろう。少なくとも、社会的に認知される別の証明方式が定着するまでは、継続せざるをえない。従って、実印制作は、しばらくは残るに違いない。
 神社などの「記念」に押す印は、当然残るだろう。むしろ、そこに活路を見いだすのかも知れない。これまでは、神社、城などの観光地等、印を押すことで記念する場は、それほど多くはなかったが、もっと拡大するかも知れない。つまり、遊戯的な印だ。ゴム印的なものが多いような気がするが、それをもっと本格的な実印風にして、広めることはどうだろう。そういうものは、次第に凝ったものになっていく。だから、印鑑制作の高度な手の技術を、そういう方面で活かす道はあるに違いない。
 押印を求められることがなくなっていくとしても、本人自身が、自己表現の手段として、凝った印鑑を手紙等に押す行為を、広げるという活路もあるのではないか。手紙だけではく、蔵書などもありうる。印鑑といえば、歴史上に登場する最初は、中国の皇帝が、文書に押すものとして使う、あるいは、臣下として認める証拠に、印鑑を授けるなどというかたちだった。つまり、支配者の表現手段だったわけだが、現代では、個人が、趣味的なものとして、装飾的な自己表現手段になる可能性はある。年賀状などに押すやり方が広まるかも知れない。
 いずれにせよ、そうした生き残りは、高度な技術をもった印鑑作りとして残るだろう。三文判が生き残るとは、あまり思えない。今印鑑制作に携わっている人たちは、技術をあげて、新しい需要を掘り起こすか、あるいは他の職業へ移行するかになるだろう。いずれの場合でも、再教育が必要であり、行政はその援助をすべきである。というのは、活字からコンピューターへの印刷方法の転換は、企業内部での転換だから、企業内教育で対応が可能だったが、印鑑制作会社が、そのまま別の認証方法の制作に転換するわけではなく、印鑑による認証そのものが、すべてではないにせよ、消えていくのだから、行政的援助はどうしても必要になる。

投稿者: wakei

2020年3月まで文教大学人間科学部の教授でした。 以降は自由な教育研究者です。専門は教育学、とくにヨーロッパの学校制度の研究を行っています。

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